王宮に薬を届けに行ったなら
7.葛藤の夜〜カザヤSide〜
運命の日となるその日。
俺とバルガは一日中、部屋の中で待機をして身を潜めていた。
親父が息を引き取るのは明確だった。だからこそ、いつ何が起こるかわからないのだ。
いつも薬を届けに来る時間以外でラナが部屋に来るとは思っていなかった。返事を待たずに扉が開かれたときは、思わず言葉を失った。
いや、確かに扉に鍵をかけなかったのは俺のミスだ。バルガを迎え入れ、直前にワサトと話すために少し開けていた。
俺としたことがうっかりしていた。こんな大事な時に何をしているんだと、責め立てられても反論は出来ないほどのミス。
締め忘れたのは俺。悪いのも俺。もしあの時、来たのがラナではなく敵だったならヤバかっただろう。
完全に油断した結果だから、そこはラナを深く責めることはできない。
目を丸くしたラナは言葉を失っていた。
バルガのフォローはあったものの、完全に体を見られたようだ。
しまったな……。
ガウンを羽織っていたとしても、はだけた胸元から筋肉質の上半身が見える。
病弱だと思っていた俺が、鍛え抜かれた体をしていたらそりゃぁ驚きで固まるよな。
ラナとバルガのやり取りにフッと笑みが浮かぶ。
なぜだろう。ラナに見られて、ほっとしている自分がいる。あぁ、もう偽らなくてよいのだ…と。
もっともらしい言い訳をつけて、ラナを俺の部屋に閉じ込めた。
タイミング的に、もちろん今口外されるわけにはいかないし、ラナはそういう人間ではないとこの一年でわかっていても万が一と言うこともある。
今、この時に俺の秘密が漏れるわけにはいかないのだ。
それに、ラナ自身の身を守るためにも一人にするわけにはいかなかった。
まぁ、本音を言えばラナと居られる理由が出来たな。
「誰にも言いませんから!」
そうは言ってもね。
そもそも、神経をとがらせれば、このピリピリした空気が分かるだろうに……。薬を忘れたことに、よほど焦っていたんだな。
外は厳重警戒のはずだが、相手が顔見知りのラナということもあって騎士らも気が抜けたのだろう。あっさりと通してしまったのだから。
そこはラナの普段の行いか。
これは、あとでワサトにくぎを刺さなければ。いや……、そもそも鍵をかけ忘れた俺も悪いのだから厳しいことは言えないか。
俺自身、危機感が少なかったのかもしれない。
次期国王になる時が迫っている。そこに気が行ってしまい、気持ちを浮つかせていたのかもしれなかった。
反省だな……。
ラナに実は健康なのだと告げた時、大きな瞳をくりくりさせて見開いていた表情が可愛かった。
食事に誘った時も、緊張しているようだったが以外にも落ち着いている。
順応が早いタイプか?
食べ方が綺麗だ。
確か、実家はカーロンス子爵家だ。なるほど、所作もちゃんと教え込まれている。普通の薬師ではあるが、そこは貴族の娘なんだなと実感する。
「ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「なぜ今日は大切な日なのでしょう? カザヤ様は一体何に警戒されているのですか?」
「今日、国王が崩御されるからだ」
「……え?」
なんでもない事のように言うと、ラナが言葉を失った。
それはそうだろうな。動揺するラナを横目に、これが普通の反応だろうと思う。
俺自身はもう父と別れを済ませている。気持ちは切り替えているはずだが、ラナの表情にほんの少し胸が痛んだ。
父のこと俺の病気が偽りのことを話すと、賢いラナはすぐに察しがついたようだ。
「まさか第二王子オウガ様のお母上……、第二妃のシュウ様ですか?」
俺を狙う人物について、はばかりもせずに名前を出す。二人きりだとわかっていても、ラナのうかつさに少しだけヒヤリとした。
「さてな。オウガなのか第二妃なのか……。どっちにしろ、国王が崩御したら今夜俺を殺そうとするやつらがいるだろうな。病弱だから継ぐことはないと言われた俺でも目の上のたんこぶで邪魔に思うだろう。いっそのこと殺してしまえと画策するかもしれない。そんな大事な日に、お前は俺の秘密を知ってしまったんだ」
俺はニッと笑みを浮かべる。
悪い顔に見えたのか、ほんの少しラナの表情に脅えが見えた。
「就任発表までは健康体だとバレるわけにはいかないんだ」
そう、その時までは決して誰にも……。それが父との約束である。
「私が誰にも言わないと誓ってもですか?」
まだ言うラナに、そんなに部屋に戻りたいのかと問い詰めたくなる。
そこまで俺といるのが嫌なのだろうか?
