一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした

マリアンヌの過去


 マリアンヌは自分の誕生日を知らない。

 物心ついた時には孤児院にいた。修道女の話では、パン屋の夫婦が街のはずれのゴミ置き場で見つけ、連れてきたのが、産まれて間もないマリアンヌだったらしい。

 名前はない。ただ、着ている服は良かったという。

 孤児院にも、子供達にきちんと読み書きを教え、少しでも良い仕事につけるようにと教育してくれる所もある。しかし、マリアンヌ――当時マリーと呼ばれていたその少女がいた所はそれとは程遠い場所。

 修道士、修道女とは名ばかりで、まだ幼い子供を働かせその賃金をピンはねする碌でなし。それどころか、需要が有れば子供の売買も辞さない性根の腐った屑。

 マリーも他の子供同様、幼い時から働かされていた。安宿や娼館の掃除、革のなめし作業、鉄屑を拾ってお金にしたりと、とにかく何でもやった。小さな手はいつも汚れ、服は元の色が分からないほど汚れていた。

 それでも、マリーは周りの子より頭一つ抜きんでて可愛かった。薄汚れた顔をしていたけれど、その作りは愛らしく上品ですらある。

 そうなると、マリーの道は自ずと決まってくる。修道士がマリーをより高く買ってくれる娼館や、父親の年以上の金持ちを探し始めた。
 この時マリー、十歳。
 まだ、身体も出来ていない子供だ。

 聡いマリーは自分の将来を知り、深夜に孤児院を抜け出した。密かに貯めていた銅貨数枚を握りしめ、夜の森を抜け、橋を渡り、畑の中を駆け抜けた。そして、明け方には小さな街に辿り着いた。

 まだ十歳。世間知らずのマリーに声を掛けてきたのは同じ年頃の子供だった。

「俺達と一緒に仕事をしないか? 飯も食えるし寝る場所もある」

 大人を信用していないマリーだからこそ、同じ年の子供のことはあっさりと信じてしまった。そしてついて行った先には、マリーのような子供が沢山。

 服はマリーより少しマシ、みんな痩せてはいたけれど孤児院の子供ほどではない。だから、マリーはそこで暮らすことにした。娼館に売られ、毎夜働き身体を壊して死ぬことを思えばマシだと思えた。

「じゃ、マリー。お前は見張り番な」

 ある日、そう言われた。よく分からないまま、人が来たら泣けと言われ、立派な屋敷の前に立たされた。幸い誰も通らず、再び現れた仲間の手には沢山の宝石があった。何をしていたかすぐに理解したけれど、もう遅い。

 その日マリーは初めて『元締め』に出会った。ニキビ面で頬に斜めの傷がある男は、マリーを見ると一人の少女を呼んで何やら耳打ちをする。少女は頷くとマリーに近づいてきた。可憐で清楚な雰囲気が場違いの可愛い少女だった。

「こらから、仕事に行くから着いてきな」
「……身体を売るの?」
「いや、何も売らないよ。ただ稼ぐだけさ」

 恐る恐る聞いたマリーを鼻で笑いながら少女は答えた。
 マリーは分からないまま少女の後に続く。太陽が真上にある時間ということもありさほど警戒はしていなかった。
 少女は大通りを一本入ったところで立ちどまると、近くのベンチに腰掛け何をするのか話始めた。

「いいかい、人の目線をよく見るんだ。それから表情、しぐさ。そうすればだいたいどんな奴か分かる。で、金持ちを見つけたらこうするんだ」

 少女はしばらく前を通りすぎる人を見た後、一人の紳士に近づくと、涙目で妹が迷子になったと訴え始めた。か細い声で不安げに泣く可憐な少女に紳士はすっかり騙され、身を屈め少女の肩に手を置いた。
 マリーは見逃さなかった、少女の手が男のジャケットの内側に伸びた事を。そして奪った財布を素早くスカート中に隠した。

 「あっ、いた! あんなとこにいたわ!!」

 少女はマリーを指さすと走り寄ってきて強く抱きしめた。そして耳もで「あんたも泣きなさい」と囁く。当然涙なんて出ないマリーはただ困惑し、仕方なく少女の肩に顔を埋めた。

 紳士はそんなふたりの姿を見ると、優しく笑って「もうはぐれないように」と言って立ち去っていった。まったくのお人よしだ。紳士が充分に離れたところで少女は顔を上げた。

「暫くはこの手で行けそうね。場所を変えれば何度も使えるでしょう。いい、大事なのは獲物がどういう奴か見極めること。よく観察すれば必ず隙が見つかる。そして、大人は可い愛い少女に隙を作りやすい」

