二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~

6 お守り

 咲希が生まれ育った白嶺街は、今でもふいに懐かしいような発見に出会う。
 たとえばこじんまりとした駄菓子屋、格子模様の軒下、ひな人形の小道具が置かれた和菓子屋が、静かな街並みに混在している。
 どれも意識して人を呼ぶようなものではないけれど、咲希はみつけるたび愛おしさを感じた。街の人々が暮らしを大切に生きているのが感じ取れて、咲希もそんな白嶺街が好きだった。
 あるとき咲希はまた新しい発見をして、足を止めた。
「ここも園芸を扱っているんですね」
 土曜日、まだ仕事の感覚が抜けきらない午前中、青慈と街を歩いていた。青慈とは休日も一緒に出かけることが多くて、彼と手をつないでゆったりと歩くのが楽しみだった。
 青慈は微笑んで咲希に言う。
「白嶺街は樹の街だから。入ってみる?」
 青慈にそう誘われて、咲希は古びたのれんをくぐって中に入った。
 そこは温室のような園芸店で、アンティークのような子猫の置物が所々にあしらわれていた。入口は狭かったが奥行きはあるらしく、咲希は商品に袖を引っかけないように慎重に奥に進む。
 大輪の薔薇から紫蘭まで、店内は色とりどりの花で満ちていた。咲希が驚いたのは、店内の環境が理想的だったことだ。植物のことを知り尽くした温度と湿度で、緑の蔓が鉢植えからあふれんばかりに伸びていた。
 ただ季節はじきに夏で、植物に理想的な店内の湿度が手伝ってか、咲希は肌ににじんでいく汗を感じた。
 青慈は咲希が歩く速度を落としたのに気づいたのか、心配そうにたずねる。
「咲希、暑い?」
「平気」
 咲希は青慈を安心させるように笑おうとしたが、青慈はそっと咲希の額に手を当てる。
「熱はないようだけど、ずいぶん汗をかいているね」
「ご、ごめんなさい」
 咲希は恥ずかしくなってつないだ手も離そうとした。けれど青慈はしっかりと咲希の手を取ったまま言う。
「謝ることなんかない。咲希の体調は重大なことだよ。座る?」
「ありがとう……」
 咲希はうなずいて、脇の椅子に腰を下ろして一息つく。
 青慈はそんな咲希の様子を見ながら問いかける。
「最近、咲希は疲れやすい気がする。夜は眠れている?」
 その問いには、咲希はとっさに嘘をつくことができなかった。勘のいい青慈は当然その沈黙の意味に気づいて、目を細める。
 咲希はため息をついて言う。
「……夢を見るの」
「どんな夢?」
「どこか遠い街で、周りの人たちに蔑まれながら病を抱えていて」
 つらい記憶のような夢に、夜中に目覚めてしまう。咲希がそう青慈に打ち明けたら、彼は咲希を引き寄せて腕に包んだ。
「せ、青慈さん?」
「つらかったね。でもそれは夢だよ」
 青慈は咲希の背をさすって、優しく声をかけた。
「咲希、息を吸ってごらん。ここは怖い夢の中なんかじゃないよ」
 咲希は子どものように言う通りにしていた。青慈の腕の中で、そっと息を吸う。
 青慈は何か香水を身に着けていたことはない。でもその腕の中は温かくて、呼吸のたびに咲希の体を楽にしてくれた。
 ふと心地よい香りに気づいて、咲希はそれを言葉にする。
「ここ……会社の植物と同じ匂いがします」
「そうだよ。白嶺街は隅々まで樹が守ってくれている」
 馴染んだ水の音がどこかで聞こえていて、次第に会社でいつものように過ごしている気分に落ち着いていく。
 青慈は咲希が落ち着いたのを見て、店内から一つの香り袋を探してくる。
「桜の香りを、お守りに買って帰ろう。枕元に置けば、きっとよく眠れる」
 青慈はそう言ってから、いたずらっぽく付け加える。
「後は……夜中に目覚めてしまったら、ぎゅっと僕を抱くといい。不安なんて忘れさせてあげるから」
 咲希は顔を赤くして、青慈さん、と困ったようにつぶやいた。
 青慈はくすくすと笑って、また咲希の手をすくいあげて歩き出した。
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