🍶 夢織旅 🍶 ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
7
「お帰りなさい」
父親に付き添われて母親が10日振りに帰宅した。
「ただいま」
明るい声だった。右胸は左胸と同じように膨らんでいた。そのせいか、落ち込んでいる様子はまったく感じられなかった。
「迷惑かけたわね」
咲の肩に手を置いた。家事全般を一手に引き受けたことへの労いのようだった。
「おいしいものを作るわね」
早速料理をするつもりでいるようだったので、「まだだめよ。それに今日はお寿司を頼んでいるからなんにもしなくていいのよ」と制すると、なんでお寿司? というように首を少し傾げたが、「退院祝いだよ」と父親が笑みを浮かべると、「ありがとう」とやっと頬を緩めた。しかし、それは弱々しく、まだ調子が万全ではないことを思わせた。それを父親も感づいたのだろう、「少し休んだ方がいい」と布団をひいている和室へと母親を誘導した。
「ゆっくり休んでね」
背中に向けて咲が声をかけると、母親は振り返らずに右手を少し上げた。
「おいしいね」
病院食から解放されたせいか、母親は満面に笑みを湛えていた。
「ウニ食べる?」
咲は自分の分を指差した。ウニは母親の大好物で、今日も最初に口にしていた。
「ありがとう」
少し顎を引いてから、もう充分というように右手の掌を咲に向けた。そして、「お腹がびっくりして全部食べられるかどうか……」と目の前の特上セットを見つめながら肩を少し上げると、「ゆっくり食べたらいいよ」と父親が母親の肩に手を置いた。それはとても愛情のこもった仕草だった。なんだかジーンとして潤んでしまった。
食事が終わって母親に付き添った咲は和室で着替えを手伝った。
「見ないでね」
母親は咲に背を向けてブラジャーを取った。新しい補正ブラジャーを咲が後ろから渡すと、背中を向けたままで身に着けた。そしてパジャマに着替えて布団の中に入ると、「相談した?」と上を向いたまま声をかけられた。
首を振ると、「大学院?」と見つめられた。やはりお見通しだった。しかし、頷かなかった。頷けるわけがなかった。それでも背中を押すように「行きなさい」と優しく声をかけられた。そして、「心配しなくていいのよ」と布団から右手を出して正座している右手の上に乗せ、「お父さんを呼んできて」と笑みを浮かべた。
しかし、呼べば二人揃って進学を進めるのはわかっているので動かないでいると、「さあ早く」と手を強く握られた。それで仕方なく居間に行って「お母さんが呼んでる」と告げると、「そうか」と新聞をテーブルの上に置いて立ち上がった。
母の部屋に戻って父親の横に正座すると、「さあ」と促されたが、口を開くことはできなかった。母親の気持ちは嬉しかったが、今後長い治療を受けるかもしれないことを考えると安易に言い出せなかった。転移する可能性がゼロではないし、そうなれば再手術ということになり、入退院が続くかもしれないのだ。
そんな状態で大学院へ行かせてくれとは言えなかった。しかも、自分が進学すれば音も行きたくなるだろう。そうなると両親の経済的負担は半端なものではなくなる。何もなくても大変なのに、こんな非常事態で切り出すべきではないのだ。黙ってうつむいていると、「咲」と呼びかける声が聞こえ、顔を向けると父親の真剣な目に捕えられた。
「子供が親の懐を心配する必要はないんだよ。こう見えても人並み以上の給料は貰っているし、貯金だって少なからずあるんだからね。子供二人を大学院にやるくらいどうってことはないんだ」
「でも……」
「心配するな。贅沢さえしなければなんとかなるし、なんとかならなくなったとしても、子供が一流になるためなら借金をしてでも投資してやる」
「えっ!」
父親の目を見つめたまま固まっていると、「咲」と今度は母親から呼びかけられた。
「あなたが幸せになることが私の願いなの」
「そうだよ。お前が幸せにならなかったらお母さんも元気にならないよ」
