王宮に薬を届けに行ったなら
11.前王妃の微笑み
カザヤ様とはそのまま厩の前で別れた。
さっきのことには一度も触れられていない。私もどういう顔をしていいのかわからず、ずっと俯いたままだ。
別れ際にカザヤ様は私の髪をそっと撫でた。
「じゃあ、またな」
その触り方が勘違いしそうになるくらいに優しくて余計に戸惑ってしまう。もっと触れてほしいと思うなんて、私はなんてはしたないんだろう。
名残惜しいだなんて……。
「はい……。ではまた」
自分の気持ちを飲み込んで、私は軽く微笑んだ。
当然、その日の夜は寝ることが出来なかった。何度も何度も唇を撫でる。
かすめる様な風のようなキス。目を丸くした私にカザヤ様は優しい瞳で見つめてくれた。
白昼夢のような、でも現実だ。
「どうしてあんなこと……」
自分の気持ちは不純物だと、見て見ぬふりをしようとしていたのに、それを思いっきり腕を引かれて押しとどめられたような気がする。
カザヤ様は落ち込んでいた私を元気づけるためにあんなことをしたのだろうか?
それとも、キスすることで癒されたかった? カザヤ様にとっては挨拶代わりのようなものなのだろうか?
考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐるする。
こんなんでシュウ前王妃の治療の役に立てるのだろうか。
「仕事に身が入らないよ……」
半泣きで枕にしがみついた。
翌週。
仕事をしていると、さっそくシュウ前王妃の専属医師の使いが処方箋をもってやってきた。
正直、カザヤ様のことばかり考えてしまい、仕事に集中出来なかったから気を引き締める良い機会だ。
「よし」
気合を入れて処方を確認すると、その内容に「おや?」と首をかしげる。
痛み止めか……。この薬なら棚にストックがあるから、新たに調合する必要はないだろう。
「でも……」
私は小さく呟いて眉を寄せる。
この痛み止めはやや強いやつだ。これが欲しいということはどこかお体に、はっきりとした痛みがあるということ。専属医師からは何も説明がないし、詮索はしたくないけれど……。
やはりお体の調子が良くはないのだろうか。
先日、薬師室へ来たシュウ前王妃を思い出す。
あの時は見た限り、特に不調そうな様子は感じられなかったが……。
聞いてみようか。
気になった私はシュウ前王妃の専属医師を訪ねて話を聞こうとしたが、詳しい病状についてははぐらかされてしまった。
「専属薬師として患者の症状は知っておくべきです」
そう伝えたが歯切れが悪い。そして忙しいからと部屋を追い出されてしまった。
専属医師の対応にモヤモヤする。
まるでシュウ前王妃から口止めされているかのよう……。
ああ、そうか。
口止めされてるのか。だから言えない? 私にも?
つまり本当にお加減が悪い? 口外出来ない理由がある?
色々考えてため息をついた。
「余計なことを考えるのは止めよう……」
王族が病状を専属医師で口止めすることはよくあることだ。私は指示された事を黙ってこなすだけ。あれこれ詮索は良くない。
「仕方ない」
私は薬棚から処方分をもってシュウ前王妃の元へと向かった。
シュウ前王妃のいる塔は王宮敷地の北側にある。カザヤ様がいる塔が南東なので、意図的に離したのだろうかと思うほど距離があった。私たちがいる薬師部屋からも少し遠い。
私は迷わないよう、渡された地図をもとにシュウ前王妃の元へと急いだ。
塔の扉の前で身分証カードを見せると、すでに話が通っていたようで衛兵一人を伴いシュウ前王妃の部屋へ案内される。
カザヤ様の塔とは違い、女性の侍女があちこちで仕事をしていた。華やかである。
奥まで案内され、大きな扉の前に立つ。ゆっくりと三回ノックした。
「シュウ前王妃様。薬師のラナでございます。お薬を届けに参りました」
そう一言声をかけると扉が開く。
顔を見せたのはシュウ前王妃ではなく侍女だった。侍女に促され室内へ入る。室内は香水のような花のような良い香りがした。
「ラナ。早かったわね。ありがとう」
シュウ前王妃が微笑みながら向かってくる。礼を取り、手元の薬籠から処方分を手渡した。
「頓服として処方されておりますので、痛みがある時にお飲みください。シランという少し強めの薬草が使われておりますので、薬を飲む間隔は必ず6時間ほどお開け下さい」
「わかったわ」
シュウ前王妃は薬を棚に置くと、私を振り返った。
「ラナ、少しお茶をしていかない? 話し相手がいなくて暇していたの」
そう聞きながらも、すでに侍女に指示して紅茶を入れ始めている。
これは断れる雰囲気ではないわ……。あ、まさか病状の説明があるとか?
