愛すべきマリア
5
「お話は終わりですか?」
「えっ……あの……婚約破棄は……」
「しません。むしろできるだけ早く婚姻式を行う予定です」
「そんなっ!」
「なぜあなたが驚くのですか? 何の関係も無いでしょう?」
「関係ない?」
「ええ、あるのですか?」
「……それは……あの……」
「お話しが終わられたのならどうぞお戻りください。宿題もあるでしょうし」
トーマスが無言のまま立ち上がり、ドアを大きく開いた。
廊下から流れ込んできた風に髪を揺らされた王女が振り向く。
その顔色は紙のように白かった。
「調査結果は分かり次第文書でお届けしましょう。同じものをシラーズ国王陛下と、その侍女の家族にも送っておきますので、どうぞ安心して学業に励んでください」
アラバスの情け容赦ない追撃を受けた王女は、フラフラと執務室を出て行った。
静かになった執務室で、最初に声を出したのはカーチスだ。
「しかし兄上、本当に容赦ないねぇ」
「容赦する必要などない。表情も変えずに持論を貫けるほどの強さもないのでは話にもならんさ。シラーズ王国はどんな教育をしているのだろうか。あれで俺の正妃になりたい? 寝言は寝てから言って欲しいものだな」
「まあそうだけど。母上なら狸を正妃にしてウサギは側妃なんて言いだしそうだよね」
アラバスが舌打ちをした。
「あのばばあならやりかねんな。それほど牡蠣が好きなら、いっそ自分が隣国に行けばいい」
「ははは! 母上が好きなのは牡蠣じゃないよ、アコヤガイだ。真珠が淡水でできないか研究させているんだもん」
「あほか」
「でもさぁ、もし成功したら真珠の価値が変わるよ。まあ老後の楽しみだって言ってたから、恩恵を被るのは僕たちの次世代だろうけれどね」
「趣味や道楽のために俺があの狸と? 冗談じゃない」
「まあね。でもこのままじゃ兄上と僕で狐と狸を娶らなくちゃいけなくなりそうだ。兄上が先に選んで、残った方が僕ってことだね。兄上はどっちがいい?」
「どちらもお断りだ」
「うん、激しく同意するよ。マリア嬢が回復してくれたら良いけれど……」
トーマスの肩がビクッと揺れた。
「分かっていたことだけれど、フラワー・タタンなんて侍女はいないよ。入国書類に記載されていたのは侍女が三名だけだし名前も違う。今日も三人引き連れていただろ? しかし舐められものだな」
カーチスがアレンの顔を見る。
戻ってきたアレンが、廊下に出ていた文官たちを呼び戻した。
「済まんが君たちは総出でシラーズ王国の貴族年鑑を調べてくれ。入国した者たちを徹底的に洗ってほしい。図書室へは話を通しておくから、禁書でも何でも使っていい。ただし、今日中に報告を頼む」
頷いた文官たちは急いで図書室へ向かう。
再びソファーに落ち着いた四人は、しばし無言でお茶を飲んだ。
「好きなお菓子だったのになぁ、タルト・タタン。なんだか食べ辛くなっちゃったよ」
カーチスの声にトーマスが頷く。
「もう少し捻ればいいのになぁ」
「頭が悪いんだろ」
アレンが続けると、アラバスがニヤッと笑った。
「そうでもないぜ? あるんだよ、タタン家ってのが。シラーズ王国じゃないけどな」
三人が一斉にアラバスの顔を見た。
「もう随分前に没落したわが国の子爵家だ。ちなみにクランプ公爵家の遠縁にあたる。その子孫達は平民になっていて、今でもクランプ家が面倒をみているはずだ」
「そうなの? 僕は知らないや……君たちは知っていた?」
アレンとトーマスが首を横に振る。
「知らなくて当然だよ。まったく表舞台には出ていないからな。俺が独自に調べたんだ。あの狐娘を娶れと言われる可能性もあるだろう? 徹底的に調べた」
「へえ……覚悟はあるんだ」
カーチスが意外そうな顔を兄王に向けた。
「俺の命は国のためにある。どうしてもと言われたら、ロバでもカバでもカエルでも娶る覚悟はあるさ。まあ死ぬほど嫌だが、その覚悟はあるということだ。そのタタン家の事だが」
そこまで言うと、アラバスはテーブルの上のタルトタタンに手を伸ばした。
「これがクランプ公爵家、こっちがタタン家だ。クランプ一族は何代か前まで人身売買組織を飼っていたんだ」
そう言ってクランプ家として置いたお菓子の周りに、小さなクッキーを並べた。
「これを管理していたのがタタン家だよ。で、摘発されたクランプ家はタタン家に全ての罪を背負わせた。もちろん合意の上でな」
人差し指でクッキーをタタン家に模したお菓子の方へ動かした。
