王宮に薬を届けに行ったなら
3.黒ずくめとカザヤ様
最高……!
極上のお風呂に満足した私は上機嫌で部屋に戻った。
なんだかんだ言いつつ堪能してしまった……。
つるつるになった肌に、なめらかな生地のワンピース型の夜着がとても着心地がいい。
こんな服、初めて着たわ。こんなに良い服、一生に一度しか着れないわね。
そもそも、お風呂に入るかどうしようか散々迷ったけど、やはり一日仕事をして薬と汗にまみれた体のままカザヤ様の近くにいるのは気が引けた。
なにより、あの素敵なお風呂に心惹かれたのだ。
「豪華なお風呂だったわ」
貴重な体験! でも、いつもここにカザヤ様が入浴されているのかと思うと……! ああ、のぼせそう。
浴室ではずっとドキドキしていたけれど、でもさっぱりしたし結果入って良かったと思っている。
ルンルンと機嫌よく出てくると、リビングに居たカザヤ様が紅茶を入れてくれた。
「ハッ! いけません、カザヤ様! それは私がいたしますから!」
「いいから。俺も飲むついでだ」
そう優しく微笑まれて真っ赤になる。
さっきから、カザヤ様が気安い方だからつい甘えてしまいそうになるが、相手は一国の王子だ。
本来なら私がやるべきことなのに……。
「申し訳ありません……」
不甲斐なさからうな垂れる私に、カザヤ様はポンっと頭を撫でた。
「ここに居ろと命じたのは俺だ。俺の部屋にいるラナは客人なんだから黙ってもてなされていろ」
もう十分もてなされている気がする。
立派な食事に豪華なお風呂。王子に入れてもらった紅茶。こんな経験、二度とすることはないだろう。
なにより、動くカザヤ様は貴重だ。というか初。
「どうした? 湯あたりでもしたか?」
ジッーと見つめていたので、怪訝そうな顔をされてしまった。
「いえ……。動き回るカザヤ様を見つめておりました」
正直に伝えると、ふっと笑われる。
「見つめてどう思った?」
「不思議だなと……。私が知っているカザヤ様はいつもベッドの中で青白い顔をしていました。こんな風に動き回るところを見たことがありません」
「ああ、そう言われるとそうだな。病弱な俺にこんなに筋肉がついていたらおかしいだろう? バレないようにいつもベッドの中にいて体を隠していた」
それでいつも顔しか出ていなかったか。
カザヤ様はスラッとしているけれど、服の上からも筋肉が付いていることはわかる。
確かに一目で病弱の体つきではないとわかる。
「ラナが来る前はいつも騎士団に紛れて訓練に参加して、慌てて戻ってベッドにもぐるから酸欠で顔が青白くなるんだろう」
おかしそうに笑うカザヤ様に目を見開く。
そういうことか!
「だからいつも薄っすらと汗をかいていたのですね!」
パズルがどんどんとはまっていく感じがする。
すると、カザヤ様は私の前に立ちそっと髪に触れた。今までにない近い距離にドキンと胸が高鳴る。
「そういえば、髪飾り飾りはつけてくれないのか? 気に入らなかった?」
貰ったあの髪飾り?
「い、いえ! すごく気にいりました。なんだか着けるのがもったいなくて……。大切にここに」
そう言って鞄の中を見せると、髪飾りが大切に保管されていた。
今は風呂上がりなので結いていないが、いつか着けてみようとは思っていた。
「そうか、良かった。喜んでもらえたならすごく嬉しい。でも俺の前ではつけてもらえると、なお嬉しいけどな」
カザヤ様が嬉しそうに笑う。その姿に胸がキュンと苦しくなった。
「あの……」
「どうして私なんかにこの髪飾りをくれたんですか?」そう聞こうと口を開いた時だった。
部屋の扉が「コンコン」と叩かれる。とたんにカザヤ様がハッとした表情になり、一気に空気が硬くなり緊張が走った。
え……、なに?
険しいカザヤ様の表情に、私もただならぬ空気を感じ取る。
奥の部屋の続き扉からそっとバルガが入ってきた。その手には剣が握られている。
ピリピリとした空気の中、二人は目くばせをしあうとゆっくりと身構えた。
何が起こるの……?