強引さに驚きつつも私は恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます。光栄でございます」
「こちらへ座って」
促されるまま、窓際の椅子へと腰掛けた。向かいにはシュウ前王妃が座る。そして侍女がそれぞれに紅茶を出してくれた。
「どうぞ」
「いただきます」
進められたので、一口紅茶を口に含む。
ん……? これは……。
微かに苦みを感じた。私はまたカップに手を付けていないシュウ前王妃に言った。
「シュウ前王妃様、飲んではなりません」
私を見つめていたシュウ前王妃が、器用に片眉を上げて「なぜ?」と聞き返す。その表情はどこか余裕を感じる。
「紅茶から微かに苦みを感じました。舌がほんの少しピリピリします。私は多少なりとも耐性があるので大したことはありませんが、シュウ前王妃様が飲んで良いものではございません」
私のきっぱりとした口調に、シュウ前王妃は一瞬目を細めると軽く手を上げた。入口に控えていた衛兵が紅茶を入れた侍女をとらえる。侍女は小さな悲鳴を上げ、真っ青になりながらカタカタと震えていた。
「この者は先月から私付きになったばかりですの。時々視線が鋭かったから注意していたのだけどね……」
シュウ前王妃は立ち上がると紅茶のポットを開けた。私もその手元を覗き込む。よく見ると、紅茶の茶葉に紛れて違う葉が混入していた。
「毒はどれ?」
「これです。パッと見だと分からないかもしれませんね」
これは知識のある者でなければ見分けはつかない。しかも、紅茶が採れる場所には咲かない葉なので意図的でないと混入はしない
「この葉はしびれや麻痺を起こさせる毒葉です。少量なら大したことはありませんが、大量にまたは毎日のように摂取し続けると神経に影響が現れます。紅茶の葉に紛れるとそれとはわかりにくいですが……」
私はその葉を手に取って眺めた。そして捕らえられた侍女を振り返る。
「どこで手に入れましたか? ここら辺では取れない葉です。もっと南東の地域でないと」
私の疑問に侍女は震えた。
「答えよ」
シュウ前王妃の低く鋭い声にビクッと体を震わせると、ポツリポツリと話だした。
「南東出身なので手に入りやすい環境におりました」
「理由は?」
聞かれるというより問いただす口調に侍女は観念したように口を開く。
「……昔、王妃が視察の際に、私の村の特産だったフルーツを一口食べてまずいとお仰いました。それ以降、その食べ物はまずいものだと噂され、私たちの村はそのフルーツが作れなくなり廃れて貧しい村に成り下がりました。私の実家も……今ではもう日々の暮らしだけで精一杯です……」
侍女は震えながらも悔しそうに唇を噛む。
「許せなかったんです。あのフルーツは本当に美味しいもの。王妃が気に入らなかっただけで、あんなことになるなんて……。だから王妃付き侍女になれた時、チャンスだと思いました。少し痛い目をみればいいって……」
「それでこんな事を?」
私の声に侍女は涙を浮かべた顔を上げて訴えた。
「でも……! でも殺すつもりはありませんでした! 少し体調を崩すくらいなら大丈夫だろうと思って……」
そう言って侍女は泣き崩れた。
私は横目でちらりとシュウ前王妃を見る。
シュウ前王妃はその傍若無人な振る舞いで、オウガ様が産まれて第一王妃が亡くなられた後なんかは、特に公務の視察の際などはやりたい放題だったと聞いたことがある。
シュウ前王妃の、その日の体調や気分によって食べ物や商品の良し悪しが変わる。一時、名産を作る地域ではシュウ前王妃に戦々恐々をしていたと聞いたことがあった。
この侍女はその犠牲者でもあるのだろう。
同情はする。でも気の毒だけど、私がこの場でこれ以上、彼女に何か声をかけられる立場にはいない。
理由はどうであれ、彼女が前王妃に毒を仕込んだという事実は変えられないもの……。
黙って控えていると、シュウ前王妃は軽いため息をついた。
「要は復讐ね。ふふ、この私に? あなた面白いことをするのね」
その声はハッとするほど、とても冷たい響きを含ませていた。目も顔も冷たい。今すぐ目の前で侍女が切られてもおかしくないほど、空気が張り詰めていた。
「まぁいいわ。あなたにはもう二度と会うことはないのだから」
