人生詩集・番外編

ドッペルゲンガー・4

だからさ、そりゃドッケンは恐ろしかろ、俺やあんたたちにとって。一生で思ったこと、やっちまったことを…ひとつ残らず!それこそケツの毛一本に至るまで奴あ知っているし、それを指摘されるんだぜ。フフフ、たまらんちゃ…。
だからもうわかったろ?なぜ奴が自分に瓜二つで、あたかも今一人の自分ででもあるのかが…。
じゃ、最後にご託宣だ。ドッケンにもし「負けることが出来て」、奴と合一することが出来たなら、そんときゃあひとつ、お宅らにメッセージを送るからさ(へへ、でもそん時にゃあこんな余裕があるのかな?)。
じゃ、アバよ。

おお、ドッケンベルガー、そは、汝と共に一生を歩みし、汝の連れ合い、引き裂くこと能わざる、汝の魂の兄弟なり!
己が一生の導き手なりし者なり!さるを…
その言の葉ひとつだに耳を傾けることをせず、汚れし自業のままに、欲得と快楽の人生を送りたるは……なんという痴れ者、恩知らず者、この、大たわけ者め!!

然なり。されば我…いま云わん。君、魂の兄弟なる者よ。
願わくは我をば具して共に神のみ前に進み出で、深く深く頭(こうべ)を垂れて、
我に贖罪をさせ給え。汚れのままに怪物のごとくなり果てたるこの身をば、
神のみ前に余すところなく、晒させ給え。
おお!恥ずかしきかな、恥ずかしきかな。清きみ光中に晒したる我が身、我が欲、我が一生の塵と垢…!
主よ、我をば打ち給え、蹴り給え。しこうして、君がみ光のうちに早消さしめ給え…。「主よ、許し給えー!!!」

斯くの如し。諸氏よ、ドッケンベルガーとは最後の神の慈悲なり。願わくは相まみえ、共に一生の最後を歩まれんことを。おん合掌をば致します…。

  【from pixabay, ドッケンベルガーの正体。我と汝(なれ)とみ光と…三位一体の調和】
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