「えっ……あの……婚約破棄は……」
「しません。むしろできるだけ早く婚姻式を行う予定です」
「そんなっ!」
「なぜあなたが驚くのですか? 何の関係も無いでしょう?」
「関係ない?」
「ええ、あるのですか?」
「……それは……あの……」
「お話しが終わられたのならどうぞお戻りください。宿題もあるでしょうし」
トーマスが無言のまま立ち上がり、ドアを大きく開いた。
廊下から流れ込んできた風に髪を揺らされた王女が振り向く。
その顔色は紙のように白かった。
「調査結果は分かり次第文書でお届けしましょう。同じものをシラーズ国王陛下と、その侍女の家族にも送っておきますので、どうぞ安心して学業に励んでください」
アラバスの情け容赦ない追撃を受けた王女は、フラフラと執務室を出て行った。
静かになった執務室で、最初に声を出したのはカーチスだ。
「しかし兄上、本当に容赦ないねぇ」
「容赦する必要などない。表情も変えずに持論を貫けるほどの強さもないのでは話にもならんさ。シラーズ王国はどんな教育をしているのだろうか。あれで俺の正妃になりたい? 寝言は寝てから言って欲しいものだな」
「まあそうだけど。母上なら狸を正妃にしてウサギは側妃なんて言いだしそうだよね」
アラバスが舌打ちをした。
「あのばばあならやりかねんな。それほど牡蠣が好きなら、いっそ自分が隣国に行けばいい」
「ははは! 母上が好きなのは牡蠣じゃないよ、アコヤガイだ。真珠が淡水でできないか研究させているんだもん」
「あほか」
「でもさぁ、もし成功したら真珠の価値が変わるよ。まあ老後の楽しみだって言ってたから、恩恵を被るのは僕たちの次世代だろうけれどね」
「趣味や道楽のために俺があの狸と? 冗談じゃない」
「まあね。でもこのままじゃ兄上と僕で狐と狸を娶らなくちゃいけなくなりそうだ。兄上が先に選んで、残った方が僕ってことだね。兄上はどっちがいい?」
「どちらもお断りだ」
「うん、激しく同意するよ。マリア嬢が回復してくれたら良いけれど……」
トーマスの肩がビクッと揺れた。
「分かっていたことだけれど、フラワー・タタンなんて侍女はいないよ。入国書類に記載されていたのは侍女が三名だけだし名前も違う。今日も三人引き連れていただろ? しかし舐められものだな」
カーチスがアレンの顔を見る。
戻ってきたアレンが、廊下に出ていた文官たちを呼び戻した。
「済まんが君たちは総出でシラーズ王国の貴族年鑑を調べてくれ。入国した者たちを徹底的に洗ってほしい。図書室へは話を通しておくから、禁書でも何でも使っていい。ただし、今日中に報告を頼む」
頷いた文官たちは急いで図書室へ向かう。
再びソファーに落ち着いた四人は、しばし無言でお茶を飲んだ。
「好きなお菓子だったのになぁ、タルト・タタン。なんだか食べ辛くなっちゃったよ」
カーチスの声にトーマスが頷く。
「もう少し捻ればいいのになぁ」
「頭が悪いんだろ」
アレンが続けると、アラバスがニヤッと笑った。
「そうでもないぜ? あるんだよ、タタン家ってのが。シラーズ王国じゃないけどな」
三人が一斉にアラバスの顔を見た。
「もう随分前に没落したわが国の子爵家だ。ちなみにクランプ公爵家の遠縁にあたる。その子孫達は平民になっていて、今でもクランプ家が面倒をみているはずだ」
「そうなの? 僕は知らないや……君たちは知っていた?」
アレンとトーマスが首を横に振る。
「知らなくて当然だよ。まったく表舞台には出ていないからな。俺が独自に調べたんだ。あの狐娘を娶れと言われる可能性もあるだろう? 徹底的に調べた」
「へえ……覚悟はあるんだ」
カーチスが意外そうな顔を兄王に向けた。
「俺の命は国のためにある。どうしてもと言われたら、ロバでもカバでもカエルでも娶る覚悟はあるさ。まあ死ぬほど嫌だが、その覚悟はあるということだ。そのタタン家の事だが」
そこまで言うと、アラバスはテーブルの上のタルトタタンに手を伸ばした。
「これがクランプ公爵家、こっちがタタン家だ。クランプ一族は何代か前まで人身売買組織を飼っていたんだ」
そう言ってクランプ家として置いたお菓子の周りに、小さなクッキーを並べた。
「これを管理していたのがタタン家だよ。で、摘発されたクランプ家はタタン家に全ての罪を背負わせた。もちろん合意の上でな」
人差し指でクッキーをタタン家に模したお菓子の方へ動かした。