形がわりの花嫁は碧き瞳に包まれる

取立て騒動


「勝代、ずいぶん嬉しそうじゃないか」

ガラリと、勝手口の引き戸が開け放たれた。

カンカン帽を被り、ステッキと巾着をぶら下げ持ち、仕立ての良い着物を漢纏(まと)った、いかにも大店(おおだな)の主人たる(てい)をした、恰幅の良い男が入って来る。

「あら、まっ!冨田の社長!お勝手からだなんて!」

勝代は現れた初老手前の男へ、驚いたと言いつつ、笑みを絶やさないでいた。

「ああ、社長がねぇ、屋敷の外まわりを見るついでに、台所もと仰るのでねぇ」

勝代に非難されまいと、追いかける様にやって来た、父、圭助が弱々しく言った。

「いやぁー、柳原さん、無理を言って、すまないねぇ。だが、家というものは、水回りが大切だ。ちょっと、拝見させてもらうよ」

「ええ、ええ、左様で」

圭助は、男──、冨田の遠慮というものを知らぬのかと思える勢いに押され、おどおどし続けている。

「おや?なんだか、旨そうな匂いがする」

富田は、鼻をびくりとさせると、しつらえ終わったばかりの膳を目敏く見つけた。

「あーら、社長ったら」

ほほほ、と、勝代は、空々しく笑い、社長のお好きな物を用意しましたの、などと、軽口を叩いた。

「ええ、そうです。食事しながらお話するのも、いかがかと……」

「いや、気を使わせて、すまないねぇ」

言って、冨田は圭助へ、ガハガハ大口を開け笑った。

「で、ワシの好きなものが、どうしたって?勝代?」

富田は、粘っこい陰湿な笑みを浮かべると、勝世の脇にいる珠子を見た。

冨田から舐めるように視線を走らされている珠子は、きょとんとしている。そんな、冨田へ勝代は、眉を潜めると、釘をさすかのように少し強い口調で意見する。

「社長。これは、わたしの娘ですよ。社長のものは、あっち」

そして、櫻子へ視線を定めた。

瞬間、ヤスヨとキクが苦虫を噛み潰したような顔をした。

やっぱり、と、キクが、皆には聞こえないように呟くと、ヤスヨは、ああ、と、同意しながら、ジロリと圭助を睨み付ける。

そんな、女中の批難に圭助は、そっと顔を背け、冨田へ向かって小さく言った。

「社長。うちは、内風呂なんですよ。それも、男風呂女風呂と、別に出来るよう、二つあるんです!」

「ほおー!内風呂かい。珍しい。それも、二つもあるとは、さすがだねぇ。けど、ワシは、混浴で結構だよ!」

冨田は、下衆な冗談を言うと、突き出した腹を抱え、ガハガハ、一人笑った。

確かに、風呂といえば、銭湯へ行くのが常識のご時世で、自宅に風呂場がある、それも、二ヶ所もというのは、よそ様に十分自慢できる事だった。

冨田の喜び具合に、圭助は便乗し、それじゃあ、そちらへ、と、早々に、自分の居場所のない台所から立ち去ろうとしたのだが、何故かそれを珠子が止めた。

「あー!ちょっと待って!お父様!珠子の話も聞いて!」

そして、勝代の袖を引き、言ってくれと、催促する。

勝代も、ああ、そうねと、言いながら、面持ちには笑顔が戻っていた。

「旦那様も、社長も、聞いてくださいよ!」

言いながら、珠子から受け取ったものを突き出し、広げて見せる。

「日日新聞の、夕刊よ。早刷りを貰って来たの」

珠子が自慢気に言う。

「……新聞かね?」

呆ける冨田へ、勝代が、ほら、ここ、ここですよ!と、指差して、記事をよく見ろと催促した。

「おや?勝代!こりゃー、たいしたもんじゃないか!」

冨田の腹の底から出て来た、ダミ声が大きく響き渡る。

「でしょうとも、でしょうとも。わたしの娘、日本橋でも有数の問屋、柳原商店の娘ですもの!」

冨田のダミ声に、勝代の嬉し気な声が被さる。

たちまち、姦しくなるが、置いてきぼりにされてはたまらんと、啓介も近寄り新聞記事を見た。とたんに、わあ、と、これまた、大歓声をあげた。

「冨田の社長!うちの、珠子が選ばれましたよ!東京女学生番付に!」

その頃、帝都、東京では、各新聞社が購読促進の為に、美人番付──、つまり、美人コンテストを開催していた。

花柳界、職業婦人、一般淑女、そして、女学生など、様々な業界の女性達の美を競うという企画が大流行だったのだ。

応募は、主宰新聞社へ写真送付。自薦他薦は、問わず。見目麗しいと思う者は未婚であれば参加できた。

皆、見合いの為の写真を送ったり、わざわざ、写真館で撮影したりといった具合で、風紀の乱れと、目くじらを立てる者も現れるほど白熱していた。

珠子が応募したのは、一番人気の主催、東京日日新聞のものだった。

今回は、女学生番付ということで、様々なポーズを取った、十代前半のうら若き乙女達の写真が紙面に並んでいる。

その、二番手に、珠子の姿があった。

「これは、まだ、予選ですからね。これくらいの順番が、ちょうどいいんですよ」

勝代は、うんうんと、頷いた。

「結果は来月よ!お母様!」

珠子が、鼻にかかった甘ったるい声を出す。

「ええ、わかってますよ。新しい着物を誂えなきゃ。それと、肝心な票のとりまとめね……」

勝代は、とっさに、冨田を見る。

「社長!票集めに、力を貸してくださいな!前回、珠子は、予選落ちだったんですよ。それが、今回は、ここまで行った。まあ、前回は、華族のご令嬢達の集まりでしたからねぇ。そりゃあー、庶民は歯が立ちませんよ」

順位を決めるのは読者の投票。

勝代は、珠子を着飾らせ、周辺を歩かせ、もちろん、観劇など、人の集まる場所に繰り出して、あれは、確か、美人番付けの……と、顔を売る段取りでいた。と、同時に、珠子へ票が集まる様に、店の者はもちろん、その他、可能な限りの票集めという買収をも考えていた。

目くじらをたてる者がいるというのは、子女を商品の様に扱うか、と叫ぶ、女性運動家達、及び、買収騒ぎまで起きる体たらくと、指摘する、政治活動家など、社会に抗議する者達が主で、そんな堅苦しく、口煩い輩の反対運動が起これば起こるほど、この美人番付けという企画に火が着いて、人気を博しているのだった。
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