形がわりの花嫁は碧き瞳に包まれる

新しい暮らし


「それじゃ、お部屋へ案内しますよ。奥様」

お浜は言いつつも、すぐにチッと舌打ちし、金原が出て行った開け広げられた障子を見た。

「まったく、尻始末の悪いこと。開けたもんは、閉めてお行きよ。そうでなくても、物騒なんだから……」

愚痴るお浜の視線をたどると、小さな庭めいたものが設えられていた。

塀にそって、皐月だろうか、低木が植えられている。

小さな蕾が膨らんでいた。

「何かあったらどうするんだい」

と、お浜は不機嫌に障子に近づき、閉めようと手をかける。

その妙な言い回しが引っ掛かった櫻子だったが、細く弱々しい木が植わっていることに気が付いた。

かろうじて、若葉が確認できる、そんな淋しげな木だった。

一本だけ、異なる物が植えられている事が櫻子は何故か気になり、つい、お浜に尋ねていた。

「あ、あの木は……」

ん?と、お浜は、櫻子が言う木を見やった。

「あー!あれかい。桜の木、なんだけど、土が合わないのかねぇ、植えたら、あの調子で……」

「桜……ですか」

「良くわからないけどさぁ、キヨシのやつが、いきなり、桜を植えるって言い出して。それも、あっ、うちは、小さいながら、裏に、ちゃんとした庭があるんだよ?なのに、ここだって、言い張ってさぁ。なんだか、一本だけ、浮いてるだろ?それより、あの木、持つのかねぇ……」

お浜は、いかにも邪魔だと言いたげな口ぶりで、植わっている木の事を語りながら障子を閉めた。

──弱った、桜の木。

櫻子の脳裏に、柳原の家の桜の姿が過る。

櫻子が産まれた時に植えられたあの桜の木。今では、毎年見事な花を咲かせているが、あの木も、確か……。

「さあ、行こうか」

部屋へ案内すると、お浜は、弾けているけれど、口調には、どこか、無理をしているような、不自然さが漂っている。

それよりも、障子を閉められ見えなくなってしまった、弱々しい桜の木の事が、櫻子は気になって仕方なかった。

いや。

懐かしんでいた、が、正しいのかもしれない。

──ねえ、櫻子。辛いことがあっても、耐えなさいね。この桜の木のように。枯れかけた苗木にも、きっと、救いの手がさしのべられる。そして、美しい花を咲かせる事ができるのだから──

亡き母の言葉を、櫻子は思い出していた。

果たして……。

救いの手は、さしのべられるのだろうか。そして、あの桜の木は。満開の花で彩られる時が、来るのだろうか。

それは……。

まるで、櫻子自身の事のようだった。

と──。

「……なんだ!てめぇらっ!何しに来やがったっ!!」

外から、怒鳴り声が響いて来る。龍が、怒鳴り散らしているようだ。

「お、お浜さん?!」

ただ事ではない響きに、櫻子は、すがるようにお浜を見る。

「あ、あ、あーー!!なんでもないよっ!そ、そう!ここいらは、街中じゃないからねぇー!野良犬が、良く出るんだよ。うっかりしてたら、座敷へ上がり込んで悪さするのさ、そ、そうだ!狸も出るんだよっ!!」

「野良犬?」

「そ、そう!噛まれたら危ないからねっ、戸締りさえ気を付けていたら、大丈夫だから、あーー!龍もいることだし!もちろん、あたしも、いるから!!」

お浜は、こくこく頷きながら、必死に言い訳をしている。しかし、外から聞こえて来る怒鳴り声は、決して、野良犬を蹴散らすようなものではない。櫻子にも、それぐらいは、わかる。

「……犬は、鳴いていませんけれど……」

空々しいお浜の返答に、櫻子は、ポツりと言っていた。とたんに、お浜は、泣きそうな顔をする。と、同時に、櫻子も、余計なことを言ってしまったと、ぎょっとした。

ここは、金原の屋敷だった。柳原の家ですら、うっかり、口ごたえをしてしまうと、誰かの逆鱗に触れた。その柳原の家から、借金の形として、櫻子を平気で押さえる輩が住む場所だったのだ。

「あ、あの……わ、私……」

うっかり、お浜の調子に流されてしまったが、このお浜も、あの、金原と渡り合える女。

余計なことを言ってしまった。

きっと、逆らったと、お浜の怒りを買ったことだろう。

「あーー!奥様!許しておくれよ!こ、これ以上は、言えないんだよー!!」

青ざめる櫻子以上に、お浜は、取り乱しながら、泣きついて来る。

「……え?」

大泣き寸前の、お浜に、櫻子は、どうすれば良いのかまるでわからない。おろおろしている側から、お浜は、何故か詫びて来た。

「どうか、聞かなかったことにしておくれ!ありゃー、犬でも狸でもなくって、嫌がらせなんだっ。うちの、キヨシのやり方が、気に入らないって、なんやかんや、押し掛けて来るんだよ……」

それで、物騒だ。戸締りをと……。

確かに、金原のやり方は、強引すぎる。恨みを買っての嫌がらせというのも頷けた。

「ふざけんじゃねぇーー!!」

龍の声と共に、殴り合うような音がする。

「やばいね、始まったかっ!奥様、とにかく、奥へ。何かあったら大変だ!」

外の様子が急変した為か、お浜は、きりりと顔を引き締め、あたしがいるからね、と、言い捨てると、櫻子の手を取って部屋を出た。

「屋敷の奥までは、押し込んで来れない。龍が、盾になるからさ」

だからね、キヨシと奥様の部屋は、一番奥なんだよ、と、お浜は言いながら、櫻子を引き連れ、廊下を足早に進んだ。
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