「誓ってもだ。お前が話さなくても、そぶりやぎこちなさから何か感づかれる可能性だってある。それにこんな時間に俺の部屋から出て行くのを見られたら、お前も消されるかもしれないぞ」
そう脅しをかければ一瞬で青くなる。
「えっ!?」
「冗談だ」
そう言うとラナは「なんだ」と呟いて口を尖らせた。その可愛い表情に笑みが浮かぶ。
半分冗談だが半分は本気だ。しかしそれは黙っておこう。
「カザヤ様がご病気ではなくて安心しました」
不意にラナの口からそんな言葉が漏れて、俺は一瞬言葉を詰まらせた。
「騙して悪かったな」
心配していてくれたのか……。
やはりラナを騙していたことにチクリと良心が痛む。ラナは優しい。
その心に自然と笑みが浮かんだ。
ラナを風呂場へ案内すると戸惑われた。
「あの、私お風呂は別にいいですから!」
遠慮されるが、案内してしまった手前こちらも引きにくい。ほぼ強引に風呂に入らせた。
風呂場の扉を閉めると、決心したのか奥から衣擦れの音と水音が聞こえてくる。それにギクリとし、あらぬ妄想をしそうになったので慌ててその場を離れた。
「お風呂、ありがとうございました」
風呂上がりで上気した肌に、ラフなワンピースの夜着に着替えたラナは、色っぽくてどこに目をやっていいのかわからなくなった。
風呂に入らせるのはうかつだったかもしれない。清潔な甘い香りが俺の心を惑わせてくる。
動揺を悟られないよう、紅茶を入れて意識をそらした。
こんな状況じゃなければ、今すぐにでも手に入れたいところなんだけどな……。
紅茶を飲み干す細くて白い喉に目を奪われながらそんなことを思う。つい胸の中にしまっているオスが顔を出しそうになり、慌てて引っ込めた。
ラナの前ではひょうひょうとした接しやすい俺を見せている。その実、中身はオスオスしくラナのことを考えているなんて悟られたくはない。
するとラナから視線を感じた。顔を向ければジッと俺を見つめてきた。
「どうした? 湯あたりでもしたか?」
「いえ……。動き回るカザヤ様を見つめておりました」
素直に見つめていたと言われ、心が少しだけ踊る。
「見つめてどう思った?」
「不思議だなと……。私が知っているカザヤ様はいつもベッドの中で青白い顔をしていました。こんな風に動き回るところを見たことがありません」
そういうことか……。
思わず胸の中で苦笑をする。
「あぁ、そう言われるとそうだな。病弱な俺に筋肉がついていたらおかしいだろう? バレないようにいつもベッドの中にいた。ラナが来る前は騎士団に紛れて訓練に参加していて、慌てて戻って布団にもぐるから酸欠で顔が青白くなるのだろう」
訓練場からこの部屋までは距離があるのでいつもダッシュしなければならない。それもまた体を鍛える一つとなっていたが、疲れるのは本当だ。
「だからいつも薄っすらと汗をかいていたのですね!」
合点が言った顔をする。
あぁ、なんて可愛らしいんだろう。
溜まらず手を伸ばして、そっと髪に触れた。今までになく距離を詰める。
「そういえば、髪飾り飾りはつけてくれないのか? 気に入らなかった?」
「い、いえ! すごく気にいりました。なんか着けるのがもったいなくて……。大切にここに」
見せてくれた鞄の中を覗くと、髪飾りが大切に保管されていた。
「そうか、良かった。喜んでもらえたならすごく嬉しい。でも俺の前ではつけてもらえると、なお嬉しいけどな」
頬を染めて嬉しそうにするラナにこちらも顔が緩んだ。
その後、予想外にもすぐに襲撃されて思わず舌打ちをする。
外は騎士団に警護を任せていたはずだが、黒ずくめの男たちは簡単にここまでやってきた。
まぁ、医師からの手紙だなんて罠だとは思ったが……。
たぶん、城の内部に手引きしたやつがいるのだろうが、その犯人捜しは後だ。
俺は剣を抜くとラナをバルガに任せて敵と対峙した。剣を合わせると相手の力量を測れる。
「くっ……」
相手から小さく声が漏れた。弱いと感じた俺は制圧も難しくはないだろうと頭の隅で考える。
黒ずくめの男らも、病弱だと思っていた俺が強いので動揺したり、呆気に取られたりしているので隙が多かった。
