【辛口ヒューマンドラマ】雲にのりたい
第8話
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、6月1日の朝7時過ぎであった。
この日は、バイトが休みであった。
私は、国鉄予讃本線の急行うわじまに乗って旅に出た。
急行列車《れっしゃ》は、海回り(双海・伊予長浜経由)の線路を通って宇和島駅へ向かった。
朝9時前に急行列車《れっしゃ》が国鉄宇和島駅に到着した。
ショルダーバッグを持って急行列車《れっしゃ》から降りた私は、改札口《かいさつ》を通って外へ出たあと宇和島自動車のバスターミナルへ向かった。
(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…)
その後、宿毛行きの宇和島自動車のバスに乗って目的地へ向かった。
バスに乗り込んだ私は、国道56号線沿いの風景を見つめながら考え事をしていた。
天気は腫れていたが、ところどころで夏の雲が浮かんでいたのが見えた。
窓に写る風景を見つめている私は、目的地に着くまでの間なにを考えていたのか…
時は、正午頃であった。
ところ変わって、南宇和郡西海村《にしうみそん》の外泊地区《そとどまり》にて…
私は、石垣に囲まれたロジをゆっくりとした足取りで歩いた。
この日の予想最高気温は、29度で7月上旬頃と同じ暑さになると報じられた…
私のひたいに汗がたくさんあふれていた。
暑い…
ものすごく暑いな…
時は、12時半過ぎであった。
どこかでテレビの音が聞こえた…
私は、音が聞こえた方向へ歩いた。
それから1分後であった。
どこかの家の広間に置かれているテレビの画面が私のシカイに入った。
テレビのチャンネルは、宮崎放送に合っていた。
この時間は『ロッテ歌のアルバム』が放送されていた。
この時、(当時)ショートボブの長山洋子さんが『雲にのりたい』を歌っている場面が画面に映っていた。
私は、最後まで歌を聴いていた。
テレビの画面がCMに変わったので、私はすぐに立ち去った。
ところ変わって、高台にある展望台にて…
私は、キオスクで購入したスルメイカとじゃこ天をさかなに山丹正宗《やまたん》のワンカップ酒をのみながら高台から見える豊後水道を見つめていた。
高台の北寄りに佐田岬半島…
西寄りに大分県南部から宮崎県北部にまたがる複雑な海岸線…
…が写っていた。
私はこの時、おととい(5月30日)に行きつけの焼き鳥屋であったことを思い出した。
なんで私は、友人に対してボロクソに言うたのか?
あれはいくらなんでも言い過ぎだと思う…
だけど…
やっぱり違和感おぼえる…
あいつは、ゴーコン・サークルばかりをしたので必要な勉強をしていない…
あいつは、びんぼうな学生たちをグロウしているからなお許せない…
そう考えただけでもイラつく…
もっともイラつくのは、私がいた全寮制高校《コーコー》のはげの担任《センコー》(3年の時の担任・学年主任)だ…
担任《センコー》は、私の学生証を大学へひも付けする手続きを取ったから合格ですと言うた…
あれはものすごくふざけている…
楽ちんして大学へ行くこと自体が悪だ…
だから私は、大学にフクガクすることをダンコ拒否する…
それのどこか悪い…
………
私は、食べかけのスルメイカをより激しい力でかみついたあとより激しい力をこめてかみ砕いた。
この時私は、1969年頃をまた思い出した。
時は、6月1日の朝7時過ぎであった。
この日は、バイトが休みであった。
私は、国鉄予讃本線の急行うわじまに乗って旅に出た。
急行列車《れっしゃ》は、海回り(双海・伊予長浜経由)の線路を通って宇和島駅へ向かった。
朝9時前に急行列車《れっしゃ》が国鉄宇和島駅に到着した。
ショルダーバッグを持って急行列車《れっしゃ》から降りた私は、改札口《かいさつ》を通って外へ出たあと宇和島自動車のバスターミナルへ向かった。
(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…)
その後、宿毛行きの宇和島自動車のバスに乗って目的地へ向かった。
バスに乗り込んだ私は、国道56号線沿いの風景を見つめながら考え事をしていた。
天気は腫れていたが、ところどころで夏の雲が浮かんでいたのが見えた。
窓に写る風景を見つめている私は、目的地に着くまでの間なにを考えていたのか…
時は、正午頃であった。
ところ変わって、南宇和郡西海村《にしうみそん》の外泊地区《そとどまり》にて…
私は、石垣に囲まれたロジをゆっくりとした足取りで歩いた。
この日の予想最高気温は、29度で7月上旬頃と同じ暑さになると報じられた…
私のひたいに汗がたくさんあふれていた。
暑い…
ものすごく暑いな…
時は、12時半過ぎであった。
どこかでテレビの音が聞こえた…
私は、音が聞こえた方向へ歩いた。
それから1分後であった。
どこかの家の広間に置かれているテレビの画面が私のシカイに入った。
テレビのチャンネルは、宮崎放送に合っていた。
この時間は『ロッテ歌のアルバム』が放送されていた。
この時、(当時)ショートボブの長山洋子さんが『雲にのりたい』を歌っている場面が画面に映っていた。
私は、最後まで歌を聴いていた。
テレビの画面がCMに変わったので、私はすぐに立ち去った。
ところ変わって、高台にある展望台にて…
私は、キオスクで購入したスルメイカとじゃこ天をさかなに山丹正宗《やまたん》のワンカップ酒をのみながら高台から見える豊後水道を見つめていた。
高台の北寄りに佐田岬半島…
西寄りに大分県南部から宮崎県北部にまたがる複雑な海岸線…
…が写っていた。
私はこの時、おととい(5月30日)に行きつけの焼き鳥屋であったことを思い出した。
なんで私は、友人に対してボロクソに言うたのか?
あれはいくらなんでも言い過ぎだと思う…
だけど…
やっぱり違和感おぼえる…
あいつは、ゴーコン・サークルばかりをしたので必要な勉強をしていない…
あいつは、びんぼうな学生たちをグロウしているからなお許せない…
そう考えただけでもイラつく…
もっともイラつくのは、私がいた全寮制高校《コーコー》のはげの担任《センコー》(3年の時の担任・学年主任)だ…
担任《センコー》は、私の学生証を大学へひも付けする手続きを取ったから合格ですと言うた…
あれはものすごくふざけている…
楽ちんして大学へ行くこと自体が悪だ…
だから私は、大学にフクガクすることをダンコ拒否する…
それのどこか悪い…
………
私は、食べかけのスルメイカをより激しい力でかみついたあとより激しい力をこめてかみ砕いた。
この時私は、1969年頃をまた思い出した。