その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

48 2人の関係

聞いた瞬間、厳しい顔つきになった彼を見て、私は泣きたくなるのをグッと堪えた。

「こちらに着いてから、そんな話を耳にしたの」

ここまできたら、もう何もないと言っても彼は納得しないだろうし、私自身もこれ以上彼が自発的に話し始めるのを待つ気にはなれなかった。

こちらに着いた折に、庭で使用人達の話を聞いてしまった事、そしてアドリーヌ嬢と実際に会って、彼女の存在がロブダート家にとって非常に有益であると感じた事。
そして今日、彼からそれについて話されるだろうと、覚悟を決めていた事を出来るだけ冷静に話していった。


「っ、ちょっと待ってくれ、それじゃあこの所の君の様子がおかしかったのは、その話のせいで?」

話の途中から、頭を抱えていた彼からそう問われて、どう答えていいのか迷う。これで私が嫌だという意思表示をする事で、彼は私に失望して、契約関係を解消したいと思うかもしれない。

しかし、歓迎しているというように取られるのも嫌で……

 答えに窮していると、彼が額に手を当てたまま大きく息を吐いた。


「そんな事、あり得ない!」

そう言うと、漆黒の瞳がしっかりと私を見つめた。


「確かに彼女には我が家のこちらの事業を手伝ってもらっているけれど、それが代々彼女の家の家業なだけで、たまたま彼女がそれにやりがいを見出してやってくれているだけだよ」

膝の上できつく握った私の手を取って、緊張をほぐすように包み込んだ彼は自嘲する。


「それに彼女はまだ亡くなった婚約者を忘れていない。彼女の婚約者の話しは何か聞いた?」

首を横に振ると、彼は「そうか」と呟いて目を伏せた。

「俺より2歳くらい歳上だったかな? とても頭がよくて、穏やかな人だった。アドリーヌの家と古くから付き合いがあったらしくて、彼女は初恋だったって言っていたよ」


ぴしゃんと近くで魚が跳ねたのか、弾けるような音が静かな湖に響く。


 幼い頃からの、憧れだった人に長い時間をかけて猛アタックした彼女は学院を卒業する際に正式にその人と婚約したのだと言う。
多くの令嬢達が王都に残る中、彼女は迷わず領地に戻り、結婚の準備を始めた。
そして学院を卒業して1年後、2人の結婚式が行われることになり、当然幼い頃から付き合いのあった彼も参列する事になっていたと言うのだ。

「式のひと月前に、商談のために出かけていた婚約者が出先で事故にあったんだ……馬車で帰宅する際に、土砂崩れに遭って、そのまま」

痛ましげに顔を歪めた彼の言葉に、私は息を飲む。

「あんな事故」とメイド達が話していたのはこの事だったのだろう。幼い頃から慕った大好きな人との結婚間近、本来なら1番幸せな時だったはずだ。その時の彼女の事を考えると……

「そんな辛い事が……」

それ以上の言葉が出なかった。

侍女達の話では彼とアドリーヌ嬢は昔から思い合っていてたと言われていたけれど、どうやらそれ自体、話が違ったらしい。

 途端にそんなことを勘違いして一人で塞ぎ込んでいた自分が、浅慮で自分勝手な人間に思えて、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちになる。

しかしここは湖の真ん中で、当然逃げられるわけもないーーもしかしたら彼は最初から、こうした事を見越して私の真意を聞こうとしたのだろう。


「たしかに、アドリーヌとは昔から仲は良かったけれど、兄と妹みたいなものだよ。お互いにそんな感情はないし、なんならあちらは俺なんて願い下げだよ」

 肩をすくめた彼が自嘲する。まるで安心してほしいと言うように私の冷えている手を親指で撫でる。

「彼女が婚約者を亡くして落ち着いた頃に一度、俺と結婚するか? って聞いたんだ。あの頃の俺は結婚なんて煩わしくて、気心が知れた彼女なら面倒臭くなくていいとくらいしか考えて居なくて……彼女も亡くなった婚約者を想っていてもいいし、住みなれたこちらにいてもいいわけだし、少しでも彼女が楽になればと思って提案したけど……愛のない結婚には興味ないってバッサリ断られたよ」

「なる、ほど……」

とても彼女らしいサッパリとした答えで、納得できてしまった。

「だから彼女を妾にするなんて、あり得ないよ! しかも彼女は君をすごく気に入ってるから、そんな事俺が考えようなら、ただじゃぁ済まされないな」

そう言って彼は、「信じてくれるだろうか?」と不安そうに私の顔を覗き込んできた。

「っ……そうだったのね。勝手に、変な事を疑ってしまって、ごめんなさい。なんだか恥ずかしいわ」

なんだか色々と早とちりして勝手に落ち込んでこんな心配までさせてしまった自分が本当に馬鹿で恥ずかしい。ポツポツと謝罪すると、彼の表情が明らかにホッとしたものに変わって、握られた手に力が込められる。


「いや、君が王都を発つ前にきちんとアドリーヌの事を説明していなかった俺が悪い。そんな話を聞かされたら、誰だってそう思うよ。まさか使用人達の中でそんな風に思われていたなんてな。アッシェルに少し言っておかないといけないな。アドリーヌだけでなく、俺は君以外の妻も妾も恋人も持つつもりはないって」

握られた手を持ち上げた彼は、柔らかく微笑んで誓いの言葉のように言うと、私の手の甲に口付けを落とす。

そして、顔を上げると私をじっと見つめて、少しいたずらめいた微笑みを浮かべると

「でも、少し嬉しかったな。まるでヤキモチを焼いてもらえたような感じでさ」

「っーー!」

冗談めいた言葉だったけれど、それは私の痛いところを的確についていて……思わず顔が熱くなる

「ご……めんなさい」

あまりに恥ずかしくて彼から視線を逸らして、そこで、あぁここはもしかしたら冗談で「そうですね!」って笑って流すところだったのではないかと気づいてさらに居た堪れなくなる。

これでは、本当にヤキモチを焼いていたのだと、妾でも自分以外の女性を認めたくないほど貴方のことが好きなのだと言ってしまっているようなものではないか。

あぁ、逃げ出したい。

そんな事を思っていると、不意に彼が手を離して、オールを漕ぎ始めた。

「少し冷えてきたから戻ろうか」

突然ひどく真面目な声で言った彼の言葉通り、ボートは別荘の方に戻っていく。

驚いて彼を見れば、彼の視線は遠くを見ていて……その表情はとても固くて、あぁ、迷惑だったのだと先程まで……いやそれ以上に胸の奥がズンと重くなった。
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