魔王を倒した聖女ですが、二度目の召喚を受けました~聖女は魔王に堕とされる~

一度目の対峙

「私は私の全ての力を持って、お前を倒す! ルシファー!」
 サキは今代の魔王、ルシファーに対峙し、宣言する。
 彼女は、隣国で異なる世界から聖女として召喚され、王命により人に仇をなす敵ルシファーを打倒するよう命じられた少女だった。
「おや、可愛い。今度は可愛い聖女ちゃんだ。りりしいことだ。今までの途中で挫折した勇者や聖女と違って、私の配下たちを退けて、ここまで来れたのは凄いな。褒めてあげよう」

 そう言ってふざけてサキに対峙しているのは魔王ルシファー。
 黒く長い髪は艶めいてまるで夜空の光を溶かし込んだかのよう。すっと通った鼻梁に薄い唇、整いすぎた顔立ちはまさに人のものではないことを示しているようだ。かつては天の神にもっとも愛されたその存在が、そこにいた。

 サキを楽しげに見つめる瞳とその態度は、小娘を相手にふざけているようだ。
 けれど、この世でもっとも美しい黒曜石で出来たようなその瞳は、誤って直視すれば吸い込まれてしまいそう。それだけ、かつて、もっとも神に愛されたというその堕天使は美しかった。

「なにをふざけている! 私は、この世界に召喚を受け、お前を倒す使命を受けし聖女だ!」
「聖女ジブリールことサキちゃん、だよね。私と同階級の七大天使ガブリエルの別名を洗礼で与えられるなんて大変だな。ね、サキちゃん」
「……っ!」
 あまり人にも、当然ルシファーにも名乗っていない元の世界での本当の名前を言い当てられて、サキは想定外のことに酷く怯む。

 ──どうして名乗ってもいない名前を言い当てられる?

「今、どうして名乗ってもいない名前を言い当てられたかのかって混乱しているだろう?」
 ルシファーはサキをからかって愉しそうに笑う。まるでそれは、見ようによっては彼女を弄んでいるかのようにも見えた。

「ね、サキちゃん」
「……なに」
「聖女なんか止めちゃいなよ。それ、押しつけられたんでしょ? 家族は? 帰りたい場所があるのに理不尽に呼び出されたんじゃないの? ああでもそこ、本当に帰るべき場所なのかなぁ?」

 内情を言い当てられて。サキは怯んだ。

 本当にこの悪魔は人の心をえぐってくる。

 サキは本当はこんな怖いことをしたくない。さらにいえば、転移の際に付与された聖女の力なんかいらなかった。この魔王討伐だって、望んでやっていることじゃない。今までの魔族たちとの戦いがどんなに恐ろしく孤独だったことか。
 でもそれは、ただただ早く元の世界に帰りたいがためにやっていることなのだ。

「本懐を遂げれば、元の世界へ帰る道が現れよう」

 王城で国王陛下がそう言っていた。
 召喚された聖女であるサキは、その役割を終えれば元の世界に戻れるのだと。
 だからサキは、ただそのためだけにやっていただけなのだ。
 そして、彼女が帰るべき家族は家族で……、と、やめよう、とサキはそう思う。これは悪魔のささやき、誘惑だ、耳を貸してはいけないと。

「けなげだなあ、君。そんないじらしいことを出来る君を見ていると、なんだか私が、理不尽を押しつける人間どもから君を護りたくなってしまうよ。だって可愛い子は自分が虐めたいのであって、他の人間に虐げられているなんて許せないじゃないか」
 ルシファーは、ニヤリと笑って目を細める。
 またサキの思考を読み取ったのだろう。サキは思った。ルシファーが勝手なことを言っているだけだ、と。

 ──それでも。

「人々が苦しんでいるというから! だから! お前を! 悪魔の長であるお前を倒すんだ!」
 サキは召喚された国の王城で与えられた聖杖を掲げる。サキの膝丈の制服のスカートと、黒く艶のある長い髪が大きく翻る。

 ──悪魔の言葉になんか耳を貸すものか!

「あー、あー、全く以て真面目だねえ」

 そう言っている間にも、サキは国王陛下から借り受けた聖杖を使って彼女が持ち得る最大級の召喚術を行使する。

大天使(サモン)召喚(アークエンジェル)!」
 サキが持つ最大の聖魔法で、大天使を召喚すると、空の上の遙か彼方から、神々しいまでの光が降り注ぎ、それとともに、空から白い羽がハラハラと振ってきて、両手剣を持った大天使(アークエンジェル)が姿を現わした。

「……魔王よ。悪魔の王よ。人の子に害なす悪なる存在よ」
「はっ。どこが害なすだかね。悪魔たちが、人の子に恋をして天を落ちるのがどこが悪い。そして、私が、私の意思を以て自ら天を捨てるののなにが悪い」
 ルシファーは、現れたアークエンジェルに悪態をつく。

