🍶 夢織旅 🍶 ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
9
「申し訳ありません」
崇を見るなり、開夢が突然、土下座をした。
「申し訳ありません」
崇は戸惑ったが、すぐに彼の手を取って体を引き起こした。
「どうしたのですか?」
しかし、問いかけに応えず、彼はただうな垂れていた。
「申し訳ありません」
絞り出すように同じ言葉を発した瞬間、彼はまた土下座をしようとした。
「止めてください」
崇は彼を抱きとめて、「土下座なんて止めてください!」と強い口調で言った。
すると、彼の目から大粒の涙が溢れ出した。声をかみ殺して、でも、かみ殺せなくなり、「ぐ~」と喉の奥を締めつけるような声を出して、両肩を上下に揺らした。
こんなに打ちひしがれた男の姿をかつて一度も見たことがなかった。目から、鼻から、大量のものを垂れ流している男の姿を見たことがなかった。だから、どうしていいかわからなかった。ただ開夢を見つめることしかできなかった。
それでも、しばらくして落ち着きを取り戻したのか、開夢が絞り出すように声を出した。
「訳がわからなくなりました。やればやるほどうまくいかなくなるのです」
苦渋に満ちた表情を浮かべていた。泡酒の品質が安定しないことに困惑しているのだという。きめ細かな濾過をしないで粗い状態のまま瓶詰めをし、残った菌が瓶内で発酵することによって泡を発生させる製法で造っていたが、濾過の塩梅が難しく、均一な品質のものを大量に作ることができなかった。しかも、失敗したものは濁ってドロドロしていて販売できる代物ではなかった。
崇は彼の説明に頷きながらも、励ますことを忘れなかった。
「何事も失敗はつきものです。特に、誰もやったことがない新しいことを始める場合はほとんど失敗すると言っても過言ではありません」
崇は彼の両肩を掴んでその目を直視した。
「挫けてはダメです。諦めてはいけません。やり続けてください。やり続ければ必ず突破口が見つかるはずです」
そして労わるように声をかけた。
「失敗は成功の母です」
しかし、どん底に落ち込んだ開夢に崇の言葉は届いていないようだった。
帰京した崇が開夢のことを學に話すと、とても残念そうな顔になった。
「そうですか。品質が安定しませんか」
「うん。濾過の塩梅が難しいらしい」
「そうですか……」
二人のため息交じりの会話はそこで終わった。泡酒に対する知識がない二人にとって、なす術は何も無かった。
それから1週間が経った。
學が見慣れないボトルを持って華村酒店にやってきた。
「シャンパーニュです」
勤務している商社の酒類輸入部から入手したのだと言う。
彼は留め金を恐る恐るという感じで外して、栓を引き抜こうとした。しかし、びくともしなかった。力を入れても動かなかった。二人は顔を見合わせた。
「私がやってみよう」
ボトルを受け取った崇は栓を力いっぱい引き抜こうとした。しかし、結果は同じだった。びくともしなかった。
それで、やり方を変えた。引き抜くのではなくて回してみようと思ったのだ。
「動いてくれよ」
念じて回すと、ほんの少しだが動いた。
「おっ」
二人が同時に声を発した。崇が更に力を入れて栓を回すと、また動いた。今度は手応えがあった。
「よし!」
気合を入れて思い切り力を入れた。しかし、それ以上は動かなかった。まるで抵抗されているかのように動かなくなった。
「ちょっと替わってください」
學が受け取ると、栓の首のところに指をあてて、押し出そうとした。それでも動かなかったが、「う~ん」と唸って更に力を入れて押すと、急にポンっという大きな音がして、栓が勢いよく飛び出した。
「わっ!」
二人は身を屈めた。幸いぶつかることはなかったが、ワッ、という口の形を残したまま顔を見合わせて、数秒固まってしまった。
「これがシャンパーニュか」
黄金色の液体から繊細な泡が立ち上っていた。グラスの淵に鼻を近づけると、爽やかな甘い香りがした。一口飲むと、まろやかな酸味を感じたあと、ほのかな甘さが追いかけてきた。
「うまいな~」
