形がわりの花嫁は碧き瞳に包まれる

珠子の縁談


勝代は、山之内を見送ると、何事も無かったように屋敷の門を潜った。

珠子に告げた、山之内が体を壊し勤めていた銀行を辞めたなど、大嘘だった。

一見陰気な青年は、どうやら政治家を目指しているようで、日がな一日、集まって来る支援者達と語り合っているようだった。

勝代が、たまたま入ったミルクホールで、山之内と相席になったことが始まりで、いつしか、男女の仲になった二人は、山之内の夢が叶うまで、不貞行為が世にばれない様、気を配っている。

が、そんな背徳的な事情も、将来の政治家、さらに、自分が、政治家夫人になれるかもしれないと思うと、勝代には、誇らしく思えるものだった。

そうして、山之内が金を無心しようが、勝代は受け入れてしまっていた。

今では、完全にヒモ状態となっているとわかっていたが、それでも、将来、ひょっとしたら、いや、絶対に、山之内なる若者を大臣へ、のしあげてみせると、勝代なりに野心を燃やしていたのだ。

となると、確かに、言われているよう、資金が物を言う。

勝代は、様々な口実を使い、夫である圭助から、金銭を騙し取っていたが、結局、もっと大きな額をと望む山之内の希望を叶えるため、店の運営資金を狙い始める。

もちろん、それも、山之内の指示であったのだが……。

「珠子が話があるとか言ってたわね」

一人呟き、勝代は、女から母親の顔に戻ると玄関のガラス戸を開けた。

そして、山之内は……。

勝代と別れ、大通りへ向かっている。

賑やかな往来が見え始めた頃、どこからか名前を呼ばれた。

「山之内さん、上手くいったようね?」

立ち止まり、声のした方向を山之内が確かめると、少し気の強そうな、端正な顔立ちの女が目に入った。

自身の活動の仲間であり、付き合っている女、妙子が待っていたのかと、山之内の険しい目付きはやわらいだ。

「ああ、もちろん。だが、柳原の家は、意外な事に、資金繰りが苦しいようだ。早々に手を引いた方が良いかもしれないな」

山之内は、考え込んだ。

「まあ、そうなの。でも、取れる物はあるんでしょ?」

「ああ、苦しいといっても、私達とは違うからね。それに、あの女、芸者あがりなだけに、成金の知り合いが多いんだ」

「……本来は、私達の敵であるけれど、目的の為なら致し方ないわ」

悔しげに言う、妙子へ、山之内は、機嫌を取るかのように続ける。

「確かに君の言う通りだ。けれど、ロシアでは、同志達が、史上初の社会主義国家樹立の為、着実に成果を出している。我々も遅れを取ってはならないのだよ」

「ええ、わかっているわ!山之内さん!言論、出版、集会、結社の自由、身分の廃止、宗教的民族的差別の撤廃!本来、人の世とは、そうあるべきなのに!日本にも、社会主義を広めなければ。マルクス主義こそが、私達を幸せにするのだわ!」

熱っぽく語る同志へ、山之内は目を細め、どうだろうと、自身の下宿へ誘った。

「なんですって!珠子、それは、どういうことなの?!」

勝代は、珠子の部屋で一部始終を聞いた。

珠子は、忌々しそうに櫻子の様子を勝代に語る。

「なんなの!あの豪華な装い!それに、お母様!金原とかいう人って、お義姉様と夫婦だって言い切ったのよ!」

珠子から聞かされた話に、勝代は、呆然としつつも苦々しく思う。

昨日の今日で、どうして、そこまで、櫻子の姿は変わってしまったのか。いや、夫婦とは、どうゆうことなのだろう。

悪名高い、金原商店へ連れていかれた。確かに、櫻子を嫁に貰うとは言っていたが、それは、辻褄合わせだろう。

そうとでも言わなければ、おおっぴらに連れて行く事が出来ないからに違いないのだが。

本当に、嫁入り話だったのなら、結納も交わさずで、どうして、夫婦と言い切るのか。

「……お母様?」

黙りこむ母へ、珠子は心配そうに声をかけた。

「珠子!!番付は、辞退しなさいっ!!こちらも、見せつけてやるのよっ!!」

えっ、と、珠子は驚き、今日も文を貰ったのにと、不満を漏らす。

「珠子、お前も、もっと、目立つの!」

勝代は、ニヤリと笑うと、珠子へ、しおらしくしていろと口添えする。

「……新聞社へ、手を回すわ。身分不相応で辞退したことにするの。その記事が、新聞に載ってみなさいな……。皆、お前は思慮深い令嬢だと思うはず」

「まあ!お母様!」

通っているのは予選であって、まだ、本選がある。そこで、一位にならなければ、なんの価値もない。しかし、手を尽くしても、なれる保証は無し。他の候補も、同様に手を尽くすはずだろうから。

ならば、あえて辞退し、逆に世の注目を集める。その手があったか、と、珠子は母を見る。

「とはいえ、辞退した。それだけの騒ぎで終わってしまう可能性もあるわね。やはり、もう一捻り必要だわ」

策を練る勝代に、珠子は、成る程と頷いていた。

「奥様……」

廊下から、ヤスヨが声をかけてくる。

圭助が、店から戻って来て、勝代を呼んでいるとのこと。しかし、いつもより、戻りが早い。

「何事かしら……?でも、ちょうどよかった。珠子、辞退の件、お父様へお知らせしますよ。勿論、櫻子さんの事は、珠子、お前とは関係ない話ですからね……」

それだけ言うと、勝代は、圭助を取り込むべく、珠子の部屋を出た。
< 53 / 73 >

この作品をシェア

pagetop