お返しのマシュマロ
 遠坂拓也(とおさかたくや)はモテる。とにかくモテる。
 容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、品行方正。おまけに生徒会長。
 バレンタインデーともなれば、ダンボールで抱えて持って帰っても数日かかるくらいチョコレートが山となる。
 今年も、生徒会室の彼の机はチョコの山となっていた。

 早朝、その山の中に、一つチョコレートを紛れ込ませる女子生徒が一人。
 時同じくして、それをうっかり目にした男子生徒が一人。



「会長、今年もすごいですね」
「はは、ありがたいことだな。しかし、毎年のことだが、持ち帰りがちょっとな」

 机の上のチョコレートを丁寧に箱に詰めながら、遠坂は苦笑した。
 それを眺めていた庶務が、そわそわと手元を眺めている。

「あの、会長。それって、くれた人、把握してるんですか?」
「ん? ああ、たいていは名前が書いてあるからな。お返しもちゃんとしてるぞ。たまに無記名の奥ゆかしい人もいるんだが……そういう時は気持ちだけありがたく貰っている」
「そ、そうなんですね」

 ちらちらとチョコレートを気にする庶務に、向かいに座っていた書記が首を傾げた。

「おっと、しまった。この書類は今日中に出さないといけないんだった。すまない、少し席を外す」

 チョコレートに埋もれていた一枚の書類を手にして、遠坂は生徒会室を出ていった。
 それを見送って、書記が口を開く。

「なぁ、お前なにそわそわしてんの」
「えっ!? あ、いや別に」
「まさか会長にチョコでも贈ったか?」
「馬鹿言うなよ! オレ男だぞ! オレじゃなくてさ」

 少し言い淀んで、しかし誰かに言いたかったのだろう。書記と庶務の二人しかいない生徒会室だが、声を潜めるようにして、庶務は告白した。

「オレ見ちゃったんだよ。朝、副生徒会長が、チョコ置いてるの」
「へえ」
「リアクションうすっ!」
「別に贈ったっていいだろ」
「いや、でもさ。副生徒会長だぞ? 普通に面と向かって渡せばいいじゃん。なのに、わざわざあんな大量のチョコに紛れるようにしてさ……。なんでだろ。カードとか付けてなかったし、あれじゃ会長、貰ったかどうかわかんないんじゃないかな」
「知られたくなかったんだろ。黙ってろよ」
「えええ、でも、なんかさぁ。教えてあげた方がよくない?」
「ばか、余計なことすんな」
「でも、でもなんかさぁ!」

 庶務は机にごんと頭をぶつけた。
 チョコレートを置いた彼女は、そっと微笑んでいた。嬉しそうに。どうしてだろう。会長は受け取っていないのに。そりゃ、持ち帰りはするだろうけど。

「会長、気づいてくんないかなぁ……」

 ぼやく庶務に、書記は一つ溜息を吐いた。

「ごめんなさい、遅くなりました」

 鈴の鳴るような声が響いて、一人の女子生徒が生徒会室に入ってきた。

「副生徒会長!」

 呼ばれた女子生徒、青野香奈子(あおのかなこ)は、音を立てないようにそっと扉を閉めた。

「あれ、会長は?」
「会長なら、書類を出しに職員室へ」
「そう。なら、伝言を頼めるかな」
「伝言?」
「美術部の方から頼まれごとをしていて、今からそっちに顔を出さないといけないの。今日はそのまま直帰するから、特に用がなければ、今日はもう生徒会室に来ないって」
「えっ」

 声を上げた庶務に、青野が首を傾げる。

「どうしたの? 用事ある?」
「あっいや、えーと、用事っていうか。会長が戻ってくるまで、待ったらどうかなって!」
「え? でも、急いでるから」
「でも、その、顔合わせなくていいんですか」
「どうして?」

 ますます首を傾げる副生徒会長に、庶務は慌てた。
 だって、チョコのこと言わなくていいんですか、なんて。自分が口を出すことじゃない。

「大丈夫ですよ。ぼくから言っておきますから」
「そう? ありがと」

 代わりに答えた書記に礼を告げて、青野は生徒会室を出ていった。

「おまえー!」
「お前が気にしたところでどうしようもないだろ。普通にしてろよ」
「そうだけど! そうだけどさぁ!」

 結局そのまま青野は生徒会室に戻ってくることはなく、職員室から戻ってきた遠坂は普通に仕事をして、チョコレートが山ほど入った箱を抱えて帰っていった。


XXX


 一か月後、ホワイトデー。

「はい、これ。バレンタインありがとう」
「ありがとうございます、生徒会長!」

 丁寧にお返しを渡す遠坂に、女子生徒が目をハートにして行列を作っている。アイドルの握手会か何かだろうか。
 当然、その中に青野の姿はない。
 放課後の生徒会の時間も、特にバレンタインデーの話題もホワイトデーの話題も出ることはなく、庶務が一人そわそわとするだけで、淡々と過ぎた。
 結局あの二人どうしたんだろうか、と思いながらとぼとぼと校門を出たところで、庶務は気づいた。

