🍶 夢織旅 🍶 ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
7
醸がイタリアやドイツに行くことはなかった。毎月バレンシアへ行っていたからだ。お姉さんに頼まれたから、という理由をつけて幸恵に会いに行っていたのだ。大学を出たばかりの若い女性が異国の地で一人頑張っている姿を放っておけなかったし、何より、初めて会った時から彼女に惹かれていた。
醸は話題に困らなかった。祖父から何度も愛媛県の銘酒や特産品を聞いていたからだ。
「焙ったじゃこ天を山葵醤油で食べると最高! と言うのが祖父の口癖なんです。歯ごたえのある蒲鉾が最高だって、よく取り寄せていました」
すると、幸恵が嬉しそうに頷いたので、「〆の鯛めしも絶対食べなさいって、何度言われたことか」と祖父の真似をして箸を動かすふりをした。
翌月、いつものように幸恵の部屋で小さなテーブルを囲んで向き合っていると、「ちょっと待っててくださいね」と言って台所に行き、お盆に何かを乗せて戻ってきた。
「お口に合えばいいのですが」
ご飯の上に白身魚の刺身が載った小さな椀皿が目の前に置かれた。
「えっ、これって」
「はい。鯛めしを作ってみました。もちろんバレンシアの近海で獲れた鯛なので瀬戸内海の鯛とは味が違うと思いますけど」
前回、鯛めしの話をしてくれたことが嬉しくて、なんとか食べてもらおうとバレンシアの食材で作ってみたのだという。
「パエリアで有名なようにスペインはお米をよく食べる国なんです。日本のお米と似ているでしょう」
本当にそうだった。粒が丸かった。
「でも、粘り気が少なくて水分量も低いので華村さんのお口に合うかどうか、それに醤油だれも宇和島のようには作れないので」
声が尻切れトンボになって不安そうな表情になったので、それを打ち消すために「いただきます」と声に力を込めて箸を持った。
「旨い!」
思い切り笑みを浮かべると、「本当ですか?」と幸恵の顔がパッと明るくなった。
「旨い、旨い!」
何度も頷きながら箸を進めると、「良かった……」とほっとしたように息を吐き、安堵の表情を浮かべた。
あっという間に椀皿が空になり、「ごちそうさま」と箸を置くと、幸恵はそれを台所に下げに行ったが、すぐには戻らず、台所で何かをしているような音が聞こえた。そして、しばらくして今度は小さな鍋を運んできた。
「これも食べてみてください」
蓋に向かって掌を向けたので、なんだろうと思いながら開けると、炊き上がったご飯の上に鯛が乗っていた。
「これは?」
「これも鯛めしです」
「えっ?」
「徳島県鳴門の鯛めしを真似してみました」
「鳴門……」
小さな鯛が一尾丸ごと炊き込まれていた。渦潮で有名な鳴門海峡で獲れる鳴門鯛はぷりぷりとした身で上品な甘さがあるという。鳴門ではその鯛を、醤油、塩、酒、昆布だしで炊き込むのだという。
「日本酒の代わりに白ワインを使ったんです。昆布だしの代わりはコンソメスープです。だから鳴門もどきバレンシア風鯛めしなんですけど」
幸恵はちょっと不安そうな感じになったが、それでも鍋の中で鯛の身をほぐしてご飯と一緒によそおってくれた。
「いける!」
食べた瞬間、今まで味わったことのない風味が押し寄せてきたので思わず声が出た。
「本当に? おいしくできていますか? 良かった!」
一転して顔が綻ぶと醸にも伝染して、なんて幸せなんだろう、と心が温かくなった。自分のために2種類の鯛めしを作ってくれるなんて思いもしなかったから、喜びは半端なかった。食材がない異国の地で苦労しながら作ってくれたことはもちろんだが、どうにかして食べさせたいというその気持ちが嬉しかった。
その優しさが心に沁みた。そして、このようなチャンスを作ってくれた祖父に感謝した。祖父のお陰で彼女に一歩近づけたのだ。これほど嬉しいことはなかった。
その後、二人が親密になるのに時間はかからなかった。異国の地での月一度の逢瀬は、日本でのそれと比べて何倍も濃密だった。お互いになくてはならない存在になっていき、離れがたくなっていった。
しかし、醸はパリに帰らなくてはならない。必ず別れがやってくるのだ。それは耐えがたいことで、別れのキスが一回で終わらなくなった。
サヨナラのキス、
またねのキス、
離れられないのキス、
でも行かなきゃのキス、
最後にもう一回のキス、
恥ずかしがる幸恵を強く抱き締めながら、駅のホームで電車が出発するギリギリまでキスを繰り返した。
次に会えるのは1か月後か……、
駅から遠ざかる電車の中で醸は大きなため息をついた。
1か月という期間は余りにも長すぎた。とても待ち切れるものではなかった。それに、パリの小さな部屋でやるせない夜を過ごすのはもう耐えきれなかった。
いつも彼女のそばにいたい。一緒に住みたい。でも、
叶わぬ想いの中で不安定な日々を過ごすしかなかった。
解決策を見出せないまま、悶々としたまま、『SAKE・BAR:FUJI&SAKURA』での仕事と毎月のバレンシア通いで、あっという間に2年が過ぎていった。