勝機は見えた。
すると、隣の部屋へ逃したラナの悲鳴が聞こえた。
相手を制圧し、駆け付けると黒ずくめの男がラナを後ろから羽交い絞めにし、その白い首に剣が突きつけられていた。
「ラナに触りやがったな……」
今まで敵に対して冷静に対処していたのに、一気に全身が怒りで熱くなる。
俺の小さな呟きにバルガが横目でチラッと見てきた。
ワサトは殺気だった俺に落ち着くようそっと背を叩いてきた。
わかっている。ここで怒り狂っては相手の思う壺だ。
お陰で相手を問答無用で切り捨てたいところだったが、その衝動は抑えられた。
相手の目的は俺だ。とりあえず、ラナから離さなければならない。
男から目を離さずに一歩近寄る。
「俺を殺すように命じたのは王妃か? それとも第二王子か?」
「どっちだっていいだろう!!」
ほんのかすかに示された男の反応を、俺もワサトも見逃さなかった。
「お前、今第二王子という言葉にかすかに瞼が痙攣したぞ。命令したのは第二王子か……。結構な人数集めやがって。ここまで大人数とは思いもしなかったぞ」
ワサトの言葉に男は動揺する。
このくらいで動揺するなんて刺客としてどうなんだよ……。
呆れてため息が出た。
「来るな! この女を殺すぞ!」
させるかよ。
俺はあえてフッと体の力を抜いて表情を緩めた。
「その人を離してください。僕を殺しに来たのなら、僕にナイフを突きつければいいだけですよね?」
小さく弱々しい声に、「僕」発言。
病弱で頼りなげな、悲しげな表情をして黒ずくめの男を見る。
さぁ、乗ってこい。
「ほら、丸腰です。まぁ、そうでなくても僕よりあなたの方が強いかもしれませんし……」
俺は持っていた剣を床に落として両手をあげてみせた。そんな気弱な様子に黒ずくめは自分の勝ちを確信してニヤァァと笑う。
かかった。
黒ずくめの男は、思いっきりラナを床に突き飛ばすと、ナイフを振り上げて俺に向かって走り出した。
「カザヤ王子、死ねぇぇ!!」
「ワサト!!」
俺の鋭い一言に、ワサト隊長は床に落ちた俺の剣を拾い上げる。それを横に出した俺の手にほおり投げた。黒ずくめから目を離さないまま、その剣を受けとると俺は大きく振りかざした。
それは一瞬の出来事だった。
黒ずくめの男は血しぶきをあげながら床に倒れ込む。
絶命はしていないだろうが、痛みにのたうち回る男を俺は冷めた目で見ながら、息一つ乱していない俺は剣に付いた血のりを払った。
「悪いな。俺の方が強かったみたいだ」
足元に転がる黒ずくめの男に冷たく言い放つ。さっきのは、男を油断させるための演技だ。やはり、奴らは人数は多いが戦闘慣れしていない弱い刺客だった。
いや、こっちが上手なだけか。
「お見事です」
ワサトが男を拘束しながら口角を上げた。師からのお褒めの言葉に俺も頬を緩めるが、それは俺の言葉だ。
俺の一瞬の目線と声で、ワサトは俺の意図を完全に理解して剣を投げてきた。
やはりワサトはこの国のトップに立つほど、騎士として優れている。
「バルガ様」
不意に部屋の隅で人影が動いた。バルガの部下だろう。影のようにひっそりと動き、情報を与えてくれる一人だ。
俺自身、この影については詳しくは知らない。ただバルガの信は厚いのでそこはバルガに任せているのだ。
その人影はバルガに何か耳打ちすると、いつの間にか消えていた。
「カザヤ様。国王陛下が崩御され、司教よりカザヤ様が次期国王陛下になられると宣言があったそうです」
「そうか……」
俺はハァァと深く息を吐く。
父が死んだ。そうか、ついに死んだのか……。
その喪失と共に、やっとすべてが終わったという安堵が押し寄せてきた。
やっと全てが終わり、新たな一歩の幕開けだ。
バルガとワサトはその場に膝をつき、「国王陛下、おめでとうございます」と礼をする。
「ありがとう。二人のお陰だ。それにしても予想よりも多かったな」
「申し訳ありませんでした。廊下で食い止めていたのですが、あまりの人数の多さに手を焼きまして……」
「いや、いい。俺の見積もりが甘かった」
もちろん部屋に刺客を通したのは騎士団の落ち度だが、騎士団がいるからとどこか油断していた俺自身の責任でもある。