「離れてろ」
私を後ろへと押しのけると、カザヤ様は益々険しい顔つきになる。
再びコンコンとノックが聞こえた。
なんだろう……、ノック音に紛れて微かに何か音が聞こえる。
「はい?」
一呼吸置いて、カザヤ様は静かな声でそう返事をした。私がいつも薬を届けに行っていた時と同じ、弱々しさを感じる声。
偽りの姿の声だ。
カザヤ様がその声を出すということは、扉の先にいるのは病弱なカザヤ様しか知らない人だと察する。
「カザヤ王子殿下、夜分遅くに申し訳ありません。殿下の専属医師であるモレイン様から手紙を預かっております」
「モレインから……? では、そこに置いといてくれないかな?」
「承知いたしました」
そして扉の下の隙間から手紙が差し込まれる。その手紙には確かにモレイン医師の署名が見えた。
数秒空けて、バルガがそれをスッと引いて受け取った瞬間。
鍵がかかっていた扉が勢いよく開かれ、黒ずくめの男たちが4人入ってきた。
バルガはとっさに身をひるがえし、腰に下げていた剣を引き抜いて、先頭で飛びかかってきた一人の黒ずくめをためらいなく切る。
「ひっ……!」
私は目の前の戦闘に血の気が引いて、恐怖から悲鳴すら上げられないでいた。ただ震えながら口を押さえる。
「カザヤ様!」
バルガの声に黙って立っていたカザヤ様は、向かってきた黒ずくめを一瞬で、手にしていた剣で薙ぎ払った。
動じずその素早い身のこなしに、他の三人が一瞬怯んだ様子を見せる。その隙にカザヤ様は男たちと大きく距離を取った。
「ラナを奥へ!」
「はい!」
バルガが私を押して奥の部屋へ逃げるよう促す。
「こっちへ」
「は、はい!」
急がなければと思うのに足がもつれる。
その動きに当然男たちも反応した。二人がカザヤ様に向き合い、一人がこちらへ駆けてくる。
血走った相手の目にとてつもない恐怖が走る。
「キャァァ!」
バルガが私の前に立ち、剣を抜いて男と対峙した。腰が抜けた私は床に這いつくばりながら、奥の部屋へと逃げる。
仕事で慣れているはずの血の匂いに吐き気がしてくる。
なにより、怖くてたまらなかった。
薬師として剣の傷や出血、生々しい怪我など数え切れないほど見てきた。
でもそれは事後のことだ。
今目の前で広げられているのは、生きるか死ぬかの命がけの戦闘場面である。
こんな状況は遭遇したことがない。身体が震えて力が入らなかった。
すると。
「お待たせしました!」
黒ずくめの男たちが入ってきた扉から、王宮騎士団隊長ワサトが走ってきた。
重そうな甲冑などなんなく、走りながら男たちを倒してカザヤ様の側まで行く。
「カザヤ様、遅くなってすみません。廊下にもこいつらの仲間がうじゃうじゃしていたもので。外は部下が対応しており、時期に制圧出来ます」
「そうか。よく来た、ワサト」
カザヤ様はニッと笑みを浮かべると、向かってくる男たちを相手に剣を合わせる。
その光景に私は隠れ震えながら唖然と見ていた。
凄い……!
ワサト隊長はもちろんだが、カザヤ様はそれに引けを取らないほど強い。バルガも十分な身のこなしだが、二人に比べると劣るのは確かだ。
「あんなにお強いなんて……」
カザヤ様たちは後から次々とやってくる黒ずくめの男たちをいとも簡単に制圧していく。勝敗が見えてきた。
力の差が歴然なのである。
するとその時、私の近くにある窓ガラスが激しく割られ、一人の黒ずくめの男が侵入してきた。そして私に手を伸ばすと、後ろからはかいじめにしてくる。
しまった!
「きゃぁぁ!」
「うるさい! 黙れっ!」
私の叫びを聞いて、カザヤ様が駆け付けた。
う、嘘でしょう!?
私は首筋にナイフを当てられ、身動きが取れない。恐怖から足が震えてくる。
ダメ、怖い! 助けて!