醸がイタリアやドイツに行くことはなかった。毎月バレンシアへ行っていたからだ。お姉さんに頼まれたから、という理由をつけて幸恵に会いに行っていたのだ。大学を出たばかりの若い女性が異国の地で一人頑張っている姿を放っておけなかったし、何より、初めて会った時から彼女に惹かれていた。
醸は話題に困らなかった。祖父から何度も愛媛県の銘酒や特産品を聞いていたからだ。
「焙ったじゃこ天を山葵醤油で食べると最高! と言うのが祖父の口癖なんです。歯ごたえのある蒲鉾が最高だって、よく取り寄せていました」
すると、幸恵が嬉しそうに頷いたので、「〆の鯛めしも絶対食べなさいって、何度言われたことか」と祖父の真似をして箸を動かすふりをした。
翌月、いつものように幸恵の部屋で小さなテーブルを囲んで向き合っていると、「ちょっと待っててくださいね」と言って台所に行き、お盆に何かを乗せて戻ってきた。
「お口に合えばいいのですが」
ご飯の上に白身魚の刺身が載った小さな椀皿が目の前に置かれた。
「えっ、これって」
「はい。鯛めしを作ってみました。もちろんバレンシアの近海で獲れた鯛なので瀬戸内海の鯛とは味が違うと思いますけど」
前回、鯛めしの話をしてくれたことが嬉しくて、なんとか食べてもらおうとバレンシアの食材で作ってみたのだという。
「パエリアで有名なようにスペインはお米をよく食べる国なんです。日本のお米と似ているでしょう」
本当にそうだった。粒が丸かった。
「でも、粘り気が少なくて水分量も低いので華村さんのお口に合うかどうか、それに醤油だれも宇和島のようには作れないので」
声が尻切れトンボになって不安そうな表情になったので、それを打ち消すために「いただきます」と声に力を込めて箸を持った。
「旨い!」
思い切り笑みを浮かべると、「本当ですか?」と幸恵の顔がパッと明るくなった。
「旨い、旨い!」
何度も頷きながら箸を進めると、「良かった……」とほっとしたように息を吐き、安堵の表情を浮かべた。
あっという間に椀皿が空になり、「ごちそうさま」と箸を置くと、幸恵はそれを台所に下げに行ったが、すぐには戻らず、台所で何かをしているような音が聞こえた。そして、しばらくして今度は小さな鍋を運んできた。
「これも食べてみてください」
蓋に向かって掌を向けたので、なんだろうと思いながら開けると、炊き上がったご飯の上に鯛が乗っていた。
「これは?」
「これも鯛めしです」
「えっ?」
「徳島県鳴門の鯛めしを真似してみました」
「鳴門……」
小さな鯛が一尾丸ごと炊き込まれていた。渦潮で有名な鳴門海峡で獲れる鳴門鯛はぷりぷりとした身で上品な甘さがあるという。鳴門ではその鯛を、醤油、塩、酒、昆布だしで炊き込むのだという。
「日本酒の代わりに白ワインを使ったんです。昆布だしの代わりはコンソメスープです。だから鳴門もどきバレンシア風鯛めしなんですけど」
幸恵はちょっと不安そうな感じになったが、それでも鍋の中で鯛の身をほぐしてご飯と一緒によそおってくれた。
「いける!」
食べた瞬間、今まで味わったことのない風味が押し寄せてきたので思わず声が出た。
「本当に? おいしくできていますか? 良かった!」
一転して顔が綻ぶと醸にも伝染して、なんて幸せなんだろう、と心が温かくなった。自分のために2種類の鯛めしを作ってくれるなんて思いもしなかったから、喜びは半端なかった。食材がない異国の地で苦労しながら作ってくれたことはもちろんだが、どうにかして食べさせたいというその気持ちが嬉しかった。
その優しさが心に沁みた。そして、このようなチャンスを作ってくれた祖父に感謝した。祖父のお陰で彼女に一歩近づけたのだ。これほど嬉しいことはなかった。
その後、二人が親密になるのに時間はかからなかった。異国の地での月一度の逢瀬は、日本でのそれと比べて何倍も濃密だった。お互いになくてはならない存在になっていき、離れがたくなっていった。
しかし、醸はパリに帰らなくてはならない。必ず別れがやってくるのだ。それは耐えがたいことで、別れのキスが一回で終わらなくなった。
サヨナラのキス、
またねのキス、
離れられないのキス、
でも行かなきゃのキス、
最後にもう一回のキス、
恥ずかしがる幸恵を強く抱き締めながら、駅のホームで電車が出発するギリギリまでキスを繰り返した。
次に会えるのは1か月後か……、
駅から遠ざかる電車の中で醸は大きなため息をついた。
1か月という期間は余りにも長すぎた。とても待ち切れるものではなかった。それに、パリの小さな部屋でやるせない夜を過ごすのはもう耐えきれなかった。
いつも彼女のそばにいたい。一緒に住みたい。でも、
叶わぬ想いの中で不安定な日々を過ごすしかなかった。
解決策を見出せないまま、悶々としたまま、『SAKE・BAR:FUJI&SAKURA』での仕事と毎月のバレンシア通いで、あっという間に2年が過ぎていった。