それについての責は問うつもりはなかった。
ラナは放心したように床にへたり込んでいる。この状況はラナには刺激が強すぎるだろう。俺はラナに手を差し伸べた。
「ラナ、大丈夫か?」
「カザヤ様……、あの……」
俺を見上げる顔は真っ青で、小刻みに体も震えている。相当怖かっただろう。
今すぐにでも強く抱きしめたい衝動に駆られるが、奥歯をかみしめてそれをこらえる。そしてラナの背中と膝裏に手を差し込むと一気に抱き上げた。
「ひゃぁぁ!! カザヤ様、降ろしてください!」
「何を言う。立ち上がれないくせに」
思った以上にその体が軽くて柔らかくてドキッとした。
他の部分はどうだろう。もっと触れたい……。
そんなよこしまな気持ちを悟られないよう、ラナを抱えたまま、素早く続き扉がある奥の部屋へと足早に向かった。
そこは戦闘場所にはなっていなかったので綺麗なままだ。
「客室だ。俺の部屋は血まみれだからな。しばらくここで休むといい」
「あ、ありがとうございます」
ラナを広いベッドにそっと降ろした。ベッド上のラナを見て、俺の中のオスが顔を出しそうになり苦笑する。
戦闘の興奮状態がまだ続いているようだ。
「カ、カザヤ様!」
「なんだ?」
「あ、あの……」
ラナが口ごもる。その顔に恐怖と不安の色が残されている。
「すぐに戻るから」
安心させるように微笑むと、俺は元の部屋に戻った。
既にそこはバルガとワサトの指示のもと、素早く修復作業に取り掛かっていた。黒ずくめの男どもは息がある者は連行され、息がないものは布に覆われて連れていかれる。
血が付いた場所は布が交換され、床も消毒を始めていた。
「作業が早いな」
フッと笑みがこぼれる。バルガはここまで予想していたのだろう。手配が早い。
「思ったよりは汚れていませんので、部屋自体はまた引き続き使えますよ。まぁいづれは部屋を変えるかも知れませんが……」
「あぁ」
騎士団が外で刺客を倒してくれていたため、ダメージは予想より少ないというところか。
「あらかじめ、何があっても対応できるように修復作業の手配はしてありました」
「俺がラナを引き留めた時には、もうここまで予想していたのか?」
尋ねると小さく首を振る。
「いいえ。そこまでは考えておりませんでした。ただ、もしラナが巻き込まれた場合、きっとカザヤ様は頭に血が上るでしょうから、その場合の対処は頭の隅で考えておりましたよ」
済ました顔のバルガに対して苦笑が漏れる。
ラナを部屋にとどめた時点で、巻き込まれるかもと予想していたってわけか……。全く、俺以上に先読みが深すぎる男だ。だからこそ、俺はこのバルガを側近として手放せないのだが。
「カザヤ様。消毒を終えたら、私たちは引き上げて外で警護を行います。今夜から警護はさらに手厚くなりますのでご安心ください」
ワサトはそう言って敬礼すると部屋から退出した。
「私も今夜は隣の控え部屋におります。何かありましたらお声がけください。それと、わかっているとは思いますが……」
バルガはジッと俺を見つめてきた。その目線が何を言いたいかは重々承知している。
「わかっているよ。ラナには何もしない」
「本当ですか?」
「俺はそこまで鬼畜じゃないよ」
フッと笑いながらもバルガを真剣に見返すと、バルガは小さく息を吐いた。
「お願いいたしますね。あなた様はもう一国の主。今まで以上に、ご自分のお立場を考えて行動してくださいませ」
バルガはそう釘をさすと、隣の控え部屋へと戻って行った。
「手厳しいね、バルカは」
そう呟く。
バルガは真面目過ぎるが、間違ってはいないから何も言い返せない。立場もあるし、そもそも俺は軽率に女に手を出すタイプではないが……、果たして今日は眠れるだろうか。
寝室にいるラナを思い浮かべる。重いため息をついた。
俺とバルガは一日中、部屋の中で待機をして身を潜めていた。
親父が息を引き取るのは明確だった。だからこそ、いつ何が起こるかわからないのだ。
いつも薬を届けに来る時間以外でラナが部屋に来るとは思っていなかった。返事を待たずに扉が開かれたときは、思わず言葉を失った。