「ラナ!」
「来るなよ、カザヤ王子。来たらこの女を殺すぞ」
黒ずくめの男は、ニヤニヤしながら私の首筋を見せつける様にナイフを突きつける。
他の男たちは倒したのか、ワサト隊長とバルガも駆け付けたが、この状況に足が止まる。
「お前……。ここは王子殿下の居室だぞ。場をわきまえろ」
ワサト隊長の言葉に黒ずくめが失笑する。
「仲間を散々倒しておいてそのセリフはないだろう。俺たちはカザヤ王子に死んでもらわないといけない。そのためには何でもするさ」
下卑た笑いをする黒ずくめにカザヤ王子は一歩近寄った。
「俺を殺すように命じたのは王妃か? それとも第二王子か?」
「どっちだっていいだろう!!」
叫ぶ黒ずくめの男に、呆れたようにため息をついたのはワサト隊長だ。
「お前、今、第二王子という言葉にかすかに瞼が痙攣したぞ。つまり、命令したのは第二王子か……。結構な人数集めやがって。ここまで大人数とは思いもしなかったぞ」
カザヤ様は黙ったまま動じた様子もなくゆっくりとこちらへ歩いてくる。その様子に黒ずくめの男が慌てた。
「来るな! この女を殺すぞ!」
すると、カザヤ様はフッと体の力を抜いて表情を緩めた。
「その人を離してください。僕を殺しに来たのなら、僕にナイフを突きつければいいだけですよね?」
小さく弱々しい声に、「僕」発言。
思わずカザヤ様を見るが、その姿は以前のような病弱な頼りなげなカザヤ様の姿があった。
「ほら、丸腰です。まぁ、そうでなくても、僕よりあなたの方が強いかもしれませんし……」
カザヤ様は持っていた剣を床に落として両手をあげてみせた。その気弱な様子に黒ずくめは自分の勝ちを確信してニヤァァと笑う。
予想通り、思いっきり私を床に突き飛ばすと、ナイフを振り上げてカザヤ様に向かって走り出した。
「カザヤ王子、死ねぇぇ!!」
「ワサト!!」
カザヤ様の鋭い一言に、ワサト隊長は床に落ちたカザヤ様の剣を拾い上げ、それを横に出したカザヤ様の手にほおり投げた。
黒ずくめから目を離さないまま、その剣を受けとるとカザヤ様は大きく振りかざした。
速い!
それは一瞬の出来事だった。
黒ずくめの男は血しぶきをあげながら床に倒れ込む。あまりの速さに黒ずくめの男は一瞬不思議そうな顔をしたほどだ。
そう、カザヤ様の動きの方が断然素早かったのである。
息一つ乱していないカザヤ様は、剣に付いた血のりを払った。
「悪いな。俺の方が強かったみたいだ」
足元に転がる黒ずくめの男に、カザヤ様は冷たく言い放つ。
「なん……で……」
黒ずくめの男は驚きを隠せないでいた。
この人は外から侵入してきたので、室内でのカザヤ様の強さを知らなかった。
だから、男を油断させるための演技をしたカザヤ様に騙されたのだ。
「バルガ様」
不意に部屋の隅で人影が動いて声をかけた。
また敵かとビクッとする私に反して、バルガもカザヤ様も動じない。
ということは、味方……?
控えていたその人影はバルガに何か耳打ちすると、いつの間にか消えていた。
「カザヤ様。たった今、伝令が……。国王陛下が崩御され、司教よりカザヤ様が次期国王陛下になられると宣言があったそうです」
「そうか……」
カザヤ様は大きくハァァと息を吐く。
バルガとワサト隊長はその場に膝をつき、「国王陛下、おめでとうございます」と礼をした。
「ありがとう。二人のお陰だ。それにしても予想よりも多かったな」
「申し訳ありませんでした。廊下で食い止めていたのですが、あまりの人数の多さに手を焼きまして……」
ワサト隊長の言葉にバルガが眉を顰める。
「偽りの手紙を渡す時に、扉の前にいた衛兵はなぜ止めなかったのです?」
「……部下は殺られました。その隙を突いて部屋に押し入ったようです」
ワサト隊長は顔を歪め、苦しそうな顔をした。
手紙が差し入れされた時に微かに聞こえた声は外で戦う喧騒だったのだ。
きっとバルガもカザヤ様もそれに気が付いていたのだろう。
「隊長の部下については残念だった。他にも負傷した騎士もいるだろう。よく頑張ってくれた」
「ありがとうございます」
カザヤ様はそう言うが、二人はまだこうべを垂れたままだ。
私も同じようにしなければならないのに、体に力が入らず、床にへたり込んだまま。カザヤ様はそれを見て手を差し伸べてきた。
「ラナ、大丈夫か?」
「カザヤ様……、あの……」
思っていた以上に恐怖が押し寄せて、手が震えて言葉も出ない。自分でも血の気が引いているのが分かった。
部屋の中は血だらけで、ムッとした血の臭いが充満している。初めて人が切られるのを目の前で見てしまった。
一歩間違えたら、自分もあそこに仲間入りしていたかもしれないと思うとぞっとする。
立ち上がれないでいると、私の様子を見たカザヤ様が私の体に手を差し込み一気に抱き上げた。
「きゃあ!! カザヤ様、降ろしてください!」
「何を言う。立ち上がれないくせに」
咄嗟に首に抱き着くが、慌てて離れる。しかし、カザヤ様はそのままギュッと私を自分の方へ寄せた。
触れ合うカザヤ様の体はがっちりとしていて筋肉質で硬い。自分とは全く違うその体に顔が赤くなるのを感じた。
「カザヤ様、降ろしてください」
恥ずかしさから顔を覆って訴える私を無視して、カザヤ様は続き扉があるさらに奥の部屋へと向かった。
そこは戦闘場所にはなっていなかったので、血ひとつない綺麗な状態のままだ。嫌な臭いも一切ない。
「隣の客室だ。俺の部屋は血まみれだからな。しばらくここで休むといい」
「あ、ありがとうございます」
カザヤ様は広いベッドに私をそっと降ろした。そして軽く頭を撫でると、戻ろうと踵を返す。
あ、行ってしまう……!
