乙女ゲームの世界でとある恋をしたのでイケメン全員落としてみせます


 しばらく歩いていれば、突然ピタリと時成さんが歩みを止めた。
 すぐ後ろを歩いていたせいで、何の前触れもなく停止したその背中にぶつかりそうになったけど、なんとか足のつま先で踏ん張りそれを避ける。

 止まるなら一声かけてくれないものか、とジトリとした視線を送れば
 『トキノワ』と彫られた看板がある家の玄関を、ノックもせず我が家同然のようにガラガラと開けている時成さんに驚く。

 さきほどまでいた旅館ほど大きくないものの、一軒家にしてはそこそこに大きそうなその建物の玄関から「おいで」と手招きされ、私は恐る恐るその敷居をまたぐ。

 「ここ時成さんの家なんですか?」と聞いてみれば否と返され首を傾げる。
 確かに旅館に泊まっているのだから家があるのもおかしいけど…じゃあ誰の家なのか…


「サダネ、きたよ」


 玄関に腰掛け靴を脱ぎながら時成さんがどこにでもなくそう言った後、廊下の奥の方から誰かがこちらに駆けてきた。


「時成様。お待ちしてました」
「うん。おはようサダネ」
「おはようございます……あの、そちらの方は?」


 不思議そうにこちらを見てきたのは、やたらと顔面偏差値の高い若い男の人で…
 サラサラと透き通るような灰色髪に、切れ長の目に、筋の通った鼻、厚くもなく薄くもないバランスのとれた唇の横には、小さな黒子があり色気すら醸し出している…。


(なにこのイケメン!?)


 まるで子供のころ読んでいた絵本からとび出てきた王子様のようなその人に、口をぽかんと開けて呆然とする。
 こんなにも整った顔、テレビでもあまり見たことがないと見惚れていれば「紹介しようか」と時成さんが手のひらを上に向けて、男の人の方へ動かした。


「こちらはサダネという者でね。私の会社『トキノワ商会』の主な仕事をほぼ任せている」
「よろしくお願い申し上げます。」
「よ、よろしくお願い致します…」
「そしてサダネ。こちらはーー」


 手のひらをこちらへと動かし、私と目が合ったと思えば、時成さんはピタリとその動きを止める。
 なぜ止まったのか疑問を抱く前に、時成さんは思い出したかのように「そういえば」と頷いた。


「君の名前は聞いていなかったね」


 にっこりと胡散臭い笑みを浮かべ言われたその今更な言葉に、がっくりと体の力が抜けそうになりつつも、なんとか私は背筋を伸ばす。


「私の名前はーー」
「あぁちょっと待って」


 名乗ろうとしたところで、言葉を遮ってきた時成さんは、私の耳元に口を寄せると小声で話し出した。


「この世界に名字という概念はないからね。名乗るならどちらかにして」


 ひそひそと言われた驚愕の事実に驚きつつも、郷に入っては郷に従えというもので、それなら、とコホンと咳払いをひとつした。


「私の名前は由羅(ゆら)です。」


 名字と名前どちらかなら名前だろう、とそちらを選んだけど、こういう自己紹介で名字を名乗らないことになんとも違和感を感じるのは否めない。
 名乗ると同時に下げていた頭を戻せば、サダネさんは「では由羅さんとお呼びしますね」と丁寧に返してくれたあと「奥へどうぞ」と応接室のような部屋へ案内してくれた。


 広い和室に絨毯が敷かれ、柔らかそうなソファとローテーブルがひとつあるだけのシンプルなその部屋のソファに座り、サダネさんが出してくれたお茶を飲めば、自分の喉が渇いていたのだと気付く。


「時に由羅さんは、時成様とはどういうご関係なのでしょうか?何やら不思議な格好をしてますが…」


 「新しい商談相手ですか?」と聞くサダネさんに時成さんは視線を上にやる。

 どう説明するのか考えているのだろう時成さんの横、で改めて自分の恰好を見てやっぱ変だよね、と納得する。
 羽織を閉じているからスーツは見えてないはずだけど、そこから伸びているのはストッキング履いているとはいえ生足みたいなものだし、変な恰好であることは間違いない。
 不審に思われても仕方ない…。


「関係を説明するのはどうにも難しい、というかとても面倒くさいね。サダネの思うままに解釈していいよ」
「「……」」


 潔いほどさっぱりと、説明を諦めた時成さんに、いい加減だなぁ、と内心呆れる…。

この人会社の経営とか本当にできているのだろうか…、さきほどサダネさんにほぼ任せているとか言っていたけど、サダネさん的にもそれ大丈夫なのだろうか。
 見た感じとても若そうに見えるのに…実はやりての人だったりするのだろうか…


「よくわかりませんが…トキノワに新しく入社される方、なんでしょうか?」
「うん。それでいいよ」
「え!?」


 二人の会話に目を丸くする。

 なにを言ってるんだこの人たち…
 よくわからない世界のよくわからない会社に勝手に入社させるのやめてください。
 しかもこの男が経営者というだけでほのかにブラック臭がするのに…!

 そう思っていても、口に出すことがなかなか敵わない自分の意気地のなさに葛藤していれば、話は進み入社を拒否するタイミングを完全に逃してしまっていた…。


「それでサダネ。ここにナス子の着物がいくつかあったろう?この変な恰好の子に貸してあげてくれないかな」
「それは構いませんが…」
「着方はわかるよね」
「わかるわけないですよね」


 着替えておいで、と当たり前のように言ってきた時成さんに、ブンブンと手を横に振った。

 夏祭りで着るような浴衣ですら着方フワフワしてるのに、着物なんてわかるわけないじゃないですか!と訴えると…
 時成さんは、とても面倒くさい、という顔をした後「とても面倒くさいね」と…そのまま口にした…

 言われたそれに申し訳なさと苛立ちが同時にやってきたけど、ぐっと抑えて「教えてください」と私は頭を下げた。

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