いや、確かに扉に鍵をかけなかったのは俺のミスだ。バルガを迎え入れ、直前にワサトと話すために少し開けていた。
俺としたことがうっかりしていた。こんな大事な時に何をしているんだと、責め立てられても反論は出来ないほどのミス。
締め忘れたのは俺。悪いのも俺。もしあの時、来たのがラナではなく敵だったならヤバかっただろう。
完全に油断した結果だから、そこはラナを深く責めることはできない。
目を丸くしたラナは言葉を失っていた。
バルガのフォローはあったものの、完全に体を見られたようだ。
しまったな……。
ガウンを羽織っていたとしても、はだけた胸元から筋肉質の上半身が見える。
病弱だと思っていた俺が、鍛え抜かれた体をしていたらそりゃぁ驚きで固まるよな。
ラナとバルガのやり取りにフッと笑みが浮かぶ。
なぜだろう。ラナに見られて、ほっとしている自分がいる。あぁ、もう偽らなくてよいのだ…と。
もっともらしい言い訳をつけて、ラナを俺の部屋に閉じ込めた。
タイミング的に、もちろん今口外されるわけにはいかないし、ラナはそういう人間ではないとこの一年でわかっていても万が一と言うこともある。
今、この時に俺の秘密が漏れるわけにはいかないのだ。
それに、ラナ自身の身を守るためにも一人にするわけにはいかなかった。
まぁ、本音を言えばラナと居られる理由が出来たな。
「誰にも言いませんから!」
そうは言ってもね。
そもそも、神経をとがらせれば、このピリピリした空気が分かるだろうに……。薬を忘れたことに、よほど焦っていたんだな。
外は厳重警戒のはずだが、相手が顔見知りのラナということもあって騎士らも気が抜けたのだろう。あっさりと通してしまったのだから。
そこはラナの普段の行いか。
これは、あとでワサトにくぎを刺さなければ。いや……、そもそも鍵をかけ忘れた俺も悪いのだから厳しいことは言えないか。
俺自身、危機感が少なかったのかもしれない。
次期国王になる時が迫っている。そこに気が行ってしまい、気持ちを浮つかせていたのかもしれなかった。
反省だな……。
ラナに実は健康なのだと告げた時、大きな瞳をくりくりさせて見開いていた表情が可愛かった。
食事に誘った時も、緊張しているようだったが以外にも落ち着いている。
順応が早いタイプか?
食べ方が綺麗だ。
確か、実家はカーロンス子爵家だ。なるほど、所作もちゃんと教え込まれている。普通の薬師ではあるが、そこは貴族の娘なんだなと実感する。
「ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「なぜ今日は大切な日なのでしょう? カザヤ様は一体何に警戒されているのですか?」
「今日、国王が崩御されるからだ」
「……え?」
なんでもない事のように言うと、ラナが言葉を失った。
それはそうだろうな。動揺するラナを横目に、これが普通の反応だろうと思う。
俺自身はもう父と別れを済ませている。気持ちは切り替えているはずだが、ラナの表情にほんの少し胸が痛んだ。
父のこと俺の病気が偽りのことを話すと、賢いラナはすぐに察しがついたようだ。
「まさか第二王子オウガ様のお母上……、第二妃のシュウ様ですか?」
俺を狙う人物について、はばかりもせずに名前を出す。二人きりだとわかっていても、ラナのうかつさに少しだけヒヤリとした。
「さてな。オウガなのか第二妃なのか……。どっちにしろ、国王が崩御したら今夜俺を殺そうとするやつらがいるだろうな。病弱だから継ぐことはないと言われた俺でも目の上のたんこぶで邪魔に思うだろう。いっそのこと殺してしまえと画策するかもしれない。そんな大事な日に、お前は俺の秘密を知ってしまったんだ」
俺はニッと笑みを浮かべる。
悪い顔に見えたのか、ほんの少しラナの表情に脅えが見えた。
「就任発表までは健康体だとバレるわけにはいかないんだ」
そう、その時までは決して誰にも……。それが父との約束である。
「私が誰にも言わないと誓ってもですか?」
まだ言うラナに、そんなに部屋に戻りたいのかと問い詰めたくなる。
そこまで俺といるのが嫌なのだろうか?