口の中だけでなく、喉全体で旨味を感じた。
「うまいな~」
學も同じ言葉を呟いた。
飲み終わったあと、學が製法を口にした。それは崇にとって初めて聞く言葉だった。
「瓶内二次発酵?」
「そうです、瓶内二次発酵という造り方だそうです。会社にシャンパーニュの専門家がいるのですが、その人によると、いったん出来上がった泡のないワインを瓶に入れてそこへ新たに酵母や糖を入れて封をするというのがシャンパーニュの造り方らしいのです」
崇はその説明がよく理解できなかったし、造り方を頭に思い浮かべることもできなかった。それでも、泡を発生させるワインの造り方としてシャンパーニュ地方で確立された手法であることは間違いないようだった。
「白鳥さんの泡酒造りに使えませんかね」
同じことを考えていた崇は大きく頷いた。
「挑戦してみませんか」
學を連れて佐賀夢酒造を訪れた崇は保冷ケースの中からシャンパーニュのボトルを取り出して、開夢に渡した。
「瓶内二次発酵ですか……」
彼は聞き慣れない言葉に戸惑っているようだった。
「そうです。でも、先ずは飲んでみてください」
學が栓を飛ばさないように用心深く開けて、開夢のグラスにシャンパーニュを注いだ。
「きれいな泡……」
開夢はその繊細な泡に目を見張っているようだった。
「グラスに鼻を近づけてみてください」
學に勧められて開夢はシャンパーニュの香りを嗅いだ。
「爽やかな酸味と甘さを感じます」
そして一口飲むと、「あ~素晴らしい。なんという……」と天国にいるかのような表情になって呟いた。すると、すかさず學がフランスから取り寄せた文献を開夢に見せた。
「この製造方法で泡酒を作ってみませんか? フランス語なので書かれていることはわかりませんが、写真が参考になればと思って」
そのページを開けて見せると、開夢は食い入るようにその写真を見続けたが、「何が書いてあるのか、わかりませんか?」と助けを求めるような声になった。そして、必死な形相になって學を見つめて、「この文献が泡酒の救世主になるかも知れません。なんとか訳していただけないでしょうか。よろしくお願いします」と頭を深く下げた。
「申し訳ありません」
崇を見るなり、開夢が突然、土下座をした。
「申し訳ありません」
崇は戸惑ったが、すぐに彼の手を取って体を引き起こした。
「どうしたのですか?」
しかし、問いかけに応えず、彼はただうな垂れていた。
「申し訳ありません」
絞り出すように同じ言葉を発した瞬間、彼はまた土下座をしようとした。
「止めてください」
崇は彼を抱きとめて、「土下座なんて止めてください!」と強い口調で言った。
すると、彼の目から大粒の涙が溢れ出した。声をかみ殺して、でも、かみ殺せなくなり、「ぐ~」と喉の奥を締めつけるような声を出して、両肩を上下に揺らした。
こんなに打ちひしがれた男の姿をかつて一度も見たことがなかった。目から、鼻から、大量のものを垂れ流している男の姿を見たことがなかった。だから、どうしていいかわからなかった。ただ開夢を見つめることしかできなかった。
それでも、しばらくして落ち着きを取り戻したのか、開夢が絞り出すように声を出した。
「訳がわからなくなりました。やればやるほどうまくいかなくなるのです」
苦渋に満ちた表情を浮かべていた。泡酒の品質が安定しないことに困惑しているのだという。きめ細かな濾過をしないで粗い状態のまま瓶詰めをし、残った菌が瓶内で発酵することによって泡を発生させる製法で造っていたが、濾過の塩梅が難しく、均一な品質のものを大量に作ることができなかった。しかも、失敗したものは濁ってドロドロしていて販売できる代物ではなかった。
崇は彼の説明に頷きながらも、励ますことを忘れなかった。
「何事も失敗はつきものです。特に、誰もやったことがない新しいことを始める場合はほとんど失敗すると言っても過言ではありません」
崇は彼の両肩を掴んでその目を直視した。
「挫けてはダメです。諦めてはいけません。やり続けてください。やり続ければ必ず突破口が見つかるはずです」
そして労わるように声をかけた。
「失敗は成功の母です」