「恋だと? それは神の子たる人の子を誘惑しているというのだ。それに自ら堕天するだと? 貴様、まだわからんのか! もっとも神に愛されし最上級の七大天使だったそなたが嘆かわしい!」
「……元上司に言っていいセリフじゃないんじゃない? 立場の差、忘れた?」
「……っ! 今はお前は一介の堕天使! 神より与えられし炎の剣によって、この世から消え去るがいい!」

「おっと」
 意表を突かれたのか、ルシファーはまともにその斬撃を受けた。
 ザンッ! と炎の両手剣が振り下ろされれば、思ったより容易にルシファーの身体に神の力の宿った剣による傷が刻まれる。
「神の力によって、消えよ堕天使」
 そういうと、私が呼んだアークエンジェルは姿を消したのだった。

 残されたのはサキと、今まさに消滅させられようとしているルシファーだけ。
 そのルシファーが、苦しげに眉間に皺を寄せて傷に手を当てながら、サキに語りかけた。

「あーあ。サキちゃん。一番強いアークエンジェルを呼んじゃうなんて、君、凄いね。また、君を好きになっちゃったじゃないか。どうしてくれるんだ。サキちゃん、これで帰れるよ。よかったね」

「終わった……の?」
 二人残されたサキが、そのあっけなさに実感もなく呟いた。

「そう、終わった。君は私を倒すことに成功した。だけど、その優秀な聖女として今度また召喚されるだろう。……私が復活するからね」

「えっ……」
 予想だにしないことに、サキは狼狽した。
 そんなサキには一顧だにもしないで、ルシファーはサキに言い聞かせていく。

「だから、そのつもりであちらとお別れする準備をしておくといい……きっと次は二度と返してもらえないから。誰がどうしようと、私が帰さないから、絶対にね」
 そう言って、暗い笑みを浮かべた。

「え……っ!」
 サキは想定外のことに大きく怯む。父さん、母さん、妹。私は家族のことを思い出す。彼らに早く会いたかったかったから。生きて戻りたかったから頑張ってきたのに。

 そして、なぜそんな予言めいたことまで分かるのだろう、この男(ルシファー)は。

 確かに、サキは今回魔王対峙に成功しようとしている。ルシファーはすでに虫の息で、その姿はだんだん消え失せようとしている。なぜそんな状態で復活するなどと言えるのだ、とサキはそう思う。
 サキは役割を終え、自然と元の世界に戻れるはずなのだ。そして、もうこの世界とは無縁のはずなのだ。

「……あちらの世界に戻って、()()()()たちにお別れしてくるといい」
「な……っ!」

 薄く消えかけるルシファーは、それでも立位を保っていて、サキの方へと歩んでくる。そして、サキの腰を驚くほど逞しく抱き、サキの頬に手を添えた。

「今度会ったときはけっして返さない。君が気に入ったからね、サキちゃん」
「な……どうして……」
「アークエンジェル()の中でも、あれだけ力のあるものを呼べるなんてね。君は優秀だ。そしてなにより可愛い。健気で真面目でいじらしい。そして、誰よりも可哀想な子だ」
「……っ」
 可哀想、そう言うと、するりとルシファーは私の頬を撫でる。
「そんな子が悪魔は……私は大好きでね」
 そして、手が唇に到達すると、親指で唇をなぞった。

 ぞくり、と背を這う感覚に耐えながら、サキは必死でルシファーの言を否定する。
「なにを言っている。さっきの傷で、お前はこの世から消えるはず……」
「あんなもんじゃ、完全には消えないよ」
 はっきり言われたその言葉に、サキの目はこれでもかというほど大きく見開く。

「あはは、やっぱり! アレで私を倒せたと思ったんだ。……まあね、この傷は深いから眠るけれど……」
 強く抱きしめられていた腰をぐいっと引き寄せられ、サキの顔とルシファーの顔が近くによる。
「もと、もっとも神に愛されし七大天使のルシフェル……。堕天したといっても、魔王の中の魔王、ルシファー様を侮らないで欲しいなぁ」
 ククッと喉の奥で笑うと、顔を寄せてその黒曜石の瞳の中に私を映す。

「サキ。私はお前を気に入った。だから、今度そなたがこの世界に舞い降りたら、絶対にお前を帰したりはしない。……そなたはどこにも寄る辺もなくなって、私を頼り、恋し、愛さざるを得なくなるといい。そして私は永遠にサキ、お前を手に入れるのだ」
 まるで洗脳のように、呪いのように、そして睦言のようにささやきかけられる。そうして、サキは触れるだけの口づけをうけた。

「……っ。勝手にっ」
 そう言って、サキが唇を手の甲で拭う。

「……今度そなたが来るときは、私がそなたを迎えに行こう。極上の土産を持って」
「土産って……なに……」
 サキが、なんとなく嫌な予感を覚えていると、腰に添えられていた力が消え、目の前にいた、この世のものとは思えないほど、いや、そもそも天上一美しかったルシファーの姿が消えていたのだった。

「……ルシファー?」
 サキは消えてしまったその男の名を呼ぶ。けれど、応じる声はない。


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