「いっけね、忘れ物!」

 ばたばたと生徒会室へ戻ると、中から人の話し声がする。
 びたっと足を止めて、庶務はそっと扉を開け、隙間から様子を窺った。
 中にいたのは、遠坂と青野だった。

「青野、バレンタインありがとうな。これ、お返し」

 遠坂が可愛らしいラッピングの小箱を取り出すと、青野が目を丸くした。

「会長。どなたかと勘違いしてませんか? 私、バレンタインは渡してませんよ」
「いいや、くれただろ? 惑星形のチョコ。俺が天文学が好きだって言ったの、覚えててくれたんだな」

 朗らかに笑った遠坂に、青野は照れたように顔を俯かせた。どうやら当たりのようだ。

「こ、これ、開けてもいいですか」
「ああ、もちろん」

 青野が嬉しそうにリボンを解く。覗いている庶務まで、何故かどきどきしてきた。
 綺麗なラッピングが解かれると、中から出てきたのはマシュマロだった。

(か、会長ーーーー!)

 庶務は心の中で絶叫した。声を上げるわけにはいかない。しかし、しかしだ。

「あ、ありがとうございます。大切にいただきますね」
「喜んでもらえて良かった」

 少しだけ引きつった青野に気づくことはなく、遠坂は無邪気に笑った。
 そのまま二人が部屋を出てきそうだったので、庶務は慌てて隠れた。
 二人が生徒会室から十分に離れたのを確認して、庶務は部屋に入り、忘れ物を回収した。

「あったあった」

 ほっとして息を吐くも、先ほどの出来事を思い返して、渋い顔をしてしまう。
 完璧な生徒会長。優等生の生徒会長。女心も、知り尽くしていそうなのに。

(お返しの意味、調べなかったんですか、会長)


XXX


「お、わったー!」

 それなりの量の書類を片付けて、庶務は机に伏した。書記も大きく伸びをする。

「二人とも、お疲れさま」

 遠坂は苦笑しながら書類を丁寧に揃えている。遅い時間になってしまったので、遠坂の計らいで青野は既に帰宅している。

「遅くまで付き合わせてしまったな。二人とも、この後少し時間はあるか? 良ければ、何か食べて帰ろう。おごるぞ」
「えっいいんですか? ヤッター!」
「いえ、自分の分は自分で」
「遠慮するな。たまには先輩風を吹かせてくれ」

 三人は、駅近くのファミレスで食事をすることにした。
 家に帰れば夕食があるが、買い食いは別腹だ。ここで食べても、帰ったらまた食べられる。
 各々好きなものを頼んで、学校の話などをしていると。

「ミキ、泣かないでよ。そんな男忘れちゃいなって!」

 隣の席の会話が、偶然遠坂たちの耳に入る。隣に座っていたのは、別の学校の女子生徒が三人。
 どうも、ミキと呼ばれた女子生徒が泣いていて、それを残りの二人が慰めているようだった。慰めている二人は、どこか怒っているようだ。

「だってホワイトデーにマシュマロよこすなんて! ありえなくない!?」

 遠坂が、かしゃん、とフォークを皿に落とした。その様子に庶務と書記も黙りこみ、自然と聞き耳を立ててしまう。

「で、でも彼、知らなかっただけだと思うし。特に、何か言われたわけじゃないし……」
「つまりハッキリは言わないけど察しろよ、ってことでしょ?」
「そこまで意地が悪かったんじゃないとしてもさぁ。よりによって、って気がしない? あんまり選ばないでしょ。相手の好みとか気にしないわけ?」

 だらだらと遠坂が冷や汗をかいている。緊張感が漂う。

「わ、私もはっきり告白したわけじゃないから……! いいの、別に」
「いいの、って」
「うん、なんか、ね。知らなかっただけだとは思うんだけど、でも、二人の言うことも……わかるっていうか。私も、ちょっと、考えちゃったし。だから、縁がなかったと思って、諦めようかなって」
「ミキ……」
「だって、悪気がなかったとしても、それでも脈があったなら、渡すときに何か言ってくれたと思うの。でも、何も言わなかったってことは……深い意味はなかったにしても、やっぱり、私なんか眼中にないってことだよね」

 悲しそうに微笑んだミキを、二人の女子生徒が抱き締めた。

「す、すまない君たち!」

 いてもたってもいられなくなった遠坂が、立ち上がって隣の席に声をかける。

「申し訳ない。会話を盗み聞きする気はなかったんだが、どうしても、その……気になってしまって」
「何ですか?」

 気の強そうな女子生徒にじろりとにらまれ一瞬ひるむも、勇気を出してそのまま続ける。

「ホワイトデーのお返しにマシュマロを渡すと、何か、まずいのか?」
「え?」

 真剣な表情で問い詰める遠坂に、女子生徒たちは目を瞬かせた。

「あ、おにーさんも知らないクチ?」
「やらかしたクチだ!」
「ちょ、ちょっと二人とも!」

 指をさして笑いそうな二人をとりなして、ミキが答えた。

「男性はあまり知らないかもしれませんが、ホワイトデーのお返しのお菓子には意味があって……。マシュマロは『あなたが嫌い』って意味なんですよ」

 その言葉を聞いた途端、遠坂は雷に打たれたような衝撃を受けた。

「あ、し、知らない人も結構いると思いますよ!? みんなが気にしているわけじゃないですし!」

 石像のように固まってしまった遠坂に、ミキが一生懸命弁解するも、耳には入っていないだろう。
 後ろでそれを見ていた庶務は、心の中でひっそりと呟いた。

(やっぱり知らなかったんですね、会長)


