形がわりの花嫁は碧き瞳に包まれる

夫婦の役割


「やだよ!もう、おいでなすった!奥様、早く着替えを!」

「いやー、お浜、朝っぱらすぎやしねぇか?!」

お浜も、龍も、来客であろう表からの声に、うろたえている。

「あ、あの、あまり、お待たせしてはいけないんじゃ……」

誰も出迎えへ動こうとしない為、櫻子は、つい口を滑らした。

「言われているぞ。お前達」

嫌みたらしく口角を上げた金原が廊下にいた。

風呂を終えたのか、白い肌は、上気して汗ばんでいる。

長襦袢の胸元を、大きく開けて、手拭いで顔に流れる汗を拭っていた。

「今後、奥向きのことは、あれが、仕切る。そして……」

皆に言い付け、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべると、金原は櫻子に言った。

「どうだ?お前に、こいつらを、手懐けられるか?」

手懐けるも、なにも。

裏方として共に過ごすだけに、そんなことほ必要ないだろう。

確かに、かなり、癖はある。それについていけるかだけが、櫻子は心配だった。

しかし、何か挑戦的な金原の態度が、ひっかかる。確か……、昨夜、奥向きを任せると、言っていたような……。

言われた事を思い出そうとしたとたん、櫻子は、金原と共に同じベッドで、それも、抱き締められて寝たのだと、余計な事を思いだした。

じわりと、顔が火照る。

皆に見つからないよう、さっと、俯いて、誤魔化してはみたが、やはり、いらぬ誤解を招いたようで、お浜が一番に、金原へ食ってかかった。

「なんだい、キヨシ!その、小姑みたいな、ねちっこい口振りわっ!」

「いや、まあ、それは、いつものこととしてだ、お浜よ、社長は、奥様に裏方を任せるって、言いたいんだろう。けど、昨日の今日で、そりゃー荷が重いわ。ほれ、不安そうに俯いて……」

「うわあー!それなら、大丈夫っす!俺っちが、奥様のこと、手伝いますっ!」

「生意気なこといってんじゃねぇよー!虎!てめーは、車引きだろっ!社長と奥様乗せて、人力車引いてりゃーいいんだっ!」

龍の兄貴ーー!と、俺っちと勢いづく若者は、龍へ泣きつこうとするが、動きをピタリと止め、櫻子へ向かって大袈裟に頭を下げると、大声を張り上げた。

「奥様!すみません!俺っち、挨拶が遅れましたっ!金原商店お抱えの車引き、虎吉です!虎と呼んでくださいっ!あと、使いっぱしりも、やってるんで、何でも言ってくださいっ!」

「……人力車、ですか」

「へい!」

虎と名乗った男は、さっと、頭を上げて、ニカリと笑った。

さすが、なのか。しきたりなのか、櫻子には、掴めなかったが、金原の家には、お抱え車夫がいるようだ。

柳原の家は、本宅と言える店も、住みかも、街中にあると言って良く、わざわざ、人力車を抱えなくても、徒歩で大方は賄えた。必要な時にだけ、利用すれば良かった。

ここは、郊外、という立地の悪さもあるだろうが、どうも、それだけではない様な、仕事の為に、わざわざ抱えている。そんな気もした。

それとも、そんなにも、金原の家は、羽振りがよいのだろうか?

流石に、そこまでは聞けないと、桜子は、とりあえず、虎へ頭を下げた。

「ちょ、ちょっ!奥様!頭を上げてくださいよ!い、いやぁー、まいったなぁ、ってーか、流石です!美人番付に選ばれるぐらいだっ!人間できてるわっーー」

「おお、虎、おめぇ、いいこと言うなぁ!」

感激している、虎へ、龍が、フムフムと頷きつつ、火吹き竹を力任せに振り下ろす。

「虎っ!てめぇ!ありゃーなぁ!!番付は、奥様じゃねぇんだよっ!!妹のほうだっ!」

言って良いことと悪いことが、あるだろうにと、ごちながら、龍は、火吹き竹で、虎の頭を目一杯殴った。

痛てぇー!!と、悲鳴を上げる虎は、龍の一撃から、逃げ惑う。

「番付だぁぁ?!それは、つまり、勝代の娘かいっ!!キヨシ!!あんた、このまま、黙って指くわえてんじゃないだろうねっ!!」

何故か、お浜が、血相を変えて、金原へ迫って行く。

「ああ、それは、当然考えている。鬼キヨの妻が、余所の女に負けるなどありえんからな」

ヨッシャ、と、お浜と龍は、歓喜の声を、虎は、二人に連られて、万歳をしている。

(……やっぱり、無理……かも)

繰り広げられている騒ぎに、櫻子は、ますます、不安になった。

そして、金原は、常に言う。

妻だと。

そういえば。

昨夜も……、夫婦だろうと……言っていたような……そして……。

櫻子、と、名前を呼ばれた。

「ひやっ!」

恥ずかしさから、うっかり発してしまった、櫻子の囁きのような叫びを、お浜は、聞き逃さなかったようで、

「ええ!ええ!奥様、任せといてくださいよ!だーれが、勝代の娘なんぞに!いい気になるのも今のうちだっ!」

などと、息巻いている。

この様子に、どうも、柳原の家と金原の家は、借金だけではなく、何か因縁めいたものがあるのかもと、櫻子は感じた。

もしかして、だから、櫻子を連れて来た。つまり、ひとつの嫌がらせなのか?

にしては……。なんとなく、違うような……。

「まあ、いい、それは、その時だ。ハリソンを待たせてもいかん、お浜、茶の用意を。で、何をぼっとしている?客だぞ」

金原は、風呂上がりの姿のまま、玄関へ向かった。

そして、早くこいと、櫻子を急かせてくれる。

仕方なく、櫻子は、来た時のみすぼらしい格好のまま、後を追った。

背後では、お浜、龍、そして、虎が、どうしてやろうかなどと、物騒な話をしている。

おい、と、呼ばれた櫻子は、慌てて、金原を追ったが、すでに、その姿はなかった。

玄関で、また、声がする。

答えるように、先に到着している金原が、気の抜けた、実に適当な返事をしていた。

客は、客なのだろうが、ぞんざいなやり取りを、櫻子は、不思議に思いつつ、やっと着いた玄関に、西洋人が立っているのを見る。

「キヨシ、ここだけの話があるんだ!」

まるで、子供のように弾ける西洋人を、金原は、はいはいと、軽くあしらっていた。
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