「誓ってもだ。お前が話さなくても、そぶりやぎこちなさから何か感づかれる可能性だってある。それにこんな時間に俺の部屋から出て行くのを見られたら、お前も消されるかもしれないぞ」
そう脅しをかければ一瞬で青くなる。
「えっ!?」
「冗談だ」
そう言うとラナは「なんだ」と呟いて口を尖らせた。その可愛い表情に笑みが浮かぶ。
半分冗談だが半分は本気だ。しかしそれは黙っておこう。
「カザヤ様がご病気ではなくて安心しました」
不意にラナの口からそんな言葉が漏れて、俺は一瞬言葉を詰まらせた。
「騙して悪かったな」
心配していてくれたのか……。
やはりラナを騙していたことにチクリと良心が痛む。ラナは優しい。
その心に自然と笑みが浮かんだ。
ラナを風呂場へ案内すると戸惑われた。
「あの、私お風呂は別にいいですから!」
遠慮されるが、案内してしまった手前こちらも引きにくい。ほぼ強引に風呂に入らせた。
風呂場の扉を閉めると、決心したのか奥から衣擦れの音と水音が聞こえてくる。それにギクリとし、あらぬ妄想をしそうになったので慌ててその場を離れた。
「お風呂、ありがとうございました」
風呂上がりで上気した肌に、ラフなワンピースの夜着に着替えたラナは、色っぽくてどこに目をやっていいのかわからなくなった。
風呂に入らせるのはうかつだったかもしれない。清潔な甘い香りが俺の心を惑わせてくる。
動揺を悟られないよう、紅茶を入れて意識をそらした。
こんな状況じゃなければ、今すぐにでも手に入れたいところなんだけどな……。
紅茶を飲み干す細くて白い喉に目を奪われながらそんなことを思う。つい胸の中にしまっているオスが顔を出しそうになり、慌てて引っ込めた。
ラナの前ではひょうひょうとした接しやすい俺を見せている。その実、中身はオスオスしくラナのことを考えているなんて悟られたくはない。
するとラナから視線を感じた。顔を向ければジッと俺を見つめてきた。
「どうした? 湯あたりでもしたか?」
「いえ……。動き回るカザヤ様を見つめておりました」
素直に見つめていたと言われ、心が少しだけ踊る。
「見つめてどう思った?」
「不思議だなと……。私が知っているカザヤ様はいつもベッドの中で青白い顔をしていました。こんな風に動き回るところを見たことがありません」
そういうことか……。
思わず胸の中で苦笑をする。
「あぁ、そう言われるとそうだな。病弱な俺に筋肉がついていたらおかしいだろう? バレないようにいつもベッドの中にいた。ラナが来る前は騎士団に紛れて訓練に参加していて、慌てて戻って布団にもぐるから酸欠で顔が青白くなるのだろう」
訓練場からこの部屋までは距離があるのでいつもダッシュしなければならない。それもまた体を鍛える一つとなっていたが、疲れるのは本当だ。
「だからいつも薄っすらと汗をかいていたのですね!」
合点が言った顔をする。
あぁ、なんて可愛らしいんだろう。
溜まらず手を伸ばして、そっと髪に触れた。今までになく距離を詰める。
「そういえば、髪飾り飾りはつけてくれないのか? 気に入らなかった?」
「い、いえ! すごく気にいりました。なんか着けるのがもったいなくて……。大切にここに」
見せてくれた鞄の中を覗くと、髪飾りが大切に保管されていた。
「そうか、良かった。喜んでもらえたならすごく嬉しい。でも俺の前ではつけてもらえると、なお嬉しいけどな」
頬を染めて嬉しそうにするラナにこちらも顔が緩んだ。
その後、予想外にもすぐに襲撃されて思わず舌打ちをする。
外は騎士団に警護を任せていたはずだが、黒ずくめの男たちは簡単にここまでやってきた。
まぁ、医師からの手紙だなんて罠だとは思ったが……。
たぶん、城の内部に手引きしたやつがいるのだろうが、その犯人捜しは後だ。
俺は剣を抜くとラナをバルガに任せて敵と対峙した。剣を合わせると相手の力量を測れる。
「くっ……」
相手から小さく声が漏れた。弱いと感じた俺は制圧も難しくはないだろうと頭の隅で考える。