「その通りよ。病気と闘うための一番の薬はあなたの幸せなの。だから大学院に行って。そして、勉強したことを私に教えて。お願い」
「お帰りなさい」
父親に付き添われて母親が10日振りに帰宅した。
「ただいま」
明るい声だった。右胸は左胸と同じように膨らんでいた。そのせいか、落ち込んでいる様子はまったく感じられなかった。
「迷惑かけたわね」
咲の肩に手を置いた。家事全般を一手に引き受けたことへの労いのようだった。
「おいしいものを作るわね」
早速料理をするつもりでいるようだったので、「まだだめよ。それに今日はお寿司を頼んでいるからなんにもしなくていいのよ」と制すると、なんでお寿司? というように首を少し傾げたが、「退院祝いだよ」と父親が笑みを浮かべると、「ありがとう」とやっと頬を緩めた。しかし、それは弱々しく、まだ調子が万全ではないことを思わせた。それを父親も感づいたのだろう、「少し休んだ方がいい」と布団をひいている和室へと母親を誘導した。
「ゆっくり休んでね」
背中に向けて咲が声をかけると、母親は振り返らずに右手を少し上げた。
「おいしいね」
病院食から解放されたせいか、母親は満面に笑みを湛えていた。
「ウニ食べる?」
咲は自分の分を指差した。ウニは母親の大好物で、今日も最初に口にしていた。
「ありがとう」
少し顎を引いてから、もう充分というように右手の掌を咲に向けた。そして、「お腹がびっくりして全部食べられるかどうか……」と目の前の特上セットを見つめながら肩を少し上げると、「ゆっくり食べたらいいよ」と父親が母親の肩に手を置いた。それはとても愛情のこもった仕草だった。なんだかジーンとして潤んでしまった。
食事が終わって母親に付き添った咲は和室で着替えを手伝った。
「見ないでね」
母親は咲に背を向けてブラジャーを取った。新しい補正ブラジャーを咲が後ろから渡すと、背中を向けたままで身に着けた。そしてパジャマに着替えて布団の中に入ると、「相談した?」と上を向いたまま声をかけられた。
首を振ると、「大学院?」と見つめられた。やはりお見通しだった。しかし、頷かなかった。頷けるわけがなかった。それでも背中を押すように「行きなさい」と優しく声をかけられた。そして、「心配しなくていいのよ」と布団から右手を出して正座している右手の上に乗せ、「お父さんを呼んできて」と笑みを浮かべた。
しかし、呼べば二人揃って進学を進めるのはわかっているので動かないでいると、「さあ早く」と手を強く握られた。それで仕方なく居間に行って「お母さんが呼んでる」と告げると、「そうか」と新聞をテーブルの上に置いて立ち上がった。
母の部屋に戻って父親の横に正座すると、「さあ」と促されたが、口を開くことはできなかった。母親の気持ちは嬉しかったが、今後長い治療を受けるかもしれないことを考えると安易に言い出せなかった。転移する可能性がゼロではないし、そうなれば再手術ということになり、入退院が続くかもしれないのだ。
そんな状態で大学院へ行かせてくれとは言えなかった。しかも、自分が進学すれば音も行きたくなるだろう。そうなると両親の経済的負担は半端なものではなくなる。何もなくても大変なのに、こんな非常事態で切り出すべきではないのだ。黙ってうつむいていると、「咲」と呼びかける声が聞こえ、顔を向けると父親の真剣な目に捕えられた。
「子供が親の懐を心配する必要はないんだよ。こう見えても人並み以上の給料は貰っているし、貯金だって少なからずあるんだからね。子供二人を大学院にやるくらいどうってことはないんだ」
「でも……」
「心配するな。贅沢さえしなければなんとかなるし、なんとかならなくなったとしても、子供が一流になるためなら借金をしてでも投資してやる」
「えっ!」
父親の目を見つめたまま固まっていると、「咲」と今度は母親から呼びかけられた。
「あなたが幸せになることが私の願いなの」
「そうだよ。お前が幸せにならなかったらお母さんも元気にならないよ」
「その通りよ。病気と闘うための一番の薬はあなたの幸せなの。だから大学院に行って。そして、勉強したことを私に教えて。お願い」