女子爵は、イケメン人魚を飼う事にしました。

2話

 客間のカーテン越しに、薄い日差しが差し込んでいる。柔らかな光に照らされて、ベッドに横たわる青年の顔は、まるで彫刻のように整って見えた。

銀色の髪がさらさらと枕に広がり、長いまつ毛が静かに伏せられている。整った鼻筋と薄い唇が、寝息に合わせてかすかに動いていた。

「ほんとに、人間なの?」

隣に立つ女性の使用人が、ぼそりとつぶやいた。その気持ちは分かる。この世のものとは思えない美しさが彼にはあった。

彼を見つけたときは、ただの漂流者だと思った。けれど、いざ目の前にいると、整いすぎた顔立ちに不思議な違和感を覚えた。まるで、人形のような完璧さだった。

私たちが海岸から彼を屋敷に運んだとき、使用人たちは最初こそ驚きの声を上げていたけれど、彼の顔を見た瞬間、その驚きは動揺に変わった。

「えっ、誰?」
「この人……」
「美しい……」

そんな呟きが、あちこちから聞こえてきたのを覚えている。だけど、一番冷静だったのは、執事のオズワルドだった。

「リディア様、彼はおそらく低体温症です。まずは体を温めましょう」

冷静に的確な指示を出すオズワルドの声が、ざわついていた使用人たちを一気に落ち着かせた。

「男性陣はすぐに彼を拭いて着替えさせなさい。女性陣は温かいスープの準備を。リディア様、客間の準備はすでに整っております」

彼の指示を受け、使用人たちが慌ただしく動き始めた。これが“頼れる大人”の力か、と少し感心したのを覚えている。そして今、彼はベッドで眠っている。

あれから数時間が経過した。濡れた髪は乾き、貸した寝間着が少し大きめだったけれど、彼の体を包み込んでいる。顔色も少し良くなっている気がした。

「……綺麗な顔」

使用人の呟きが耳に残る。確かに、綺麗すぎる。まるで絵画から抜け出してきたような顔。美しすぎて、逆に現実感がない。

私はベッドの横に置かれた椅子に座り、彼の様子を見ていた。

「リディア様、そろそろ休まれては?」

扉の近くに控えていたオズワルドが、穏やかな声をかけてくる。

「平気よ。もう少し待ってみるわ」

眠る彼の顔を見つめていると、胸の奥が不思議な気持ちでいっぱいになった。この人は誰なの? どうしてこんなところにいたの?そんな疑問が頭の中をぐるぐると巡る。

その時だった。小さな声が聞こえた。

「……うぅ」

私は一瞬耳を疑ったけれど、彼のまつ毛が、微かに動いたのを見て確信した。彼の瞼がゆっくりと持ち上がり、深い青色の瞳が覗いた。

思わず息を呑んだ。

その目は、まるで深海の底を思わせる色だった。彼が目を見開き、はっきりとこちらを見た。

「気がついたのね」

思わず声をかけたけれど、彼は目をパチパチと瞬かせるばかりだった。

「大丈夫? 何か痛いところはある?」

彼は口を動かした。けれど、声が出ない。口だけが何かを伝えようと動いているのに、音が一切出ない。

最初は不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに彼の表情が変わった。焦りの色が浮かび始めたのだ。 

彼は口を必死に動かし、まるで言葉を叫んでいるようだったけれど、音は何も聞こえなかった。

「ちょっと待って。焦らなくていいわ。今、あなたは体が冷えているから、声が出ないのかもしれない」

必死に声をかけたけれど、彼の目は不安に揺れている。

「大丈夫、落ち着いて。私は敵じゃないから」

私が手を伸ばすと、彼は一瞬びくりと体を強張らせた。次の瞬間、彼がベッドから身を起こそうとした。

「ちょ、ちょっと! 無理しないで!」

けれど、彼は無理やり体を動かし、ベッドの端に手をかけた瞬間、彼は床に転がった。

「ちょ、ちょっと、大丈夫?!」

慌てて彼の元に駆け寄ると、彼はその場で動けなくなっていた。目を見開き、手を床に押しつけたまま、必死に何かを感じ取ろうとするように、震えている。

「……動けないの?」

膝をつき、彼の顔をのぞき込むと、彼の表情は絶望に染まっていた。口元がわずかに震え、涙が滲み始めていた。

「……大丈夫、平気だから」

気休めの言葉を口にしながら、彼の手を取った。彼は、震える手で私の手を握り返してきた。まるで溺れた人が浮き輪にしがみつくように。

胸が、ぐっと締めつけられた。彼は何も言えない。声も出せない。歩くこともできない。不安、焦り、恐怖。彼の表情には、そんな感情がすべて詰まっていた。

「大丈夫。あなたは一人じゃないわ」

彼がその言葉を理解しているかは分からなかったけれど、彼の指の力が少しだけ強くなった。
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