「カ、カザヤ様!」
「なんだ?」
「あ、あの……」
つい呼び止めてしまったが、続ける言葉が見つからない。呼び止めた手前、何を言っていいのかわからず口ごもるとカザヤ様は優しく微笑んだ。
「すぐに戻るから」
そう言うと部屋を出て行ってしまった。
扉の奥ではカザヤ様が何か指示する声が聞こえる。きっとこれから片付けをするのだろう。
ハァァとため息をつくと、クラッとめまいがする。血の臭いに当てられたのだろうか。慣れているはずなのに……。
私は仕方なくそのままベッドの上に寝転がった。
この短時間で色々ありすぎて、もう頭がパンクしそうだ。
でもカザヤ様に触れて、さっきまでの震えが治まっていた。
カザヤ様が戻るまで、しばらくこうして横になっていよう。そう思いながら目を閉じた。
――――
「大丈夫か?」
薄暗い中、ふいに低い気遣う声が聞こえて目を開ける。ベッドサイドでカザヤ様が心配そうに私を覗き込んでいた。
「カザヤ様!」
慌てて起き上がろうとするが、頭がズキッと痛んで倒れ込む。棚の上の時計を見ると1時間ほどウトウトしていたらしい。
「どうした? 怪我でもしたか?」
「いえ……、たぶん血の匂いに当てられただけだと思います」
「そうか、無理するな。今日はそのままここで休むといい」
そういうとカザヤ様も私の横にゴロン倒れ込んだ。それに思わず目を見張る。
えぇ!? 同じベッドに横になるなんて!
慌てて起き上がろうとするが、カザヤ様が私の腕を掴んでベッドに引き戻す。
「大丈夫だからゆっくりしろ」
「し、しかし……」
「いいから」
そう言われてもゆっくりなんてできない。
でも動くと頭に響くし、そもそも起き上がる気力がない。仕方なくそのまま横になった。
カザヤ様は私の方を向く。
あぁ、距離が近い……。どうしたらいいの……。
綺麗な顔が自分に向いているというだけでドキドキするのに、カザヤ様の私を見つめる目が優しくて胸が苦しくなった。
病弱演技の時とは違う。さっきまでの凛とした強さを滲ませる時とも違う。
甘くて、優しくて、絡みついてくるような……。
あぁ、無理! 何か話さないと持たない!
「あ、あちらはもういいんですか?」
「あぁ。部屋の洗浄は終わったからな。臭いも汚れも何一つ形跡は残っていない。まぁ、とは言えいい気分はしないから、いずれは部屋替えをするが……」
カザヤ様はなんてことない風に軽い口調で話す。
「それに一応、もう侵入者がないように最大限警備が手厚くなっている。同じ過ちは起こさない。だから安心して眠っていい」
カザヤ様はそう囁くと私の頭を優しく何度も撫でた。
ドキドキするけど……、凄く心地いい。全ての恐怖が取り除かれるようだ。
私はホゥと小さく息を吐いた。
カザヤ様の大きくて温かい優しい手は私に安心感を与える。頭の痛みがゆっくりと引いていった。
「私がお部屋にいたことで邪魔してしまったのではないですか? 黒ずくめの男の人に捕まって、ご迷惑をおかけしてしまいました……。すみませんでした」
謝罪をすると、カザヤ様は「それは違う」とはっきり言った。
「それはこちらのミスだ。外にはワサト隊長を筆頭に警護をかなり厚くしておいた。それなのに部屋に侵入されてしまった。まさかあの人数で突撃してくるとは思わなくてな。ラナには怖い思いをさせて、申し訳なかったと思っている」
「カザヤ様が謝る事ではありません。守ってくださってありがとうございました」
お礼を伝えると苦笑される。
「もちろん守るよ。……俺の大切な薬師だからな」
後半のセリフが小さくて聞き取れなかった。
「カザヤ様……?」
「もういい。少し寝ろ。な?」
寝るつもりなどない。眠れるはずがない。なのに、カザヤ様が何度も優しく頭を撫でるから瞼が重くなってくる。
気が付いたときは、窓から朝の光が差し込んでいた。
極上のお風呂に満足した私は上機嫌で部屋に戻った。
