薄氷の城

第46話  エヴァリストとコンスタンティン

 コンスタンティンは、辻馬車を降り、いつものパン屋さんで、いつものようにパンを買う。毎日自分たち五人分のパンを買えることは、山小屋に住んでいたときのことを思えばとても恵まれている。しかし、自分専用の御者と紋章付きの馬車を使い放題だったコンスタンティンの人生を思えば、平民の生活は苦しいとも言えた。
 パンを買った後、自宅とは逆方向に歩き出した。ブノワの鍛冶店に行くためだった。
 店へ入ると、気のよさそうな男性がこちらを見た。鍛冶仕事は終わっているようだ。

「どうした?エヴァリスト。」
「たまにはおじいさんと一緒に帰ろうかと。仕事も早く終わったので。」
「そうか、わかった。少し待ってな。裏で器具を片付けてるところだから呼んでくるよ。」
「ありがとうございます。」

 この町の人は、気の良い人ばかりで、移り住んで間もない頃から自分たちを受け入れてくれていた。

「待たせたな。じゃあ、帰ろうか。」

 コンスタンティンは、頷いた。少し歩いた所で、ユーグが口を開いた。

「今日は突然どうしたんだ?」
「少し、話しがあって。午前中にエディットには連絡して、子供たちをお隣に預けてもらっているんだ。」
「そんな、改まっての話しか。エディットもお前が帰って来るまで落ち着かないだろうな。」
「…うん。」
「一つ言っておく。エディットは、豪商の娘だった。魔術を教える町の教室で出会って、親の反対を押し切って家出してまでこの生活を選んだ。親元にいればしなくて済む苦労も文句を言わずやってくれた。本当に良い娘なんだよ。」
「うん。分かってる。」

 その後は、家に続く歩き慣れた石畳の道を二人で黙って歩いた。

「帰ったよ。エディット。」

 子どもの声の聞こえない我が家は久し振りだった。コンスタンティンはダイニングテーブルの椅子に黙って座っているエディットの目の前に座った。ユーグは、エディットの隣に腰掛けた。


∴∵


 私は、宿場町の端で宿屋をやっている家の五男として生まれた。成人し、洗礼を受けたが魔力もなかったため、継ぐもののない私は町にある鍛冶屋に弟子入りした。
 良い師匠に出会い、真面目に働ければきちんとした賃金をもらうことが出来た。鍛冶の仕事に才があったらしく、二十歳で独立してから店は順調に売り上げを伸ばした。
 結婚し、跡継ぎになる子にも恵まれた。鍛冶屋の方は人を雇っても休みがない程に忙しかった。
 妻は、私が居ない寂しさを息子へ向けた。息子を甘やかし、望むもの全てを買い与えた。突然の病で妻が亡くなった後、息子は生活を改めた。私の鍛冶の仕事を手伝い、飲み屋で出会った女性と結婚し、孫が誕生した。孫が生まれてからの息子は私から見ても立派に家族を支えていたと思う。
 しかれども、幸せな時間は長く続かなかった。孫のエヴァリストが、店に遊びに来ていたときに事故が起り顔に大きな火傷あとを残してしまった。息子のほんの一時(いっとき)の不注意で起った事だった。傷は巡回してきていた聖徒様が跡形もなく治して下さったが、義娘は息子の過ちを許すことが出来なかった。
 それから息子夫婦の関係は破綻していった。息子の放蕩癖は再び顔を出し、寝る以外の時間は賭け事と酒と女に使う日々だった。
 義娘はそれから程なくして家を出て行き、息子は借金で賭け事をするようになった。知人や友人、仕事相手や違法な金貸しにまで手を出した。
 そんな頃、エヴァリストが洗礼を受ける年になった。エヴァリストは誰の血筋か、鮮やかな青色の魔力を持っていた。町の魔術学校へ行き、魔術の基礎を学んだ。そこで会ったのが、エディットだった。
 エディットは甲斐甲斐しい娘で、エヴァリストの世話を焼いてくれていた。エヴァリストの助けもあり、息子の作った借金も返す目処が立ち始めた時、息子は鍛冶屋を抵当に入れ、再び多額の借金をして姿を消した。
 母親に続き、父親にも捨てられたエヴァリストはしばらく気落ちしていた。それを支えてくれたのも、エディットだった。エディットは、父親の反対を押し切ってエヴァリストの元へ来てくれた。
 そして三人で夜逃げ同然で町を離れ、山奥に住み着いた。暮らしは厳しかった。鍛冶道具を一から揃えなければならず、一人前の食事を三人で分け合う日々が続いた。
 やっと生活が出来るようになったのは四年ほど経ってからだった。
 しかし、エヴァリストはある夜、姿を消してしまった。

 ユーグは、エディットを別の部屋で待たせて、コンスタンティンに向って一気に話し続けた。

 それなのに、エディットはあの山小屋に残って、私の生活を支えてくれたんだ。感謝してもしきれない。そうして一年が経とうとした頃、私が町から帰って来ると傷だらけで意識のない君がいたんだ。
 この国のものではない騎士服を着た青年。明らかにエヴァリストではないが、エディットはエヴァリストなのだと言って聴かなかった。
 意識のない君をエディットは本当に細やかに面倒をみていた。あの、穏やかな日々が戻って来たように思えた。何度も行方不明者の掲示板を見に行ったが、君の容姿に当てはまる探し人はいなかった。
 二人の時には見せなかった、生き生きとしたエディットを見て、この青年をエヴァリストとして世話をしても良いのではないかと思い始めた頃に君が目を覚まし、記憶を失っていることが分かった。ならば、エヴァリストにしてしまおう。そう思った。

 ユーグは、うつむき涙を流した。

「すまない。君には君の本来の人生があり、君を大切に思う人がいるはずなのに。君の人生を奪い取ってしまった。どんなに謝ったとて、許してもらえないことは分かっている。悪いのはすべて私なのだ。エディットのことはどうか、咎めないでやって欲しい。君の国でのどんな罰も受け入れる。だからエディットだけは。」
「顔を上げて下さい。ユーグさん。」

 ユーグは、深く刻まれたしわが目立つ顔を上げた。

「私は、怒ってなどいません。瀕死の状態の私を助けて下さったこと、感謝こそすれ、怒ることなど何もない。」
「今、両陛下の結婚記念式典のために他国からの使者が来ているだろう?今、話すという事は、その国の使者と関係があるのだろうか?」
「今度は、エディットを交えて、私のことをお話したいと存じます。」
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