その手で強く、抱きしめて
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「俺は今日は一階で寝るから、綺咲は二階の部屋でゆっくり休んでくれ」
「はい……ありがとうございます」

 眞弘さんのお家に居候させてもらう事になった夜。

 梶原さんのお陰で明日からは彼のお祖母さんが住み込みで来てくれる事に決まったので、今夜一晩だけ、眞弘さんと二人きりの夜を過ごす事になったのだけど、私に気を遣ってか彼は自室が二階にあるにも関わらず今夜は一階で過ごすと言った。

 何だか申し訳無い気持ちでいっぱいの中、私は割り振られた自分の部屋へやって来た。

「誰かご家族のお部屋だったのかな? 家具もこんなに揃ってる……」

 その部屋は8畳くらいの広さで、ベッドは勿論、テレビや棚、机などが既に配置されている。

 そして、アパートから運んで来た荷物も端に全て運ばれていたので、ひとまずすぐに使いたい物の荷解きをする事にした。

 荷物の整理をし始めてから暫くして、部屋の外からドアをノックしながら眞弘さんが声を掛けてきた。

「綺咲少し良いか?」
「どうかしましたか?」

 眞弘さんの呼び掛けに急いでドアを開けて応対する。

「お前の仕事の事なんだが、当然元恋人に職場も知られているんだよな?」
「は、はい。待ち伏せもされていました」
「綺咲はどこに勤めているんだ?」
絹縞商事(きぬしましょうじ)という会社の事務をしてます」
「……絹縞……ああ、あそこの社長とは何度か会った事がある。そうか、それなら、俺が話をつけるから俺の会社の事務をやってくれ」
「え?」
「お前に送迎を付けても良いが、それだとまた申し訳無く思うだろう? かと言ってお前を一人で通わせる訳にもいかない。それなら、男に足がついてない俺の会社で働くのが一番だ。目の届く所に居てくれれば守りやすいからな」
「で、でも、人手が足りていないので急に仕事を辞めるのは迷惑がかかってしまいますし……」
「その事なら心配には及ばない。綺咲をうちに貰う代わりにうちからは優秀な人材を絹縞の方に送る」
「それは、その方にも申し訳無いです!」
「いや、お前が気に病む事は無い。元から転職を希望していた人間で、俺が代わりを探してやる約束だったんだ。寧ろタイミングが良い。とにかく、今から俺が絹縞の方に話をつけるから、明日は自宅で過ごしていてくれ」
「は、はい……」

 突然の事態にただただ戸惑うばかり。

 だけど、正直有り難い申し出だった。

 アパートに戻らないのは良いとしても職場で待ち伏せされたらどうしようと、それだけが気掛かりで不安だったから。
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