なんだかんだ言いつつ堪能してしまった……。
つるつるになった肌に、なめらかな生地のワンピース型の夜着がとても着心地がいい。
こんな服、初めて着たわ。こんなに良い服、一生に一度しか着れないわね。
そもそも、お風呂に入るかどうしようか散々迷ったけど、やはり一日仕事をして薬と汗にまみれた体のままカザヤ様の近くにいるのは気が引けた。
なにより、あの素敵なお風呂に心惹かれたのだ。
「豪華なお風呂だったわ」
貴重な体験! でも、いつもここにカザヤ様が入浴されているのかと思うと……! ああ、のぼせそう。
浴室ではずっとドキドキしていたけれど、でもさっぱりしたし結果入って良かったと思っている。
ルンルンと機嫌よく出てくると、リビングに居たカザヤ様が紅茶を入れてくれた。
「ハッ! いけません、カザヤ様! それは私がいたしますから!」
「いいから。俺も飲むついでだ」
そう優しく微笑まれて真っ赤になる。
さっきから、カザヤ様が気安い方だからつい甘えてしまいそうになるが、相手は一国の王子だ。
本来なら私がやるべきことなのに……。
「申し訳ありません……」
不甲斐なさからうな垂れる私に、カザヤ様はポンっと頭を撫でた。
「ここに居ろと命じたのは俺だ。俺の部屋にいるラナは客人なんだから黙ってもてなされていろ」
もう十分もてなされている気がする。
立派な食事に豪華なお風呂。王子に入れてもらった紅茶。こんな経験、二度とすることはないだろう。
なにより、動くカザヤ様は貴重だ。というか初。
「どうした? 湯あたりでもしたか?」
ジッーと見つめていたので、怪訝そうな顔をされてしまった。
「いえ……。動き回るカザヤ様を見つめておりました」
正直に伝えると、ふっと笑われる。
「見つめてどう思った?」
「不思議だなと……。私が知っているカザヤ様はいつもベッドの中で青白い顔をしていました。こんな風に動き回るところを見たことがありません」
「ああ、そう言われるとそうだな。病弱な俺にこんなに筋肉がついていたらおかしいだろう? バレないようにいつもベッドの中にいて体を隠していた」
それでいつも顔しか出ていなかったか。
カザヤ様はスラッとしているけれど、服の上からも筋肉が付いていることはわかる。
確かに一目で病弱の体つきではないとわかる。
「ラナが来る前はいつも騎士団に紛れて訓練に参加して、慌てて戻ってベッドにもぐるから酸欠で顔が青白くなるんだろう」
おかしそうに笑うカザヤ様に目を見開く。
そういうことか!
「だからいつも薄っすらと汗をかいていたのですね!」
パズルがどんどんとはまっていく感じがする。
すると、カザヤ様は私の前に立ちそっと髪に触れた。今までにない近い距離にドキンと胸が高鳴る。
「そういえば、髪飾り飾りはつけてくれないのか? 気に入らなかった?」
貰ったあの髪飾り?
「い、いえ! すごく気にいりました。なんだか着けるのがもったいなくて……。大切にここに」
そう言って鞄の中を見せると、髪飾りが大切に保管されていた。
今は風呂上がりなので結いていないが、いつか着けてみようとは思っていた。
「そうか、良かった。喜んでもらえたならすごく嬉しい。でも俺の前ではつけてもらえると、なお嬉しいけどな」
カザヤ様が嬉しそうに笑う。その姿に胸がキュンと苦しくなった。
「あの……」
「どうして私なんかにこの髪飾りをくれたんですか?」そう聞こうと口を開いた時だった。
部屋の扉が「コンコン」と叩かれる。とたんにカザヤ様がハッとした表情になり、一気に空気が硬くなり緊張が走った。
え……、なに?
険しいカザヤ様の表情に、私もただならぬ空気を感じ取る。
奥の部屋の続き扉からそっとバルガが入ってきた。その手には剣が握られている。
ピリピリとした空気の中、二人は目くばせをしあうとゆっくりと身構えた。
何が起こるの……?
