愛すべきマリア

10

 執務室へ入ると、カーチスがすぐに立ち上がった。

「あのまま北の離宮へ向かっていたらと思うとゾッとするよ」

「ああ、お前の優柔不断さが良い方に転がったな。それで? 王女とは話せたか?」

「うん、どうやら最初はいつもの言い合いだったようだ。護衛に聞いたのだけれど、最近のケンカネタはどちらのドレスの方が豪華かというもので、僕たちとは関係ない諍いだったみたいだね」

 何も言わずアラバスが海より深い溜息を吐いた。

「今日もそんな感じで始まったみたいなのだけれど、ラランジェの後ろに控えていた侍女がいただろ? あいつレイラに何かを言ったんだってさ。そうしたらいきなり掴みかかられて、守ろうとした護衛の腰が丁度目の前にあったから、短剣を抜いて脅そうと思ったらしい。それがすぐに取り上げられちゃって、返り討ちってことさ」

「レイラは額を狙ったのか?」

「ラランジェが言うには、短剣を取り上げた拍子に当たったのだろうということだった。でも背中の傷については、明確な殺意を感じるよね」

「そうだな。相当頭に来たってことだ。いったい侍女はなんと言ったのだろうか」

「ラランジェには聞こえなかったらしいよ。本人は死んじゃったでしょ? レイラの証言待ちだね」

「そちらはアレンに任せてある。お前の今後の行動なのだが、何が何でも国家間の問題にしてはダメだ。これはあくまでもシラーズからの留学生と、わが国のアホ貴族令嬢のケンカだ」

「うん、でもラランジェは王女という立場だし、住んでいたのは離宮とはいえ王城内だ。そこはどうするの?」

「ラランジェはお前を探していたと言ったな? ということは、お前の訪問を待ちきれなかったということだ。彼女には悪いが、その気持ちを利用させてもらおう」

「利用?」

「そうだ、利用だ。彼女は理由はどうあれ、お前を助けようという気持ちを持っている。それを利用するんだ。カーチス、心を鬼にしろ。お前は王族であり、お前の背中には俺と同様にわが国の民の生活が載っているんだ。わかるか?」

 カーチスの喉がゴクッと鳴った。

「これが国家間問題になると戦争が勃発する。それは絶対に避けなくてはならない。自分が命を差し出して事を収めなくてはいけない……そう言うんだ。おそらく彼女は止めるだろうから、自分が愚痴をこぼしたことが原因だから責任があるのだと、ものすごく辛そうに言え」

「う……うん」

「どうすればワンダリア王国が巻き込まれないかだけを考えて行動するんだ」

「わかったよ。僕も王族だ。何をすべきかは理解しているつもりだよ。たとえこの身を犠牲にしてもね」

「それは最後の手段だぞ」

 カーチスがアラバスに手を差し出した。

「兄上、信じて待っていてほしい。僕も王子だ、覚悟を持つよ」

「ああ、もちろんだ」

 二人が握手を交わしていると、顔色を悪くしたアレンが入ってきた。

「シラーズ側もクランプ側も、使用人たちはほぼ同内容の証言をしている。全員が一致するのは、あの侍女が何かを言ってレイラが逆上したということだ」

「あの侍女の言葉を聞いたのはレイラだけだ。彼女の尋問は?」

「ああ、今からやる。それでお前を呼びに来たんだ」

「僕も同席するよ。情報は多い方がいい」

 カーチスの声に、すかさずアレンが口を開いた。

「こうなるという想定はしていなかったが、あの二人の諍いはお前たち二人が原因だ。まあ、そうもってういったのは僕たちだけどね。そこを考慮すると、顔を見せないほうがいい。お前達の前だと、自分は悪くないという方向に話を捏造して、本当のことを言わない可能性もあるだろう。隣の監視室で聞いていてくれ」

「わかった」

 取調室の横にある小部屋は、犯人を監視する事の他に、取り調べる人間が不正を働いていないことを証明するために設置されたものだ。
 声が聞こえるのは勿論、壁に掛かった鏡を通して室内の様子も見ることができる。

