『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
        ♪ 男 ♪

 気づくと、目の前は暗闇ではなかった。
 雨は上がっているようだったが、辺りは深い(もや)に包まれていた。
 
 自分はどこにいるのだろうか? 
 考えようとしたが、何も思い浮かばなかった。
 ただ、雑木に掴まりながら少しずつ前に進んでいった時、左足を滑らせて斜面に叩きつけられたことは覚えていた。
 しかし、それがいつのことか、どこのことかはわからなかった。
 
 エネルギーは残っていないようだった。
 左手で木の根元を掴んでうつ伏せになっていたが、その左手にも力は入っていなかった。
 なだらかな斜面にいるのだろうか? 
 見上げたが、靄が視界を遮っていた。
 それに、もう首を上げるのも限界だった。
 
 力尽きたか……、
 何か考えようとしたが、脳のエネルギーも切れているようだった。
 肺を動かすのも辛くなってきた。
 浅い呼吸しかできなかった。

 左足の指が異常に冷たいのに気がついた。
 靴が脱げているようだった。
 しかし、足はもとより指さえ動かすことができなかった。
 だが、そんなことはどうでもよかった。
 エネルギーは尽きているのだ。
 もう二度と立つことはできない。

 目を瞑ると、何かが見えた。
 入口のようだった。
 それをぼんやりと見ていると、入口に近づく自分の姿が見えた。
 違う世界の入口からどこか知らない所へ入っていくのだろうか? 
 意識が遠のく中、他人事のようにそれを見ていた。
 
 入口が開いた。
 男は誘われるように中に入ろうとした。
 しかし、左手の小指が後ろに引っ張られて前に進めなくなった。
 入口の向こう側に入りかけた状態で男の体は止まってしまった。
 すると、耳元で囁くような声が聞こえた。
 と思ったら、目の前の靄が動いた。
 そして、周りの靄を集めて厚く膨らんでいった。
 その膨らみが男の頭を包み込むと、何かが見えてきた。
 それがスライドショーのように左から右へと流れていった。
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