XXX


「申し訳ない!!」

 直角で頭を下げる遠坂に、青野は困惑していた。
 行動の早い生徒会長。問題事を後回しにしない優秀な生徒会長。
 彼は仕事だけでなく、プライベートにおいても、そのように行動していた。
 マシュマロの意味を知った彼は、翌日すぐに青野を呼び出して謝罪した。

「ホワイトデーのお返しに意味があるなんて、本当に知らなかったんだ。他意は全くない。不快にさせたのなら悪かった」

 心底後悔している様子の遠坂に、青野は苦笑して答えた。

「まぁ、そんなことだろうとは思いましたよ」
「そう言うってことは、やっぱり意味は知ってたんだな」
「……えぇ、まぁ、一応」

 言いにくそうにした青野に、遠坂はずきりと良心が痛んだ。知っていたのなら、あの一瞬は、確かに彼女を傷つけたのだろう。
 彼女は、自分の好みをきちんと把握して、吟味してあのチョコレートを選んだはずだ。だから青野からの贈り物だと気づけた。だと言うのに、自分はなんて軽率なことを。

「本当にすまない……」
「もういいですから、気にしないでください」
「その、マシュマロにしたのは……前に君の頬に触れた時に、感触が似ていたなと思って。それだけだったんだが」

 遠坂の言葉を聞くと、青野は息を呑んだ。

「……それは、他の女性には、言わないほうがいいですよ。血を見ることになるので」
「ん? 他の女性もなにも、マシュマロを渡したのは君だけだ」
「え?」
「他の女性には、皆同じものを渡したが……君だけは、違うものを用意したくてな」

 遠坂の言葉に、青野は顔を赤くした。しかし、何かを振り払うように頭を振った。

「とりあえず、わざわざ弁明に来てくれたってことは、嫌われてはいないってことで大丈夫ですか?」
「あ、ああ! もちろん」
「なら、それで十分です」

 微笑んだ青野に、ほっとして遠坂も微笑んだ。
 それで会話を切り上げようとしたのだが。

 ――『それでも脈があったなら、渡すときに何か言ってくれたと思うの』

 ファミレスでの女子生徒の言葉が、遠坂の脳裏に過ぎった。
 誤解は解けた。しかし、それで伝わったのは、嫌ってはいないということだけだ。
 それで、いいのだろうか。このまま何の進展もなく、またただの生徒会役員として過ごしていくのだろうか。
 名前も書かずに置かれたチョコレート。あれが、控えめな彼女の、精一杯の勇気なのだとしたら。

「好きだ!」
「は!?」
「あ、いや、すまない! 順番が」

 勢いのままに主題を突然口にしてしまい、遠坂は口を押さえた。
 取り繕うように、一つ咳払いをする。

「君のことは、前から気になっていた。覚えていないか、生徒会に入る前、図書室で何度か会っているのを」
「え、ええ。会長は、図書室の利用が多かったですから」
「図書委員の頃から、丁寧な仕事をすると思っていた。君を副生徒会長に推薦したのは俺だ。君になら、仕事を任せられると思った」
「……光栄です」
「そして、思った通り、君は生徒会でも丁寧に仕事をしてくれた。業務だけでなく、俺や他の生徒会役員に対しても、いつも細かく気づかってくれて……居心地が良かった。だから、生徒会の時間以外でも、君が、隣にいてくれたらと」

 うろたえる青野を、遠坂はまっすぐに見据えた。

「君のことが好きなんだ。俺と、付き合ってくれないか」

 告白を受けた青野は、視線をうろうろさせて、窺うように遠坂を見上げて、やがて赤い顔で、小さく頷いた。
 ガッツポーツを作った遠坂が、彼女を抱き締めようと手を伸ばしかけると。

「良かったですねぇぇ会長ぉぉ!!」
「うわっ!? お前どこから湧いた!?」
「おめでとうございます」
「えっ!? ふ、二人とも、いつから見てたの!?」

 飛び出してきたのは庶務だった。その後ろから、ばれてしまっては仕方ないとばかりに続いて書記が姿を現す。

「もう、二人とも、はたから見てたら丸わかりなのに、ずっとじれったくてじれったくて!」
「んな!?」
「丸わかりでしたよ」
「く、繰り返さないで!」

 わいわいと騒ぎながら、生徒会室へ戻っていく四人。その姿は、生徒たちには見慣れたものだった。
 ただ一つ、違うのは。
 生徒会長と副生徒会長の手は、固く繋がれていたことだろう。
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