 三人がそれぞれの位置に座るとほぼ同時に、縄で拘束されたレイラが連れられてきた。

「レイラ嬢、いったい何があったんだ? あなたらしくない行動だと思わざるを得ない」

 努めて平穏な口調で切り出すアレン。

「アレン様、聞いてくださいまし。あの女が先に剣を向けたのですわ。私は必死で抵抗しただけです。その時に、運悪く剣先が当たっただけですわ」

「ええ、状況から見て額の傷はそうでしょうね。しかし逃げる王女の背中に切り付けたのは、いささかやり過ぎだ」

「だって、ここでやってしまわないと自分が危ないと思ったのです。平気で剣を突き出すような女ですもの。危険極まりないわ。それなのにアラバス様ったら……」

 隣室で聞いているアラバスの眉間にしわが寄る。

「アラバスが何か?」

「私、もう存じておりますのでお隠しにならなくても結構ですわ。アラバス様は……あの女を孕ませたのでしょう? 毎晩呼び出して寵愛を与えておられるとか……なぜアラバス様はあのような女をお選びになったのですか? シラーズとの国交がそれほど大事なのでしょうか」

 アレンが目を見開いた。

「ちょっと待って。あの女っていうのはラランジェ王女?」

「ええ、そうですわ」

「ラランジェ王女はアラバスの子を孕んでいると?」

「ええ、あの女の身の回りの世話をしている侍女がそう言ったのですから、間違いございませんわ。あの侍女は、元々クランプで世話をしていた者ですの。あの者さえ裏切らなければ、今頃は私がアラバス様のお側に侍っていたものを……忌々しい!」

「シラーズから来た侍女が、なぜクランプ家の?」

 分かっているくせに、白々しく証言をさせようと仕向けるアレン。
 アラバスが視線を動かすと、書記官がせっせと会話を書き取っていた。

「クランプ家はシラーズと繋がっていたのですわ。領地の特産品を輸出していたのです。これはきちんと届け出ていますので、何の疚しいことなどございません」

「ではなぜクランプ家の侍女を王女つきに? 理由が分からない」

「それは存じません。お父様がお決めになった事ですもの。ただ、あの者は王女の住む離宮に勤めながら、時々自宅へ戻っておりました。男のなりをしたり、女になったり。よくわからない者たちですの」

「今日殺されたのは、その侍女だということですね?」

「殺された? どういうことですの?」

「え? あの侍女はその場で死んでいましたよ。あなたがやったのではないと?」

「存じませんわ! 私はただ一身に王女の命を狙った……いえ、言い間違えました。王女から
命を守ろうとしただけでございます」

「ねえレイラ嬢、侍女になんと言われたの正確に再現できますか?」

「ええ……あの者は、私に近寄ってきて『早くしないと王女が出産してしまいますよ。そうなってはもう遅いのです。どちらにしても、あなたは負けたってことだ』と申しました。私は勝ち負けというより、妊娠するほどの寵愛をこの女が受けていると思うと悔しくて……」

 アレンが鏡の方へ目をやった。
 すると、壁からコンコンと音がして、アレンが頷く。

「あのね、レイラ嬢。アラバス殿下は一度たりともラランジェ王女を部屋に呼んだことはございませんよ。だって毎日毎晩、マリア妃と供寝しているのですから。王子が王子妃と閨を共にするなんて、当たり前でしょ? だって二人は愛し合っている夫婦なのですから」

「でもマリア妃はお怪我の具合が悪く、とても閨などできないという噂ですわ。それに……私、聞いてしまいましたの。マリア妃が初夜を他の女と過ごしたアラバス様を、口汚く詰っておられましたわ」

「ああ、あれを聞いたのですか。あれはね、劇の練習ですよ。第一王子宮で開催されるお芝居の練習です。僕もそこにいましたよ」

「え? お芝居ですって? そんな……まさか……」

「それにね、ラランジェ王女とよく話をしたり、ランチを一緒にとっていたのはカーチス殿下です。二人は学園で同じクラスですからね。国は違えど同じ王族だ。気を遣うのは当たり前でしょう?」

「でも! でもあの女は私に『食事に誘われた』とか『お茶の時間にずっと話をした』と言いましたわ。それと『好きだ』と伝えられたと……違う? 噓を吐いていたの?」

 隣室のカーチスがげんなりした顔で首を振って否定していた。
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