鬱陶しそうに手を払う仕草をすると、衛兵は侍女を引きずるようにして部屋を出て行った。絶望の表情をして侍女は言葉も何もなく連れていかれた。
彼女が去って行った方を見つめた。
理由はなんであれ、未遂とはいえ前王妃に毒を盛った罪は重い。きっと軽い処罰では済まないでしょうね……。
シュウ前王妃は手を叩き、他の侍女を呼びつけて紅茶を入れなおさせる。古参の侍女なのか、表情一つ変えずに準備をしていた。
「全く、せっかくのお茶の時間が台無しよね」
そう話す前王妃の目は笑っていない。どこか私を探るような目だ。私がどこまで気が付いているのか知りたいとでもいうかのように。
なるほど、そういうことか。
「ラナ、怒っている?」
「とんでもございません。ただお一つだけご確認を……。シュウ前王妃様は先ほどの侍女が紅茶を入れるタイミングで、私を呼びよせたんですよね? 紅茶に毒が入っているか確かめさせるために」
薬師なら多少の毒の耐性はあるということは知っていたのだろう。だからこそ、彼女のすることを黙って見ながら私に捕らえるきっかけを作らせたのだ。
「えぇ、そうよ。ダメだったかしら?」
悪びれることなく微笑む。
「いいえ。シュウ前王妃様のお体を守ることができて光栄でございます」
本来なら王族の食べ物は毒見役の人間がいる。
しかし侍女など近しい人間が企むと、いつどこで毒が入るかわからない。だからこそ、本当に信が置ける人間しか側に置けないのだ。
きっとあの侍女は優秀で仕事も真面目にこなしていたのだろう。その努力が実って王族付きになった。しかし、そのことで心に眠っていた憎しみに火がついたのだ。
そして彼女の不穏さに気が付いたシュウ前王妃。だから、新しい専任薬師を得たことでその薬師を試してみようと考えたのだろう。
「はぁ~あ、また新しい替えを見つけなきゃ」
替え……か。
まるで侍女を使い捨てのコマのような言い方をする。一瞬不快感がよぎるが、もちろんそれは顔に出すことはない。
あ、まさか……!
「シュウ前王妃様、もしかして以前からあの侍女に毒を盛られていましたか? だからお体に痛みが? そのための痛み止めですか?」
だとしたらあの処方は納得がいく。
そう聞くと、シュウ前王妃は可笑しそうに笑った。
「違うわ。毒を盛られたのは今回が初めてよ。痛み止めは、もう年だからあちこち体に痛みが走りやすいの。そのための薬よ」
さっきの冷酷は顔とは打って変わって、朗らかな表情を見せる。この違いに背中がうすら寒くなる気がした。
「それにしては……」
「さぁ、新しいお茶を飲みなさい。今度は何も入っていないわ」
言葉を遮られ、そう促される。
まるで何も聞くなと言っているかのよう。事実そうなのだろう。私は口を噤んだ。
「いただきます」
私はそれ以上は何も聞かず、目の前に出された紅茶をゆっくりと口に含んだ。
その日、薬師室に戻ったのはかなり遅くなってからで、カザヤ様のお部屋に向かう時間はとっくに過ぎていた。
今からは行けないわね。
ホッとした気持ちと残念な気持ちが入り混じる。
「今……、何をなさってるんだろう」
そっと唇に触れるとあの日を思い出し、胸が苦しくなる。
カザヤ様とどんな顔をして会えばいいのかわからない。でも半面、会えなかったことが残念でたまらない。
結局は会いたいってことなのかな。
自分の複雑な気持ちにため息をつきながら残った仕事を片付けた。
それから、シュウ前王妃は午後や夕方の時間に私を呼びつけた。
処方がない日も、従者が来て私を呼ぶのだ。
最近ずっとだ。
内容は正直どうでもいいことばかり。例えば、毒のある食べ物や植物の話。薬品も使い方や調合によって薬にも毒にもなること。
オウガ様の幼い頃の話や私の子供の頃の話。侍女や使用人の面白い話など、他愛のないことばかりだった。
正直、そんな話は私でなくてもいい。
それでもシュウ前王妃は私を指名してくる。専属薬師という名の下で、実際はただ単に話し相手が欲しいだけなのだろうか……。
名誉あること。そう思う反面、心は此処にあらずになりやすい。
というのも、私は10日もカザヤ様と会っていなかった。
こんなに会えないのは初めてだわ……。
日に日に、カザヤ様はとうしているのだろうと考えてしまう。
