🍶 夢織旅 🍶  ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
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 代替わりの挨拶を始めて1年半が過ぎ、10月に20番目となる酒蔵を訪れた。佐賀県の佐賀夢酒造。『一献盛』で、有名な酒蔵だった。蔵元は一徹と崇を地元で評判の鮮魚割烹に招待してくれた。
「佐賀に来たら、呼子のイカを食べていってください」
 活き造りの透き通ったイカが運ばれてくると、蔵元がそのイカにお酒を少しかけた。すると、ピクピクと動いた。
「おっ!」
 思わず声を出してしまった崇は恐る恐るその身を口に入れた。コリコリとした歯応えが最高で、しかも甘かった。
「活きがいいですね。それに、甘くて旨いですね」
 崇の褒め言葉に蔵元は大きく頷いた。
「これと合うんですよ」
 蔵元が注いだ酒は深いコクのある味わいの一献盛・純米極上酒だった。
「合いますね。呼子のイカにピッタリです」
 崇の口の中でイカの甘みと一献盛の味わいが絶妙に絡んだ。

「いい後継者ができて良かったですね」
 蔵元が一徹に酒を注ぐと、「お陰様で。縁があって、こうして引き継ぐことができました」と喜びに満ちた顔で古伊万里の盃を傾けた。
「実はですね」
 蔵元が隣に座る自分の息子を見て微笑んだ。
「こいつに継がせようと思っているのです」
「えっ、それって」
「私も代替わりをすることにしました」
「そうなんですか」
 一徹は驚きながらも「それは良かった」と目尻を下げて二人に酒を注いだ。

「佐賀夢酒造を継ぐことになりました、白鳥(しらとり)開夢(かいむ)です」
 彼は深々と頭を下げた。
「倅はまだ30歳なのでちょっと早いかなと思ったんですけど、しかし、いつまでも私がやっていたんではこれから来る新しい時代に取り残される気がしましてね」
 蔵元の目には、あとを託す息子への期待が滲み出ていた。

 時は1952年。終戦からまだ7年しか経っていなかったが、日本は復興に向けて大きな変化の真只中にいた。サンフランシスコ講和条約が発効され、日本に対する占領政策を司っていたGHQが廃止された。日本はもう占領下の国ではなくなったのだ。
 国民は喜んだ。大喜びをした。更に、敗戦国として惨めな思いをしていた国民の意識を高揚させる出来事が続いた。戦後初めて平和の祭典であるオリンピックに選手団を送り込むことができたのだ。しかも、それにとどまらず喜びは続き、白井義男が日本人として初めてボクシングの世界チャンピオンになった。また、国民に愛される歌姫も登場した。美空ひばりの歌声がラジオから頻繁に流れていて、新しい時代の中で日本は、日本国民は、大きく変わろうとしていた。

 一徹と崇の前に沖縄の『海ぶどう』が運ばれてきた。
 崇は初めての触感に驚いた。プチプチと口の中で弾けるのだ。
 なんだ、この感触は!
 びっくりしていると、開夢が声をかけてきた。
「この酒を合わせてみてください」
 彼は紙箱の中から色鮮やかな『肥前びーどろ』のグラスを取り出し、それに見慣れない酒を注いだ。
泡……、
 驚いてその液体を見つめていると、「飲んでみてください」と促されたので口に含んだ。
 えっ、何? 
 えっ? これが日本酒?
 崇と一徹は顔を見合わせた。そして、同じ言葉を口にした。
「飲みやすい」
 驚く二人を見た開夢が嬉しそうな表情を浮かべた。
「それに海ぶどうに合うでしょう」
 日本酒の一升瓶とは別物のボトルを愛おしそうに見つめながら開夢が言葉を継いだ。
「今までとまったく違う日本酒が造れないかなと思って、若い蔵人と一緒に試行錯誤を続けてきました。そして、やっとこれに辿り着いたのです」
 彼の顔は達成感が漲っているように見えた。しかし、すぐに真剣な表情になって一徹と崇に向き合った。
「この泡酒売れますか? 新しい時代の日本酒として受け入れられるでしょうか」
 彼が必死の形相になったので崇は一徹の顔を窺ったが、一徹は首を捻っていた。
「飲みやすいが、どうかな……、誰も飲んだことのない新しい味は……、どうかな……」
 一徹は考え込むように腕組みをした。それを見た開夢は一気に不安そうな表情に変わった。蔵元である父親が一番に信頼を置く一徹が首を縦に振ってくれないことに衝撃を受けたようだった。そんな息子に助け舟を出すかのように蔵元が崇に向き合った。
「崇さんは、どう思いますか?」
 振られて戸惑った。内心いけるのではないかと思っていたが、一徹と違う評価を下すわけにはいかなかった。だから、白黒つけないままこの場をやり過ごしたかったが、救いを求めるような開夢の視線に掴まってしまった。
「ん~、そうですね……、売れるかどうか……、ん~、どうですかね……」
 蔵元と開夢の視線を避けるように一徹に目をやったが、一徹は腕組みをしたまま目を瞑っていた。
「本当のところを聞かせてください」
 すがるような開夢の声が崇の逃げ場を塞いだ。
「ん~、そうですね……」
 また同じような言葉を発した時、不意に一人の男の顔が浮かんできた。
 もしかしたら……、
 その男の顔を思い浮かべながら、思わず頷いていた。
 やってみよう、
 心が決まった崇は開夢の目を真っすぐに見た。
「東京に持ち帰ってもいいでしょうか?」

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