オレノペット



◇





やって…しまった…。


いくら杉崎さんに流されたとはいえ、いつ、誰が来るかも分からない給湯室で…


あ、あんな…秘め事。


…と、以前、在庫管理室に初めて呼び出された時にも思った気がする。



久しぶりの杉崎さんのおうち。
お夕飯を作り始めたら、杉崎さんが背中からギュウッとくっついた。


「…ハンバーグにチーズ入れてくれんの?豪華だね。」


肩にちょこんと杉崎さんの顎が乗っかって、それに口を尖らせたまま少しだけ振り返る。


「あらま。怒ってらっしゃる。」


楽しそうに笑う杉崎さんを一瞥してまた前を向いた。


「…ごめんて。」

「……。」

「最後までシなくて。」

「そ、そこじゃありません!」

「え?そうなの?」


とぼけた返事にまた口を尖らせたまま振り向いたら、今度はそのまま顔を押さえられて、唇同士が触れ合う。


「…制服、すんごいいい。」

「よ、よくありません…。ただの事務服…」

「そこが良いんじゃん。」


首筋に鼻をすり寄せられて、給湯室での情事を思い出す。


シャツのボタンを外されて、首筋から鎖骨、胸へと這っていく唇。
スカートをたくし上げ、ストッキング越しに触れる柔らかな指先。

苦しそうな吐息と共に少しネクタイを緩めた杉崎さんが微笑み、そのまま幾度となくキスを繰り返す……


「…さすがにダルくて最後まで無理だった。」


無理で良かったです。
あのままだと、流されて……

会社のオフィスでヒミツのアバンチュール。


ああ…もう…。
本来、杉崎さんの体調を考えたら私がちゃんとしなきゃいけないのに。


『沙奈…』


甘くて優しいキスと触れられる感触に翻弄されて、全く理性が働かなかった。


いや、でも私…杉崎さんの誘惑に勝てた事、今まであったっけ。


前を向いてボールの中のお肉を手でこね始めたら、再び顎が肩に乗っかった。


「次は体調を万全にして挑むから。」

「……い、挑まないでください。」


ククッと笑う声が後ろから聞こえて来て、キュウッと胸が掴まれる。


私…よく、離れたよな…杉崎さんから。
こんなに心地よい空間…もう手放せない気がする。


お風呂上がりの杉崎さんの身体から、熱めの体温が伝わってくる。


まだ…熱も多少あるのかな…


「杉崎さん、休んでいてください。出来たら呼びますから。」

「うん。」


…返事はしたけど、離れる気配はまるで無い。


「あの…休んで…」

「だから、休んでんじゃん。沙奈は気にせず続きをどうぞ。」


ま、また…そんなこと言って。


くるりとその腕の中で振り返った。


「…体調が万全になるまで誘惑禁止です。」


真面目に言ったつもりなのに、何故か杉崎さんは目を細めて楽しげに笑う。
それから腰に腕がくるんと回って来て、抱き寄せられておでこ同士がコツンとぶつかった。


「…うん。わかりました。」


まさか…誘惑が無自覚なんじゃ。いや、この場合色気の漏れ具合が無自覚?
お風呂上がりで少しまだ湿り気を帯びたその髪先が目元を覆い、その先にはスッと整った鼻筋と綺麗に三日月を描く薄めの唇。


「と、とにかく、ちゃんと休まないと…出張までに本調子になりませんよ?」

「ん…」

「……。」


…私、性格悪いな。


『体調が良くならなきゃ他の人に変わるかも』

一瞬、そんな事を期待した。


だって、杉崎さんが誘惑するから。
つい、悪い考えに走っちゃうんだもん。


いやいや、誘惑に負けてる場合じゃ無い。
仕事であって、遊びで行くわけじゃないんだから、そんな考え社会人としてどうなの?


杉崎さんの背中に手を回して引き寄せて、そのまま首元に顔を埋めた。


「……。」

「…沙奈?」


それに答える様に、そっと髪を撫でてくれる、杉崎さんの丸い掌。
そこに余計に未練が生まれる。


…やっぱり嫌だ。
だってリリイさんと隣同士で飛行機8時間だよ?


「……早めのお帰りをお待ちしております」

「……。」

「……ます。」


クッとまた笑う声が降ってきた。


「…俺の調子が万全になるまでは誘惑禁止じゃなかったの?」


フワリと一瞬身体が離れたと思ったら、少し乱暴に再び腰から引き寄せられる。そのままの勢いで唇が塞がれた。


「言っとくけどね、沙奈の誘惑に比べたら俺のなんて誘惑の内にはいらないよ?」


そのまま、強く抱きしめられる。


「…即行帰って来ます。」


…リリイさんと飛行機は嫌だなって思うけど、仕方ないとも思ってしまう。
やっぱり…杉崎さんには勝てないんだ、私は。


「…沙奈、ハンバーグ食ったら抱き枕。」
「はい…」


また、優しく掌が私の頭を撫でた。
待ってよう…杉崎さんが帰ってくるのをちゃんと。



.