「離れてろ」
私を後ろへと押しのけると、カザヤ様は益々険しい顔つきになる。
再びコンコンとノックが聞こえた。
なんだろう……、ノック音に紛れて微かに何か音が聞こえる。
「はい?」
一呼吸置いて、カザヤ様は静かな声でそう返事をした。私がいつも薬を届けに行っていた時と同じ、弱々しさを感じる声。
偽りの姿の声だ。
カザヤ様がその声を出すということは、扉の先にいるのは病弱なカザヤ様しか知らない人だと察する。
「カザヤ王子殿下、夜分遅くに申し訳ありません。殿下の専属医師であるモレイン様から手紙を預かっております」
「モレインから……? では、そこに置いといてくれないかな?」
「承知いたしました」
そして扉の下の隙間から手紙が差し込まれる。その手紙には確かにモレイン医師の署名が見えた。
数秒空けて、バルガがそれをスッと引いて受け取った瞬間。
鍵がかかっていた扉が勢いよく開かれ、黒ずくめの男たちが4人入ってきた。
バルガはとっさに身をひるがえし、腰に下げていた剣を引き抜いて、先頭で飛びかかってきた一人の黒ずくめをためらいなく切る。
「ひっ……!」
私は目の前の戦闘に血の気が引いて、恐怖から悲鳴すら上げられないでいた。ただ震えながら口を押さえる。
「カザヤ様!」
バルガの声に黙って立っていたカザヤ様は、向かってきた黒ずくめを一瞬で、手にしていた剣で薙ぎ払った。
動じずその素早い身のこなしに、他の三人が一瞬怯んだ様子を見せる。その隙にカザヤ様は男たちと大きく距離を取った。
「ラナを奥へ!」
「はい!」
バルガが私を押して奥の部屋へ逃げるよう促す。
「こっちへ」
「は、はい!」
急がなければと思うのに足がもつれる。
その動きに当然男たちも反応した。二人がカザヤ様に向き合い、一人がこちらへ駆けてくる。
血走った相手の目にとてつもない恐怖が走る。
「キャァァ!」
バルガが私の前に立ち、剣を抜いて男と対峙した。腰が抜けた私は床に這いつくばりながら、奥の部屋へと逃げる。
仕事で慣れているはずの血の匂いに吐き気がしてくる。
なにより、怖くてたまらなかった。
薬師として剣の傷や出血、生々しい怪我など数え切れないほど見てきた。
でもそれは事後のことだ。
今目の前で広げられているのは、生きるか死ぬかの命がけの戦闘場面である。
こんな状況は遭遇したことがない。身体が震えて力が入らなかった。
すると。
「お待たせしました!」
黒ずくめの男たちが入ってきた扉から、王宮騎士団隊長ワサトが走ってきた。
重そうな甲冑などなんなく、走りながら男たちを倒してカザヤ様の側まで行く。
「カザヤ様、遅くなってすみません。廊下にもこいつらの仲間がうじゃうじゃしていたもので。外は部下が対応しており、時期に制圧出来ます」
「そうか。よく来た、ワサト」
カザヤ様はニッと笑みを浮かべると、向かってくる男たちを相手に剣を合わせる。
その光景に私は隠れ震えながら唖然と見ていた。
凄い……!
ワサト隊長はもちろんだが、カザヤ様はそれに引けを取らないほど強い。バルガも十分な身のこなしだが、二人に比べると劣るのは確かだ。
「あんなにお強いなんて……」
カザヤ様たちは後から次々とやってくる黒ずくめの男たちをいとも簡単に制圧していく。勝敗が見えてきた。
力の差が歴然なのである。
するとその時、私の近くにある窓ガラスが激しく割られ、一人の黒ずくめの男が侵入してきた。そして私に手を伸ばすと、後ろからはかいじめにしてくる。
しまった!
「きゃぁぁ!」
「うるさい! 黙れっ!」
私の叫びを聞いて、カザヤ様が駆け付けた。
う、嘘でしょう!?
私は首筋にナイフを当てられ、身動きが取れない。恐怖から足が震えてくる。
ダメ、怖い! 助けて!
