桜花彩麗伝

 そう呼びかけると談笑が止み、一拍置いて芳雪が顔を上げる。
 何か言いたげな表情をしたが、結局は思い直したようにわざとらしく呆れた顔をする。

「……女の子のお喋りに水を差すなんて無粋(ぶすい)よ」

「わり……。けど────」

 思わずたじろいだが、滞りなく言葉が出なかったのは、姉に叱られるのを恐れたからではなかった。
 そのうちに悟る。互いに聞き及んでいるようだ。芳雪にまつわる例の進言について。

「さてと、それじゃそろそろ失礼するわ。柊州へ帰ることにする」

 花茶を飲み干した芳雪は立ち上がると、手早く荷物をまとめた。

「商団が軌道に乗るまで兄さまを支える。意地悪な本家なんかに負けないわ」

「な、なあ。俺も一回帰って────」

「いい、その必要はないから。あんたがいない方が、当主の引き継ぎとか滞りなく済むのよ。きっと猛反対する本家の親戚たちに、あんたはキレて怒鳴るにちがいない。そしたら話が進まないでしょ」

「う……」

 芳雪の口ぶりは朗々(ろうろう)としており、文句を口にしながらもどこか楽しんでいる気配があった。
 そして、恐らくその言葉は的を射ている。彼女の言う光景にはありありと想像が及んだ。

「わたしがうまくまとめておくから任せといて。あんたは春蘭のそばにいるんでしょ」

 そう言われ、櫂秦は以前(てい)した自身の決意を思い出したのか、はっとした顔になった。
 真剣な表情をたたえ、毅然と頷いてみせる。

「……ああ。兄貴のことは頼む」

 微笑んだ芳雪もまた当然のように頷き返すと、春蘭と櫂秦をそれぞれ見やり、いっそう(ほが)らかな笑顔を浮かべた。

「それじゃ、さよなら」

 ────再会をにおわせる挨拶は、あえて口にしなかった。
 二度と宮殿の敷居(しきい)を跨ぐつもりはない。それは芳雪の意思であり、覚悟でもある。
 (いわ)れも知れない朝廷の(おみ)たちにいくら担ぎ上げられようと、王妃の座に就くつもりなどなかった。
 瑛花宮で春蘭と語らい合った通り、芳雪の望みはたったひとつだけだ。



     ◇



 宮門を目指し歩く途中、芳雪は思わぬ邂逅(かいこう)を果たした。
 従者や護衛を付き従えず、たったひとりで歩いているのは王だ。
 重々しい龍袍(りゅうほう)をまとう彼は、瑛花宮で目にしたときと同様に秀麗ながらも(かげ)りのある顔をしている。
 その頃より、いくらか顔色はよくなっているように見えたが。

「……王さま」

 気づかぬふりをするには既に遅く、芳雪は丁寧な所作で礼を尽くした。

「そなたは……」

 どうやら王もまた、一見して素性が分かるほどには芳雪のことを記憶していたようだ。
 躊躇うような間があり、それ以上に言葉が続けられる気配はなかった。
 (おもて)を上げた芳雪はその双眸(そうぼう)を見据え、あくまで軽やかな調子で切り出す。

「少し、お話があります」
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