しかし、どん底に落ち込んだ開夢に崇の言葉は届いていないようだった。
帰京した崇が開夢のことを學に話すと、とても残念そうな顔になった。
「そうですか。品質が安定しませんか」
「うん。濾過の塩梅が難しいらしい」
「そうですか……」
二人のため息交じりの会話はそこで終わった。泡酒に対する知識がない二人にとって、なす術は何も無かった。
それから1週間が経った。
學が見慣れないボトルを持って華村酒店にやってきた。
「シャンパーニュです」
勤務している商社の酒類輸入部から入手したのだと言う。
彼は留め金を恐る恐るという感じで外して、栓を引き抜こうとした。しかし、びくともしなかった。力を入れても動かなかった。二人は顔を見合わせた。
「私がやってみよう」
ボトルを受け取った崇は栓を力いっぱい引き抜こうとした。しかし、結果は同じだった。びくともしなかった。
それで、やり方を変えた。引き抜くのではなくて回してみようと思ったのだ。
「動いてくれよ」
念じて回すと、ほんの少しだが動いた。
「おっ」
二人が同時に声を発した。崇が更に力を入れて栓を回すと、また動いた。今度は手応えがあった。
「よし!」
気合を入れて思い切り力を入れた。しかし、それ以上は動かなかった。まるで抵抗されているかのように動かなくなった。
「ちょっと替わってください」
學が受け取ると、栓の首のところに指をあてて、押し出そうとした。それでも動かなかったが、「う~ん」と唸って更に力を入れて押すと、急にポンっという大きな音がして、栓が勢いよく飛び出した。
「わっ!」
二人は身を屈めた。幸いぶつかることはなかったが、ワッ、という口の形を残したまま顔を見合わせて、数秒固まってしまった。
「これがシャンパーニュか」
黄金色の液体から繊細な泡が立ち上っていた。グラスの淵に鼻を近づけると、爽やかな甘い香りがした。一口飲むと、まろやかな酸味を感じたあと、ほのかな甘さが追いかけてきた。
「うまいな~」
口の中だけでなく、喉全体で旨味を感じた。
「うまいな~」
學も同じ言葉を呟いた。
飲み終わったあと、學が製法を口にした。それは崇にとって初めて聞く言葉だった。
「瓶内二次発酵?」
「そうです、瓶内二次発酵という造り方だそうです。会社にシャンパーニュの専門家がいるのですが、その人によると、いったん出来上がった泡のないワインを瓶に入れてそこへ新たに酵母や糖を入れて封をするというのがシャンパーニュの造り方らしいのです」
崇はその説明がよく理解できなかったし、造り方を頭に思い浮かべることもできなかった。それでも、泡を発生させるワインの造り方としてシャンパーニュ地方で確立された手法であることは間違いないようだった。
「白鳥さんの泡酒造りに使えませんかね」
同じことを考えていた崇は大きく頷いた。
「挑戦してみませんか」
學を連れて佐賀夢酒造を訪れた崇は保冷ケースの中からシャンパーニュのボトルを取り出して、開夢に渡した。
「瓶内二次発酵ですか……」
彼は聞き慣れない言葉に戸惑っているようだった。
「そうです。でも、先ずは飲んでみてください」
學が栓を飛ばさないように用心深く開けて、開夢のグラスにシャンパーニュを注いだ。
「きれいな泡……」
開夢はその繊細な泡に目を見張っているようだった。
「グラスに鼻を近づけてみてください」
學に勧められて開夢はシャンパーニュの香りを嗅いだ。
「爽やかな酸味と甘さを感じます」
そして一口飲むと、「あ~素晴らしい。なんという……」と天国にいるかのような表情になって呟いた。すると、すかさず學がフランスから取り寄せた文献を開夢に見せた。
「この製造方法で泡酒を作ってみませんか? フランス語なので書かれていることはわかりませんが、写真が参考になればと思って」
そのページを開けて見せると、開夢は食い入るようにその写真を見続けたが、「何が書いてあるのか、わかりませんか?」と助けを求めるような声になった。そして、必死な形相になって學を見つめて、「この文献が泡酒の救世主になるかも知れません。なんとか訳していただけないでしょうか。よろしくお願いします」と頭を深く下げた。