「贅沢な悩みね。会えないのが普通なのに」
カザヤ様は国王陛下だ。
本来なら、私のような平民の使用人に気軽に会える立場ではないのだから。
この日もシュウ前王妃の話に付き合っていたら、辺りはすっかり暗くなっていた。最近は暗くなってから帰るのが当然となっている。
ふと時計を見るとシュウ前王妃が声を上げた。
「あぁ、もうこんな時間ね。就業時間がとっくに過ぎているわ」
初めて気が付いたかのように言う。
よく言うわ。いつもそうじゃないの。
思っても口には出さないけれど。
でもつい、シュウ前王妃の言葉に苦笑と呆れが入り交じってしまう。わざとだと私は気が付いていたから。
どんの他愛もない話でも、相手をしていればシュウ前王妃はご機嫌だ。
きっと、こんな風に遅くまで相手してくれる人が欲しいのだろう。……たぶん。
そう思わないとなかなか相手をするのは大変である。
「ではシュウ前王妃、今日はこの辺で失礼いたします」
「えぇ……。ねぇラナ。いつもこんな時間まで引き留めて迷惑かしら?」
「え……?」
この日、初めてそう聞かれた。
まさかそんなことを聞かれるなんて……。
雑談も疲れると、こっそり心の中でため息をついたのがばれたのだろうかとギクリとする。
前王妃はいつものように微笑みを浮かべながらも、その目は私を真っすぐに見つめてくる。
人をとらえて離そうとはしない、捕食者の目のようだと感じた。
ヒヤッとした気持ちになりながら私は首を振る。
「ご迷惑だなんて……。そんなこと思っておりません」
「そう? でも私のところへ来るとカザヤ様には会えないでしょう? 寂しいんじゃないかしらと思って」
シレっとそう言われて、言葉を失った。冷たいものを浴びせられたような気分だ。きっと私は目を丸くしているのだろう。
「なぜ……」
それを知っているの?
かろうじて出た言葉に、シュウ前王妃はにこっと微笑んだ。
「私は何でも知っているのよ。あなたがカザヤ様の専任薬師をしていたことや、国王になってからは毎日のように仕事終わりに部屋へ通っていることとか」
ニコリと微笑まれるが、私は何も言えなかった。
まさか前王妃が知っていたなんて。
実はこのことは一部の人間しか知らされていない。
その中に前王妃は含まれていなかったはず。しかし、知っているということは、きっとその一部の人間から前王妃に情報がもたらされたのだろう……。
まいったな……。
カザヤ様とシュウ前王妃の関係からして、これは好意的にとらえていい話ではないような気がしてしまった。
黙っていると、シュウ前王妃は「あら」と首をかしげた。
「そんな顔をしなくていいのよ、ラナ。以前から、カザヤ様があなたにご執心というのはよくわかっているわ。あなたも大変な人に好かれたものね」
困った顔をしていたのだろう。同情的に話すシュウ前王妃に曖昧に微笑む。
カザヤ様は私にご執心というわけではない。担当薬師だったから、親しくしていただけだ。
だけ? それだけでキスなんてする? はたから見たら、私とカザヤ様の関係は親密に見えるだろう……。シュウ前王妃はどこまで知っているのかしら。
もし、シュウ前王妃にそう写っていたとして、これはカザヤ様に対する嫌がらせなのかしら。
現国王と第一王子の母……。継母と息子……。
以前のカザヤ様の口ぶりからして良好なわけはないのだから、私を使った嫌がらせ位するのかもしれない。
カザヤ様に、「お前の親しい人は私の手にある」という……。
悪い方向ばかりに思考が寄っていってしまい、私は振り払うように頭を軽く押さえた。
勝手な妄想は良くないわ。でも……。
「あら、面白くないという顔ね」
「そんなことは……」
「もしかしてあなたもカザヤ様を?」
そう問われて、咄嗟に首を横に振る。
「とんでもございません」
「そうよね。相手は国王陛下だものね」
あ……、これは……。
牽制されている。そう感じた。カザヤ様には近づくな。そう言われている気がしてならなかった。
「ではまたね、ラナ」
シュウ前王妃の微笑みに追い出されるようにして部屋を出た。
一体どういうこと?
なんだか、あちらこちらから牽制されている気がする。
そうさせるくらいに私の気持ちが駄々洩れなのかしら……?