「ラナ!」
「来るなよ、カザヤ王子。来たらこの女を殺すぞ」
黒ずくめの男は、ニヤニヤしながら私の首筋を見せつける様にナイフを突きつける。
他の男たちは倒したのか、ワサト隊長とバルガも駆け付けたが、この状況に足が止まる。
「お前……。ここは王子殿下の居室だぞ。場をわきまえろ」
ワサト隊長の言葉に黒ずくめが失笑する。
「仲間を散々倒しておいてそのセリフはないだろう。俺たちはカザヤ王子に死んでもらわないといけない。そのためには何でもするさ」
下卑た笑いをする黒ずくめにカザヤ王子は一歩近寄った。
「俺を殺すように命じたのは王妃か? それとも第二王子か?」
「どっちだっていいだろう!!」
叫ぶ黒ずくめの男に、呆れたようにため息をついたのはワサト隊長だ。
「お前、今、第二王子という言葉にかすかに瞼が痙攣したぞ。つまり、命令したのは第二王子か……。結構な人数集めやがって。ここまで大人数とは思いもしなかったぞ」
カザヤ様は黙ったまま動じた様子もなくゆっくりとこちらへ歩いてくる。その様子に黒ずくめの男が慌てた。
「来るな! この女を殺すぞ!」
すると、カザヤ様はフッと体の力を抜いて表情を緩めた。
「その人を離してください。僕を殺しに来たのなら、僕にナイフを突きつければいいだけですよね?」
小さく弱々しい声に、「僕」発言。
思わずカザヤ様を見るが、その姿は以前のような病弱な頼りなげなカザヤ様の姿があった。
「ほら、丸腰です。まぁ、そうでなくても、僕よりあなたの方が強いかもしれませんし……」
カザヤ様は持っていた剣を床に落として両手をあげてみせた。その気弱な様子に黒ずくめは自分の勝ちを確信してニヤァァと笑う。
予想通り、思いっきり私を床に突き飛ばすと、ナイフを振り上げてカザヤ様に向かって走り出した。
「カザヤ王子、死ねぇぇ!!」
「ワサト!!」
カザヤ様の鋭い一言に、ワサト隊長は床に落ちたカザヤ様の剣を拾い上げ、それを横に出したカザヤ様の手にほおり投げた。
黒ずくめから目を離さないまま、その剣を受けとるとカザヤ様は大きく振りかざした。
速い!
それは一瞬の出来事だった。
黒ずくめの男は血しぶきをあげながら床に倒れ込む。あまりの速さに黒ずくめの男は一瞬不思議そうな顔をしたほどだ。
そう、カザヤ様の動きの方が断然素早かったのである。
息一つ乱していないカザヤ様は、剣に付いた血のりを払った。
「悪いな。俺の方が強かったみたいだ」
足元に転がる黒ずくめの男に、カザヤ様は冷たく言い放つ。
「なん……で……」
黒ずくめの男は驚きを隠せないでいた。
この人は外から侵入してきたので、室内でのカザヤ様の強さを知らなかった。
だから、男を油断させるための演技をしたカザヤ様に騙されたのだ。
「バルガ様」
不意に部屋の隅で人影が動いて声をかけた。
また敵かとビクッとする私に反して、バルガもカザヤ様も動じない。
ということは、味方……?
控えていたその人影はバルガに何か耳打ちすると、いつの間にか消えていた。
「カザヤ様。たった今、伝令が……。国王陛下が崩御され、司教よりカザヤ様が次期国王陛下になられると宣言があったそうです」
「そうか……」
カザヤ様は大きくハァァと息を吐く。
バルガとワサト隊長はその場に膝をつき、「国王陛下、おめでとうございます」と礼をした。
「ありがとう。二人のお陰だ。それにしても予想よりも多かったな」
「申し訳ありませんでした。廊下で食い止めていたのですが、あまりの人数の多さに手を焼きまして……」
ワサト隊長の言葉にバルガが眉を顰める。
「偽りの手紙を渡す時に、扉の前にいた衛兵はなぜ止めなかったのです?」
「……部下は殺られました。その隙を突いて部屋に押し入ったようです」
ワサト隊長は顔を歪め、苦しそうな顔をした。
手紙が差し入れされた時に微かに聞こえた声は外で戦う喧騒だったのだ。
きっとバルガもカザヤ様もそれに気が付いていたのだろう。
「隊長の部下については残念だった。他にも負傷した騎士もいるだろう。よく頑張ってくれた」
「ありがとうございます」
カザヤ様はそう言うが、二人はまだこうべを垂れたままだ。
私も同じようにしなければならないのに、体に力が入らず、床にへたり込んだまま。カザヤ様はそれを見て手を差し伸べてきた。
「ラナ、大丈夫か?」
「カザヤ様……、あの……」
思っていた以上に恐怖が押し寄せて、手が震えて言葉も出ない。自分でも血の気が引いているのが分かった。
部屋の中は血だらけで、ムッとした血の臭いが充満している。初めて人が切られるのを目の前で見てしまった。
一歩間違えたら、自分もあそこに仲間入りしていたかもしれないと思うとぞっとする。
立ち上がれないでいると、私の様子を見たカザヤ様が私の体に手を差し込み一気に抱き上げた。
「きゃあ!! カザヤ様、降ろしてください!」
「何を言う。立ち上がれないくせに」
咄嗟に首に抱き着くが、慌てて離れる。しかし、カザヤ様はそのままギュッと私を自分の方へ寄せた。
触れ合うカザヤ様の体はがっちりとしていて筋肉質で硬い。自分とは全く違うその体に顔が赤くなるのを感じた。
「カザヤ様、降ろしてください」
恥ずかしさから顔を覆って訴える私を無視して、カザヤ様は続き扉があるさらに奥の部屋へと向かった。
そこは戦闘場所にはなっていなかったので、血ひとつない綺麗な状態のままだ。嫌な臭いも一切ない。
「隣の客室だ。俺の部屋は血まみれだからな。しばらくここで休むといい」
「あ、ありがとうございます」
カザヤ様は広いベッドに私をそっと降ろした。そして軽く頭を撫でると、戻ろうと踵を返す。
あ、行ってしまう……!