 それからマリーは少女と一緒に大人を騙し続けた。
 マリーは大人が嫌いだった。いつも自分を虐げお金を巻き上げ、時には暴力を振るう。
 そんな大人を手玉に取るのは、愉快でもあった。初めの頃は。ざまあみろ、と心の中で叫んだし、口に出したこともある。

 そんな日々が三年続いた。
 三年の月日は人を変える。マリーは盗みを成功しても、もう何も感じない。感じなくなっていた。 

「よし、次はあの婆さんにしよう」

 親切を装い荷物を持ってやるか、それとも弟を探す振りをするか。

(いっそ身売り先から逃げてきた娘の振りをして家にかくまって貰うのもいいかも)

 そう考えながら声をかけた。罪悪感なんて残っていない。

「お婆さん……道に迷ってしまったのだけれど、ここはどこ?」

 青ざめ潤んだ瞳、不安気に今にも泣きそうな声を出す。ところが老婆は眼鏡の奥の瞳を瞬かせたかと思うと、一瞬にしてその表情を変えた。曲がった背中が伸び、目に輝きが灯る。それだけじゃない、表情、しぐさ、存在そのものがガラリと変わった。

「私を騙そうなんて百年早いわよ」

 マリーはサッと顔色を変えると、くるりと踵を変え走り出した。しかし、老婆は後を追ってきてあっさりマリーを捕まえた。早い、決して老婆の動きではない。

「最近、この辺りで演技力のある盗人が出るって聞いて暇つぶしにきてみたけれど、あんたのことだね」
「さあ、知らないわ」
「その顔はダメだ、嘘って丸わかりだよ。でも、さっきのは悪くなかった。私の目は騙せないけれど、素人ならコロッといくね」

 老婆だったはずのその顔はすっかり年若い女のものに変わっている。
 それも目を見張るぐらい綺麗で、なぜ老婆と思ったのかと不思議なほど。

「あんた、今の自分が好きかい?」

 マリーは黙る。そして、じっと女の赤い瞳を見上げる。

「自分を誇れるか?」

 今度ははっきりと首を振った。誇れる筈がない。マリーの心には三年間かけて溜まったドス黒いものがある。大人を恨み、金持ちを妬み、その結果自分で自分を貶めている。

「変わりたいか?」
「うん」

 自分の口から出た肯定の言葉に、マリー自身が驚いた。真っ赤な瞳に見据えられ、なんだか心を丸裸にされた気分になったのだ。

 本当は嫌だった。誰かを僻む自分も。悪事に手を染め、そのことに何も感じなくなることも。
 自分の胸の中は、灰が舞い散り霞んで汚泥のようにドロドロとしているように思う。
 でも、女の瞳を見ていると、その真っ黒な中から何か熱いものがこみ上げて来た。
 大切にしなきゃいけない何か。本当はこんな生き方から逃げたかった。

「だったら顔を上げな。自分に恥じない生き方をすることだね」
「自分に? 他人じゃなくて?」
「そうだ。あんたを一番知っているのはあんた自身だ。他人の評価なんて気まぐれなもの信じるより、あんたが自分の人生を誇れるかが大事なんだよ」

 マリーはじっとその顔を見る。吸い込まれる、と思った。この人みたいになりたいと。

「あんた、素質あるよ。私と一緒においで」
「お姉さんは誰?」
「女優だよ。厳しいのは嫌かい?」
「いやじゃないわ」
「じゃ、決まりだな。名前は?」

 マリー、と答えると女性は暫く宙を睨んだあと、はっと見惚れる笑顔を見せた。

「これからはマリアンヌと名乗りな」

 これがマリアンヌと師匠の出会いだった。師匠から看板女優を譲られた時、マリアンヌはどうして自分を拾ってくれたのかと尋ねた。それに対して師匠は「昔の自分を見ているようだったから」と教えてくれた。ちょっと泣きそうなその顔をマリアンヌは一生忘れないでおこうと思った。

 子供達にスリをさせていた元締めは、マリアンヌがいなくなって間もなく捕まった。十二年の実刑を言い渡され、組織は解体されたが、その情報を騎士に漏らしたという老紳士は最後まで見つからなかった。
きっと、実在しない人物なのだろう。
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