部屋に帰る途中、そんなことを考えながら首をひねる。みんな私とカザヤ様が特別な距離になることが面白くない様子だ。
あのシュウ前王妃すらも。彼女の意図が見えない。
はぁぁと自然と重いため息が出る。
言われなくても、自分の気持ちに蓋くらいは出来る。
重い気持ちのまま、使用人の塔が立ち並ぶエリアに帰ってきた。
侍女は東塔、私のいる薬師部屋の職員の塔は南塔など部署や役所ごとに区分けされている。その塔まであと少しという時だった。
突然、物陰から腕を強くひかれた。
さっきのことには一度も触れられていない。私もどういう顔をしていいのかわからず、ずっと俯いたままだ。
別れ際にカザヤ様は私の髪をそっと撫でた。
「じゃあ、またな」
その触り方が勘違いしそうになるくらいに優しくて余計に戸惑ってしまう。もっと触れてほしいと思うなんて、私はなんてはしたないんだろう。
名残惜しいだなんて……。
「はい……。ではまた」
自分の気持ちを飲み込んで、私は軽く微笑んだ。
当然、その日の夜は寝ることが出来なかった。何度も何度も唇を撫でる。
かすめる様な風のようなキス。目を丸くした私にカザヤ様は優しい瞳で見つめてくれた。
白昼夢のような、でも現実だ。
「どうしてあんなこと……」
自分の気持ちは不純物だと、見て見ぬふりをしようとしていたのに、それを思いっきり腕を引かれて押しとどめられたような気がする。
カザヤ様は落ち込んでいた私を元気づけるためにあんなことをしたのだろうか?
それとも、キスすることで癒されたかった? カザヤ様にとっては挨拶代わりのようなものなのだろうか?
考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐるする。
こんなんでシュウ前王妃の治療の役に立てるのだろうか。
「仕事に身が入らないよ……」
半泣きで枕にしがみついた。
翌週。
仕事をしていると、さっそくシュウ前王妃の専属医師の使いが処方箋をもってやってきた。
正直、カザヤ様のことばかり考えてしまい、仕事に集中出来なかったから気を引き締める良い機会だ。
「よし」
気合を入れて処方を確認すると、その内容に「おや?」と首をかしげる。
痛み止めか……。この薬なら棚にストックがあるから、新たに調合する必要はないだろう。
「でも……」
私は小さく呟いて眉を寄せる。
この痛み止めはやや強いやつだ。これが欲しいということはどこかお体に、はっきりとした痛みがあるということ。専属医師からは何も説明がないし、詮索はしたくないけれど……。
やはりお体の調子が良くはないのだろうか。
先日、薬師室へ来たシュウ前王妃を思い出す。
あの時は見た限り、特に不調そうな様子は感じられなかったが……。
聞いてみようか。
気になった私はシュウ前王妃の専属医師を訪ねて話を聞こうとしたが、詳しい病状についてははぐらかされてしまった。
「専属薬師として患者の症状は知っておくべきです」
そう伝えたが歯切れが悪い。そして忙しいからと部屋を追い出されてしまった。
専属医師の対応にモヤモヤする。
まるでシュウ前王妃から口止めされているかのよう……。
ああ、そうか。
口止めされてるのか。だから言えない? 私にも?
つまり本当にお加減が悪い? 口外出来ない理由がある?
色々考えてため息をついた。
「余計なことを考えるのは止めよう……」
王族が病状を専属医師で口止めすることはよくあることだ。私は指示された事を黙ってこなすだけ。あれこれ詮索は良くない。
「仕方ない」
私は薬棚から処方分をもってシュウ前王妃の元へと向かった。
シュウ前王妃のいる塔は王宮敷地の北側にある。カザヤ様がいる塔が南東なので、意図的に離したのだろうかと思うほど距離があった。私たちがいる薬師部屋からも少し遠い。
私は迷わないよう、渡された地図をもとにシュウ前王妃の元へと急いだ。
塔の扉の前で身分証カードを見せると、すでに話が通っていたようで衛兵一人を伴いシュウ前王妃の部屋へ案内される。
カザヤ様の塔とは違い、女性の侍女があちこちで仕事をしていた。華やかである。
奥まで案内され、大きな扉の前に立つ。ゆっくりと三回ノックした。
「シュウ前王妃様。薬師のラナでございます。お薬を届けに参りました」
そう一言声をかけると扉が開く。
顔を見せたのはシュウ前王妃ではなく侍女だった。侍女に促され室内へ入る。室内は香水のような花のような良い香りがした。
「ラナ。早かったわね。ありがとう」
シュウ前王妃が微笑みながら向かってくる。礼を取り、手元の薬籠から処方分を手渡した。
「頓服として処方されておりますので、痛みがある時にお飲みください。シランという少し強めの薬草が使われておりますので、薬を飲む間隔は必ず6時間ほどお開け下さい」
「わかったわ」
シュウ前王妃は薬を棚に置くと、私を振り返った。
「ラナ、少しお茶をしていかない? 話し相手がいなくて暇していたの」
そう聞きながらも、すでに侍女に指示して紅茶を入れ始めている。
これは断れる雰囲気ではないわ……。あ、まさか病状の説明があるとか?