黒ずくめの男らも、病弱だと思っていた俺が強いので動揺したり、呆気に取られたりしているので隙が多かった。
勝機は見えた。
すると、隣の部屋へ逃したラナの悲鳴が聞こえた。
相手を制圧し、駆け付けると黒ずくめの男がラナを後ろから羽交い絞めにし、その白い首に剣が突きつけられていた。
「ラナに触りやがったな……」
今まで敵に対して冷静に対処していたのに、一気に全身が怒りで熱くなる。
俺の小さな呟きにバルガが横目でチラッと見てきた。
ワサトは殺気だった俺に落ち着くようそっと背を叩いてきた。
わかっている。ここで怒り狂っては相手の思う壺だ。
お陰で相手を問答無用で切り捨てたいところだったが、その衝動は抑えられた。
相手の目的は俺だ。とりあえず、ラナから離さなければならない。
男から目を離さずに一歩近寄る。
「俺を殺すように命じたのは王妃か? それとも第二王子か?」
「どっちだっていいだろう!!」
ほんのかすかに示された男の反応を、俺もワサトも見逃さなかった。
「お前、今第二王子という言葉にかすかに瞼が痙攣したぞ。命令したのは第二王子か……。結構な人数集めやがって。ここまで大人数とは思いもしなかったぞ」
ワサトの言葉に男は動揺する。
このくらいで動揺するなんて刺客としてどうなんだよ……。
呆れてため息が出た。
「来るな! この女を殺すぞ!」
させるかよ。
俺はあえてフッと体の力を抜いて表情を緩めた。
「その人を離してください。僕を殺しに来たのなら、僕にナイフを突きつければいいだけですよね?」
小さく弱々しい声に、「僕」発言。
病弱で頼りなげな、悲しげな表情をして黒ずくめの男を見る。
さぁ、乗ってこい。
「ほら、丸腰です。まぁ、そうでなくても僕よりあなたの方が強いかもしれませんし……」
俺は持っていた剣を床に落として両手をあげてみせた。そんな気弱な様子に黒ずくめは自分の勝ちを確信してニヤァァと笑う。
かかった。
黒ずくめの男は、思いっきりラナを床に突き飛ばすと、ナイフを振り上げて俺に向かって走り出した。
「カザヤ王子、死ねぇぇ!!」
「ワサト!!」
俺の鋭い一言に、ワサト隊長は床に落ちた俺の剣を拾い上げる。それを横に出した俺の手にほおり投げた。黒ずくめから目を離さないまま、その剣を受けとると俺は大きく振りかざした。
それは一瞬の出来事だった。
黒ずくめの男は血しぶきをあげながら床に倒れ込む。
絶命はしていないだろうが、痛みにのたうち回る男を俺は冷めた目で見ながら、息一つ乱していない俺は剣に付いた血のりを払った。
「悪いな。俺の方が強かったみたいだ」
足元に転がる黒ずくめの男に冷たく言い放つ。さっきのは、男を油断させるための演技だ。やはり、奴らは人数は多いが戦闘慣れしていない弱い刺客だった。
いや、こっちが上手なだけか。
「お見事です」
ワサトが男を拘束しながら口角を上げた。師からのお褒めの言葉に俺も頬を緩めるが、それは俺の言葉だ。
俺の一瞬の目線と声で、ワサトは俺の意図を完全に理解して剣を投げてきた。
やはりワサトはこの国のトップに立つほど、騎士として優れている。
「バルガ様」
不意に部屋の隅で人影が動いた。バルガの部下だろう。影のようにひっそりと動き、情報を与えてくれる一人だ。
俺自身、この影については詳しくは知らない。ただバルガの信は厚いのでそこはバルガに任せているのだ。
その人影はバルガに何か耳打ちすると、いつの間にか消えていた。
「カザヤ様。国王陛下が崩御され、司教よりカザヤ様が次期国王陛下になられると宣言があったそうです」
「そうか……」
俺はハァァと深く息を吐く。
父が死んだ。そうか、ついに死んだのか……。
その喪失と共に、やっとすべてが終わったという安堵が押し寄せてきた。
やっと全てが終わり、新たな一歩の幕開けだ。
バルガとワサトはその場に膝をつき、「国王陛下、おめでとうございます」と礼をする。
「ありがとう。二人のお陰だ。それにしても予想よりも多かったな」