「カ、カザヤ様!」
「なんだ?」
「あ、あの……」
つい呼び止めてしまったが、続ける言葉が見つからない。呼び止めた手前、何を言っていいのかわからず口ごもるとカザヤ様は優しく微笑んだ。
「すぐに戻るから」
そう言うと部屋を出て行ってしまった。
扉の奥ではカザヤ様が何か指示する声が聞こえる。きっとこれから片付けをするのだろう。
ハァァとため息をつくと、クラッとめまいがする。血の臭いに当てられたのだろうか。慣れているはずなのに……。
私は仕方なくそのままベッドの上に寝転がった。
この短時間で色々ありすぎて、もう頭がパンクしそうだ。
でもカザヤ様に触れて、さっきまでの震えが治まっていた。
カザヤ様が戻るまで、しばらくこうして横になっていよう。そう思いながら目を閉じた。
――――
「大丈夫か?」
薄暗い中、ふいに低い気遣う声が聞こえて目を開ける。ベッドサイドでカザヤ様が心配そうに私を覗き込んでいた。
「カザヤ様!」
慌てて起き上がろうとするが、頭がズキッと痛んで倒れ込む。棚の上の時計を見ると1時間ほどウトウトしていたらしい。
「どうした? 怪我でもしたか?」
「いえ……、たぶん血の匂いに当てられただけだと思います」
「そうか、無理するな。今日はそのままここで休むといい」
そういうとカザヤ様も私の横にゴロン倒れ込んだ。それに思わず目を見張る。
えぇ!? 同じベッドに横になるなんて!
慌てて起き上がろうとするが、カザヤ様が私の腕を掴んでベッドに引き戻す。
「大丈夫だからゆっくりしろ」
「し、しかし……」
「いいから」
そう言われてもゆっくりなんてできない。
でも動くと頭に響くし、そもそも起き上がる気力がない。仕方なくそのまま横になった。
カザヤ様は私の方を向く。
あぁ、距離が近い……。どうしたらいいの……。
綺麗な顔が自分に向いているというだけでドキドキするのに、カザヤ様の私を見つめる目が優しくて胸が苦しくなった。
病弱演技の時とは違う。さっきまでの凛とした強さを滲ませる時とも違う。
甘くて、優しくて、絡みついてくるような……。
あぁ、無理! 何か話さないと持たない!
「あ、あちらはもういいんですか?」
「あぁ。部屋の洗浄は終わったからな。臭いも汚れも何一つ形跡は残っていない。まぁ、とは言えいい気分はしないから、いずれは部屋替えをするが……」
カザヤ様はなんてことない風に軽い口調で話す。
「それに一応、もう侵入者がないように最大限警備が手厚くなっている。同じ過ちは起こさない。だから安心して眠っていい」
カザヤ様はそう囁くと私の頭を優しく何度も撫でた。
ドキドキするけど……、凄く心地いい。全ての恐怖が取り除かれるようだ。
私はホゥと小さく息を吐いた。
カザヤ様の大きくて温かい優しい手は私に安心感を与える。頭の痛みがゆっくりと引いていった。
「私がお部屋にいたことで邪魔してしまったのではないですか? 黒ずくめの男の人に捕まって、ご迷惑をおかけしてしまいました……。すみませんでした」
謝罪をすると、カザヤ様は「それは違う」とはっきり言った。
「それはこちらのミスだ。外にはワサト隊長を筆頭に警護をかなり厚くしておいた。それなのに部屋に侵入されてしまった。まさかあの人数で突撃してくるとは思わなくてな。ラナには怖い思いをさせて、申し訳なかったと思っている」
「カザヤ様が謝る事ではありません。守ってくださってありがとうございました」
お礼を伝えると苦笑される。
「もちろん守るよ。……俺の大切な薬師だからな」
後半のセリフが小さくて聞き取れなかった。
「カザヤ様……?」
「もういい。少し寝ろ。な?」
寝るつもりなどない。眠れるはずがない。なのに、カザヤ様が何度も優しく頭を撫でるから瞼が重くなってくる。
気が付いたときは、窓から朝の光が差し込んでいた。