強引さに驚きつつも私は恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます。光栄でございます」
「こちらへ座って」
促されるまま、窓際の椅子へと腰掛けた。向かいにはシュウ前王妃が座る。そして侍女がそれぞれに紅茶を出してくれた。
「どうぞ」
「いただきます」
進められたので、一口紅茶を口に含む。
ん……? これは……。
微かに苦みを感じた。私はまたカップに手を付けていないシュウ前王妃に言った。
「シュウ前王妃様、飲んではなりません」
私を見つめていたシュウ前王妃が、器用に片眉を上げて「なぜ?」と聞き返す。その表情はどこか余裕を感じる。
「紅茶から微かに苦みを感じました。舌がほんの少しピリピリします。私は多少なりとも耐性があるので大したことはありませんが、シュウ前王妃様が飲んで良いものではございません」
私のきっぱりとした口調に、シュウ前王妃は一瞬目を細めると軽く手を上げた。入口に控えていた衛兵が紅茶を入れた侍女をとらえる。侍女は小さな悲鳴を上げ、真っ青になりながらカタカタと震えていた。
「この者は先月から私付きになったばかりですの。時々視線が鋭かったから注意していたのだけどね……」
シュウ前王妃は立ち上がると紅茶のポットを開けた。私もその手元を覗き込む。よく見ると、紅茶の茶葉に紛れて違う葉が混入していた。
「毒はどれ?」
「これです。パッと見だと分からないかもしれませんね」
これは知識のある者でなければ見分けはつかない。しかも、紅茶が採れる場所には咲かない葉なので意図的でないと混入はしない
「この葉はしびれや麻痺を起こさせる毒葉です。少量なら大したことはありませんが、大量にまたは毎日のように摂取し続けると神経に影響が現れます。紅茶の葉に紛れるとそれとはわかりにくいですが……」
私はその葉を手に取って眺めた。そして捕らえられた侍女を振り返る。
「どこで手に入れましたか? ここら辺では取れない葉です。もっと南東の地域でないと」
私の疑問に侍女は震えた。
「答えよ」
シュウ前王妃の低く鋭い声にビクッと体を震わせると、ポツリポツリと話だした。
「南東出身なので手に入りやすい環境におりました」
「理由は?」
聞かれるというより問いただす口調に侍女は観念したように口を開く。
「……昔、王妃が視察の際に、私の村の特産だったフルーツを一口食べてまずいとお仰いました。それ以降、その食べ物はまずいものだと噂され、私たちの村はそのフルーツが作れなくなり廃れて貧しい村に成り下がりました。私の実家も……今ではもう日々の暮らしだけで精一杯です……」
侍女は震えながらも悔しそうに唇を噛む。
「許せなかったんです。あのフルーツは本当に美味しいもの。王妃が気に入らなかっただけで、あんなことになるなんて……。だから王妃付き侍女になれた時、チャンスだと思いました。少し痛い目をみればいいって……」
「それでこんな事を?」
私の声に侍女は涙を浮かべた顔を上げて訴えた。
「でも……! でも殺すつもりはありませんでした! 少し体調を崩すくらいなら大丈夫だろうと思って……」
そう言って侍女は泣き崩れた。
私は横目でちらりとシュウ前王妃を見る。
シュウ前王妃はその傍若無人な振る舞いで、オウガ様が産まれて第一王妃が亡くなられた後なんかは、特に公務の視察の際などはやりたい放題だったと聞いたことがある。
シュウ前王妃の、その日の体調や気分によって食べ物や商品の良し悪しが変わる。一時、名産を作る地域ではシュウ前王妃に戦々恐々をしていたと聞いたことがあった。
この侍女はその犠牲者でもあるのだろう。
同情はする。でも気の毒だけど、私がこの場でこれ以上、彼女に何か声をかけられる立場にはいない。
理由はどうであれ、彼女が前王妃に毒を仕込んだという事実は変えられないもの……。
黙って控えていると、シュウ前王妃は軽いため息をついた。
「要は復讐ね。ふふ、この私に? あなた面白いことをするのね」
その声はハッとするほど、とても冷たい響きを含ませていた。目も顔も冷たい。今すぐ目の前で侍女が切られてもおかしくないほど、空気が張り詰めていた。
「まぁいいわ。あなたにはもう二度と会うことはないのだから」
鬱陶しそうに手を払う仕草をすると、衛兵は侍女を引きずるようにして部屋を出て行った。絶望の表情をして侍女は言葉も何もなく連れていかれた。
