イケメン御曹司とは席替えで隣になっても、これ以上何も起こらないはずだった。

No.60:病院にて

 
 階段を一気に駆け上がる。
 302号室、3階だろう。
 302……302……

 「あった!」

 荒い呼吸を収めようとする。
 集中治療室はどこ?
 見当たらない。

「はあ、はあ、はあ」

 302号室のプレートを見る。
 「宝生秀一」と書いてあった。
 私はドアをノックする。

「どうぞ」

 中から女性の声がした。
 あれ? この声って……

 私はドアを開けて、中に入った。
 すると……ベッドの上で宝生君が横になっていた。
 片方の足には包帯が巻かれて、少し高く上げられていた。

 その横で、柚葉が満面の笑みで座っている。

「18分53秒! はい、私の勝ちー。宝生君、マクド奢ってよ」

 柚葉が弾んだ声で、そう言った。

「ね? だから言ったでしょ? 柚葉だったら、走って20分以内に来るって」

「……驚いたな……」

「中学の時ね、長距離ランナーで早かったんだよ、華恋」

 そういうと柚葉は立ち上がり、立ち尽くしていた私のそばに寄ってきた。

「素直にね。華恋」

 柚葉は私の肩をポンと叩いてそう言うと、宝生君に「それじゃあね」とだけ言って病室を出ていってしまった。


 どうやら騙されたようだった。
 私は肩で息をしながら、茫然自失だった。

「座ったらどうだ?」
 宝生君は、そう言った。

「生きてた……」
 私はそう呟いた。

「よかった……生きてた……本当に……よかった」

 ほっとして立ち尽くしていた私は目から、大量の水が流れ始めた。
 涙は幾筋も幾筋も流れ、止まることはなかった。
 私は大声で泣いた。
 嗚咽が、病室内に響いた。

「人を幽霊みたいに言うな」

「なによ! 本当に死んじゃうって思ったんだから! もうどうしようって!」

 私はベッドの横に駆け寄った。
 そして彼の胸をポカポカと叩いてやった。

「お、おい、こっちはケガ人だぞ!」

「本当に死んじゃうって思ったんだから! 死んじゃったらどうしようって! 助けてくれたお礼も言えてないって! 他にも言いたいこと、たくさんあったんだから! もう、どうしようって!」

「月島」

 彼は大泣きしている私を、そっと抱きしめてくれた。
 包み込むように。
 優しく優しく抱きしめてくれた。
 
 私は泣いた。
 泣き続けた。
 彼の腕の中で。


「月島。お前、俺のこと好きだろう」

「好きだよ、バカ!」


 私は即答した。


「なっ……え?」

「好きだって、言いたかったんだよ! ずっと言いたかったんだよ! 助けてくれて、ありがとうって! 死んじゃったら、言えないじゃん! お母さんみたいに死んじゃったら!」

 私は嗚咽の中、大声でそう言っていた。
 彼は私を抱きしめながら、優しく背中をさすってくれていた。

 どれくらい、そうしていただろう。

「月島」 

 私は宝生君の胸から顔を起こして、彼の顔を見つめる。
 彼の手が、私の頬に優しく添えられた。


「月島。俺と付き合ってくれ」

「え……」

「返事は? ハイかYesかどっちだ?」

「……Noは選択できないんだね」

「当たり前だ」

「私でいいの?」

 彼はいつもの柔らかい笑みを浮かべた。

「どうやらお前じゃなきゃ、駄目みたいだ」

「宝生君……」

 そのまま彼の整った顔が、ゆっくり近づいてきた。
 私は本能的に、目を閉じる。

 私の唇と彼の唇の距離が、ゼロになった。

 彼の顔が離れる。
 私はそのままうつ向いた。
 恥ずかしくて、彼の顔を見られなかった。

「月島」

 彼はもう一度私にキスをした。
 今度はなんだか……力強い。
 彼の舌が、私の唇を割って入ってきた。
 私は焦ったが……力が入らない。

「んっ、んーー」

 私はたまらず、彼の胸を何回もタップする。
 彼が気づいて、唇を離してくれた。
 2人とも息遣いが荒い。

「わ、悪い……」

「も、もう……初心者をいきなり上級コースに連れていかないでよ……」

「すまん……つい……」

「こっちは初めてなんだからね……」

「お取り込み中のところ、失礼します」

「おわっ」「きゃっ」

 私たちは、とっさに離れた。
 声がする方を見ると、入口付近に執事服に身を包んだ男性が立っていた。

「よ、吉岡。いつの間に」

「先程からおりましたよ」

「……どこから聞いてた?」

「そうですね、『本当に死んじゃうって思ったんだから!』っていうあたりからですかね」

 その男性が私の声マネをした。
 それが無駄に似ていた。
 私は赤面したまま、俯くしかなかった。

「最初からかよ……」
 宝生君が、はぁーっとため息をつく。

「そ、そうだ、ちょうどいい。吉岡、例のものを今持ってるか?」

「避妊具ですか?」

「違うわ! それは……もうちょっと後だ」

「あ、後でも使わないわよ!」

「使わなくていいのか?」

「そういう事じゃないでしょ!」

 何の話よ……。
 だから初心者を置き去りにしないでほしい……。
 ていうか、この人が吉岡さんって人だったんだ。
 宝生君の教育係の人だっけ。

「冗談です、秀一様。こちらにございます」

 そう言って吉岡さんは、A4サイズの封筒を執事服の胸ポケットから出してきた。
 ちょっと……なんでそんなに大きなものが、そこから出てくるの?
 それを宝生君に渡すと、吉岡さんは「失礼します」と言って部屋を出ていった。
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