「申し訳ありませんでした。廊下で食い止めていたのですが、あまりの人数の多さに手を焼きまして……」
「いや、いい。俺の見積もりが甘かった」
もちろん部屋に刺客を通したのは騎士団の落ち度だが、騎士団がいるからとどこか油断していた俺自身の責任でもある。
それについての責は問うつもりはなかった。
ラナは放心したように床にへたり込んでいる。この状況はラナには刺激が強すぎるだろう。俺はラナに手を差し伸べた。
「ラナ、大丈夫か?」
「カザヤ様……、あの……」
俺を見上げる顔は真っ青で、小刻みに体も震えている。相当怖かっただろう。
今すぐにでも強く抱きしめたい衝動に駆られるが、奥歯をかみしめてそれをこらえる。そしてラナの背中と膝裏に手を差し込むと一気に抱き上げた。
「ひゃぁぁ!! カザヤ様、降ろしてください!」
「何を言う。立ち上がれないくせに」
思った以上にその体が軽くて柔らかくてドキッとした。
他の部分はどうだろう。もっと触れたい……。
そんなよこしまな気持ちを悟られないよう、ラナを抱えたまま、素早く続き扉がある奥の部屋へと足早に向かった。
そこは戦闘場所にはなっていなかったので綺麗なままだ。
「客室だ。俺の部屋は血まみれだからな。しばらくここで休むといい」
「あ、ありがとうございます」
ラナを広いベッドにそっと降ろした。ベッド上のラナを見て、俺の中のオスが顔を出しそうになり苦笑する。
戦闘の興奮状態がまだ続いているようだ。
「カ、カザヤ様!」
「なんだ?」
「あ、あの……」
ラナが口ごもる。その顔に恐怖と不安の色が残されている。
「すぐに戻るから」
安心させるように微笑むと、俺は元の部屋に戻った。
既にそこはバルガとワサトの指示のもと、素早く修復作業に取り掛かっていた。黒ずくめの男どもは息がある者は連行され、息がないものは布に覆われて連れていかれる。
血が付いた場所は布が交換され、床も消毒を始めていた。
「作業が早いな」
フッと笑みがこぼれる。バルガはここまで予想していたのだろう。手配が早い。
「思ったよりは汚れていませんので、部屋自体はまた引き続き使えますよ。まぁいづれは部屋を変えるかも知れませんが……」
「あぁ」
騎士団が外で刺客を倒してくれていたため、ダメージは予想より少ないというところか。
「あらかじめ、何があっても対応できるように修復作業の手配はしてありました」
「俺がラナを引き留めた時には、もうここまで予想していたのか?」
尋ねると小さく首を振る。
「いいえ。そこまでは考えておりませんでした。ただ、もしラナが巻き込まれた場合、きっとカザヤ様は頭に血が上るでしょうから、その場合の対処は頭の隅で考えておりましたよ」
済ました顔のバルガに対して苦笑が漏れる。
ラナを部屋にとどめた時点で、巻き込まれるかもと予想していたってわけか……。全く、俺以上に先読みが深すぎる男だ。だからこそ、俺はこのバルガを側近として手放せないのだが。
「カザヤ様。消毒を終えたら、私たちは引き上げて外で警護を行います。今夜から警護はさらに手厚くなりますのでご安心ください」
ワサトはそう言って敬礼すると部屋から退出した。
「私も今夜は隣の控え部屋におります。何かありましたらお声がけください。それと、わかっているとは思いますが……」
バルガはジッと俺を見つめてきた。その目線が何を言いたいかは重々承知している。
「わかっているよ。ラナには何もしない」
「本当ですか?」
「俺はそこまで鬼畜じゃないよ」
フッと笑いながらもバルガを真剣に見返すと、バルガは小さく息を吐いた。
「お願いいたしますね。あなた様はもう一国の主。今まで以上に、ご自分のお立場を考えて行動してくださいませ」
バルガはそう釘をさすと、隣の控え部屋へと戻って行った。
「手厳しいね、バルカは」
そう呟く。
バルガは真面目過ぎるが、間違ってはいないから何も言い返せない。立場もあるし、そもそも俺は軽率に女に手を出すタイプではないが……、果たして今日は眠れるだろうか。
寝室にいるラナを思い浮かべる。重いため息をついた。