彼女が去って行った方を見つめた。
理由はなんであれ、未遂とはいえ前王妃に毒を盛った罪は重い。きっと軽い処罰では済まないでしょうね……。
シュウ前王妃は手を叩き、他の侍女を呼びつけて紅茶を入れなおさせる。古参の侍女なのか、表情一つ変えずに準備をしていた。
「全く、せっかくのお茶の時間が台無しよね」
そう話す前王妃の目は笑っていない。どこか私を探るような目だ。私がどこまで気が付いているのか知りたいとでもいうかのように。
なるほど、そういうことか。
「ラナ、怒っている?」
「とんでもございません。ただお一つだけご確認を……。シュウ前王妃様は先ほどの侍女が紅茶を入れるタイミングで、私を呼びよせたんですよね? 紅茶に毒が入っているか確かめさせるために」
薬師なら多少の毒の耐性はあるということは知っていたのだろう。だからこそ、彼女のすることを黙って見ながら私に捕らえるきっかけを作らせたのだ。
「えぇ、そうよ。ダメだったかしら?」
悪びれることなく微笑む。
「いいえ。シュウ前王妃様のお体を守ることができて光栄でございます」
本来なら王族の食べ物は毒見役の人間がいる。
しかし侍女など近しい人間が企むと、いつどこで毒が入るかわからない。だからこそ、本当に信が置ける人間しか側に置けないのだ。
きっとあの侍女は優秀で仕事も真面目にこなしていたのだろう。その努力が実って王族付きになった。しかし、そのことで心に眠っていた憎しみに火がついたのだ。
そして彼女の不穏さに気が付いたシュウ前王妃。だから、新しい専任薬師を得たことでその薬師を試してみようと考えたのだろう。
「はぁ~あ、また新しい替えを見つけなきゃ」
替え……か。
まるで侍女を使い捨てのコマのような言い方をする。一瞬不快感がよぎるが、もちろんそれは顔に出すことはない。
あ、まさか……!
「シュウ前王妃様、もしかして以前からあの侍女に毒を盛られていましたか? だからお体に痛みが? そのための痛み止めですか?」
だとしたらあの処方は納得がいく。
そう聞くと、シュウ前王妃は可笑しそうに笑った。
「違うわ。毒を盛られたのは今回が初めてよ。痛み止めは、もう年だからあちこち体に痛みが走りやすいの。そのための薬よ」
さっきの冷酷は顔とは打って変わって、朗らかな表情を見せる。この違いに背中がうすら寒くなる気がした。
「それにしては……」
「さぁ、新しいお茶を飲みなさい。今度は何も入っていないわ」
言葉を遮られ、そう促される。
まるで何も聞くなと言っているかのよう。事実そうなのだろう。私は口を噤んだ。
「いただきます」
私はそれ以上は何も聞かず、目の前に出された紅茶をゆっくりと口に含んだ。
その日、薬師室に戻ったのはかなり遅くなってからで、カザヤ様のお部屋に向かう時間はとっくに過ぎていた。
今からは行けないわね。
ホッとした気持ちと残念な気持ちが入り混じる。
「今……、何をなさってるんだろう」
そっと唇に触れるとあの日を思い出し、胸が苦しくなる。
カザヤ様とどんな顔をして会えばいいのかわからない。でも半面、会えなかったことが残念でたまらない。
結局は会いたいってことなのかな。
自分の複雑な気持ちにため息をつきながら残った仕事を片付けた。
それから、シュウ前王妃は午後や夕方の時間に私を呼びつけた。
処方がない日も、従者が来て私を呼ぶのだ。
最近ずっとだ。
内容は正直どうでもいいことばかり。例えば、毒のある食べ物や植物の話。薬品も使い方や調合によって薬にも毒にもなること。
オウガ様の幼い頃の話や私の子供の頃の話。侍女や使用人の面白い話など、他愛のないことばかりだった。
正直、そんな話は私でなくてもいい。
それでもシュウ前王妃は私を指名してくる。専属薬師という名の下で、実際はただ単に話し相手が欲しいだけなのだろうか……。
名誉あること。そう思う反面、心は此処にあらずになりやすい。
というのも、私は10日もカザヤ様と会っていなかった。
こんなに会えないのは初めてだわ……。
日に日に、カザヤ様はとうしているのだろうと考えてしまう。
「贅沢な悩みね。会えないのが普通なのに」
カザヤ様は国王陛下だ。
本来なら、私のような平民の使用人に気軽に会える立場ではないのだから。
この日もシュウ前王妃の話に付き合っていたら、辺りはすっかり暗くなっていた。最近は暗くなってから帰るのが当然となっている。