数週間ぶりに杉崎さんのおうちから出勤した朝は、寒さが足元から込み上げてくるにも関わらず、昨日の夜から朝にかけて包まれていた温もりの感覚が身体に残っていてどことなく暖かく感じる。



ホームで電車を待つ間、冬の空を見上げたらフワリと息が白く舞い上がって消えて行った。





出張の準備もあるらしく、杉崎さんは今日は午後から出勤で、明日の夕方便でNYに発つ。


クリスマスや年末年始は会えないのかな…


パソコンのカーソルを動かしながら、深く溜息をついた。


「川上さん、窓口交代するからお昼とってらっしゃい?」


お昼過ぎ、経理課の先輩が声をかけてくれた。そこへカツンとピンヒールの音が響く。


リリイ…さん…。


「…サナ、ランチスル。」


ランチの誘いとは思えないほどの仏頂面。


「何だか果たし状でも出しそうね」


一緒に見ていた先輩が私に顔を寄せた。


「…受けて立つ」


言った私に、先輩がクッと笑うと背中をポンッと叩く。


「思いっきり行ってこい。」


そのまま、素知らぬ顔で私の代わりに窓口に座った。


「…イクヨ。」


言葉少なに歩き出したリリイさんを追って行った先は、以前杉崎さんと待ち合わせをしたお洒落なカフェ。


リリイさんが入って行くと、どことなくそこにマッチして素敵に見えた。


…片や私は地味な事務服。
一応、カーディガンは羽織ってはいるけど、恥ずかしい…な。


居心地の悪さを覚えて席に座ってからも周囲を気にしていたら、リリイさんがメニューから一度顔を上げた。


「…You are nice than you think.」


瞬きをして小首を傾げると、フウと溜息をつきまたメニューに目を落とす。


「…I'm sorry about yesterday.」


今…ごめんなさいって、言った…?





.






お互い特に何を話すわけでもなく、注文したパスタが来て、一口食べた私が、その美味しさに笑顔になったら、リリイさんも少しだけ頬を緩める。


昨日の事が嘘の様に穏やかな時間。


パスタが食べ終わった直後、キャラメルムースとコーヒーがやってきた。


それに舌鼓をしていたら現れた見慣れた人。


駈…さん…?


偶然に驚きながら、少し会釈したら軽く手を上げながら近づいて来る。


「(リリイ、毎度。)沙奈ちゃん、いらっしゃい。そっか、考えてみたらリリイと同じ会社だもんな。」


今…駈さん、いらっしゃいって…


「リリイは俺がアメリカに留学してた時の同級生なんだよね」

「(何?駈と沙奈は知り合いなの?)」

「(ああ、彼女、うちのアパートの住人だから)」

「(そうなんだ)」


リリイさんは、駈さんを一瞥してから、私を見た。


「…カレ、コノミセオーナー」

「えっ?!」

「や…沙奈ちゃん。これでも、結構頑張って働いてんだよ?俺。」

「サナ、You're right.(駈、お会計よろしくね)」

「(ったく、リリイは…。まあいいや。沙奈ちゃんが一緒なら、デザートはオマケ)」

「(全く…皆して、沙奈、沙奈って…。そんなに良いかしらね、彼女)」

「(皆…って…もしかして、遥?同じ会社だもんな。)」

「(何よ、遥とも知り合いなの?相変わらず顔が広いわね…)」


伝票を受け取りリリイさんが立ち上がった。


慌てて私も立ち上がる。

お支払いしないと…と鞄に手をかけた私を駈さんが優しく制した。


「…奢ってくれるみたいよ?」


驚いて駈さんを見たら、ニッと口の片端をあげて微笑まれる。

「サナ、(行くよ!)」とリリイさんが店の入り口で手招きした。


“I'm sorry about yesterday.”


…きっと昨日のお詫びだよね。


駈さんに挨拶をしてから出たお店

お財布を見せて払うと主張した私を一瞥したリリイさんはそのまま真顔でスタスタと歩いて行ってしまう。


どうしよう…『謝ろう』と思ってくれたのは嬉しいし、それを示してくれたって事なんだろうけど…


会社に戻り、リリイさんがマフラーとコートを脱いだ所で、そのジャケットの袖のボタンが1つとれかけているのに気が付いた。


「リリイ…さん。」


指し示したら、溜息をつきざまに、ジャケットを脱ぐ。


…いくら暖房が効いているとはいえ、寒いよね、ブラウス一枚は。


「あ、あの…それ」


エレベーターに乗り込む直前、もう一度ジャケットを指し示し、鞄からミニ裁縫セットを出し、リリイさんに見せた。


「I do it.」


…恥ずかしい位に英語力が皆無。


けれど、一応リリイさんに通じたらしく、給湯室まで一緒に来てくれた。


縫い始めた私をリリイさんはジッと見つめてる。

けれど、そこに圧迫感も無く見守られている様な感覚でどことなく落ち着いて縫うことが出来た。


縫い終わってジャケットを渡すと「アリガトウゴザイマス」とそれを羽織る。

それから私に向かって、少し悲しそうに笑った。


「…チャントカエスヨ。」




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