ふと時計を見るとシュウ前王妃が声を上げた。
「あぁ、もうこんな時間ね。就業時間がとっくに過ぎているわ」
初めて気が付いたかのように言う。
よく言うわ。いつもそうじゃないの。
思っても口には出さないけれど。
でもつい、シュウ前王妃の言葉に苦笑と呆れが入り交じってしまう。わざとだと私は気が付いていたから。
どんの他愛もない話でも、相手をしていればシュウ前王妃はご機嫌だ。
きっと、こんな風に遅くまで相手してくれる人が欲しいのだろう。……たぶん。
そう思わないとなかなか相手をするのは大変である。
「ではシュウ前王妃、今日はこの辺で失礼いたします」
「えぇ……。ねぇラナ。いつもこんな時間まで引き留めて迷惑かしら?」
「え……?」
この日、初めてそう聞かれた。
まさかそんなことを聞かれるなんて……。
雑談も疲れると、こっそり心の中でため息をついたのがばれたのだろうかとギクリとする。
前王妃はいつものように微笑みを浮かべながらも、その目は私を真っすぐに見つめてくる。
人をとらえて離そうとはしない、捕食者の目のようだと感じた。
ヒヤッとした気持ちになりながら私は首を振る。
「ご迷惑だなんて……。そんなこと思っておりません」
「そう? でも私のところへ来るとカザヤ様には会えないでしょう? 寂しいんじゃないかしらと思って」
シレっとそう言われて、言葉を失った。冷たいものを浴びせられたような気分だ。きっと私は目を丸くしているのだろう。
「なぜ……」
それを知っているの?
かろうじて出た言葉に、シュウ前王妃はにこっと微笑んだ。
「私は何でも知っているのよ。あなたがカザヤ様の専任薬師をしていたことや、国王になってからは毎日のように仕事終わりに部屋へ通っていることとか」
ニコリと微笑まれるが、私は何も言えなかった。
まさか前王妃が知っていたなんて。
実はこのことは一部の人間しか知らされていない。
その中に前王妃は含まれていなかったはず。しかし、知っているということは、きっとその一部の人間から前王妃に情報がもたらされたのだろう……。
まいったな……。
カザヤ様とシュウ前王妃の関係からして、これは好意的にとらえていい話ではないような気がしてしまった。
黙っていると、シュウ前王妃は「あら」と首をかしげた。
「そんな顔をしなくていいのよ、ラナ。以前から、カザヤ様があなたにご執心というのはよくわかっているわ。あなたも大変な人に好かれたものね」
困った顔をしていたのだろう。同情的に話すシュウ前王妃に曖昧に微笑む。
カザヤ様は私にご執心というわけではない。担当薬師だったから、親しくしていただけだ。
だけ? それだけでキスなんてする? はたから見たら、私とカザヤ様の関係は親密に見えるだろう……。シュウ前王妃はどこまで知っているのかしら。
もし、シュウ前王妃にそう写っていたとして、これはカザヤ様に対する嫌がらせなのかしら。
現国王と第一王子の母……。継母と息子……。
以前のカザヤ様の口ぶりからして良好なわけはないのだから、私を使った嫌がらせ位するのかもしれない。
カザヤ様に、「お前の親しい人は私の手にある」という……。
悪い方向ばかりに思考が寄っていってしまい、私は振り払うように頭を軽く押さえた。
勝手な妄想は良くないわ。でも……。
「あら、面白くないという顔ね」
「そんなことは……」
「もしかしてあなたもカザヤ様を?」
そう問われて、咄嗟に首を横に振る。
「とんでもございません」
「そうよね。相手は国王陛下だものね」
あ……、これは……。
牽制されている。そう感じた。カザヤ様には近づくな。そう言われている気がしてならなかった。
「ではまたね、ラナ」
シュウ前王妃の微笑みに追い出されるようにして部屋を出た。
一体どういうこと?
なんだか、あちらこちらから牽制されている気がする。
そうさせるくらいに私の気持ちが駄々洩れなのかしら……?
部屋に帰る途中、そんなことを考えながら首をひねる。みんな私とカザヤ様が特別な距離になることが面白くない様子だ。
あのシュウ前王妃すらも。彼女の意図が見えない。
はぁぁと自然と重いため息が出る。
言われなくても、自分の気持ちに蓋くらいは出来る。
重い気持ちのまま、使用人の塔が立ち並ぶエリアに帰ってきた。
侍女は東塔、私のいる薬師部屋の職員の塔は南塔など部署や役所ごとに区分けされている。その塔まであと少しという時だった。
突然、物陰から腕を強くひかれた。