これが運命だというのなら
「はあ~~~わたしってそんなに理想高いのかな~~?ねえ、マスター?」
時刻は21時を過ぎた頃。
わたし、宇佐美 桃那25歳は明日休みなのをいいことに行きつけのBarのカウンターにて時間もお酒の量も気にせずに浴びるほど飲んでいた。
ちなみにここは2軒目。18時の定時で仕事を終え、同期の美紀と一緒に居酒屋で飲んでいたけれど彼女は1軒目で帰ってしまい、今に至る。
彼女が1軒目で切り上げた理由は帰りが遅くなると同棲してる彼氏に怒られるから、だそう。
昔は終電ギリギリまで飲んだり、終電を逃してカラオケで始発を待ってた仲なのに年を重ねるとそう簡単にはいかないのだ。
大人になるってこういうことなんだな、と最近は嫌でも思い知らされることが多いし、彼氏がいないわたしだけが世界から取り残されているような気がして漠然とした不安に襲われる日だってある。
「ねえ、マスター聞いてるぅ~~?」
このお店で飲み始めて一時間程が経ち、わたしはすっかり出来上がっていた。今、手に持っているウイスキーのロックが何杯目なのかすら覚えていない。
「うさみんは理想が高いっていうよりかは頭がお花畑なんじゃない?」
「ひぃ~~マスターまでそんなこと言うの!?」
マスターと言っているけれど、見た目は30代くらいで夜のお店では珍しい黒髪爽やかイケメンだ。
初めてこのお店に来た時、優しいその笑顔に癒されて今では勝手にわたしの愚痴相手にしてしまっている。たぶんだけど、マスターの顔面を拝みに来ているお客さんだって少なくないはずだ。
――――『いつまでそんなこと言ってるの?ちゃんと現実見なよ』
ふと、美紀に居酒屋で言われた言葉がアルコールの回った頭にぽつんと浮かんできた。いつもみたいにわたしが理想の恋愛を語っているときに呆れた表情を浮かべながら言われたのだ。
あの時は『そうだよねぇ。そろそろ現実見て生きなきゃね』なんて笑って誤魔化したけど、内心は胸が鋭利な刃物でグサリと刺されたみたいに痛かった。
大人になると愛想笑いや空気を読むことだけが上手くなっていくというのはあながち間違いではないと思う。今のわたしが実際そうなのだから。
みんな口を揃えて“運命なんてない、バカげてる”という。
そんなの、わかってる。わかってるけど。
夢を見るのは勝手でしょ?
少女漫画のような恋なんてどこにもない。そんなことくらいそれなりに大人になって色々経験してきているのだから理解はしているつもりだ。
それでも……
「ちょっとくらい夢見たっていいじゃん」
ぽつり、とこぼれ落ちた本音。
高校生の時は友達だってみんな少女漫画のようなドキドキしてキュンキュンする恋に共感してくれていたのにいつからか、誰とヤッただとか職業がどうだとか年収はいくらだとか現実的な話ばかり。まあ、この年になって少女漫画みたいな運命的な恋に憧れてるほうが痛い女なんだけど。
「僕はいいと思うけどね。でも、今まで一度もいたことないの?運命感じた人とか」
マスターはわたしの意見を否定したりしない。接客だから当たり前だと言われるかもしれないけどわたしはそれが嬉しくてついつい愚痴ってしまう。
「んー、そりゃあ付き合った人はみんな毎回運命だと信じて疑わなかったよ」
この地球に生まれて25年。
今言った通り、付き合った人はみんな運命の人だと信じて疑わなかった。
でも、実際は180度違った。付き合った瞬間性格が変わったり、ヤるだけヤッて捨てられたり、お金を騙し取ろうとしてきたり、隠れて浮気するような人だったり。今思い返してもろくなやつがいなかった。
まあ、わたしの男運が死ぬほど悪いということもあるだろうけど。大人になればなるほど、学生の頃のような甘い恋なんてそう簡単には落ちていないのだ。そもそも、いい男は学生の頃に可愛い女の子がすでにゲットしてしまっているのだから焦って探したって無駄な気もしている。
「あー、確かに毎回運命だとか言って騒いでたね。数ヶ月後にはここで泣きながらやけ酒してるけど」
マスターがワイングラスを丁寧に拭きながらその時のわたしを思い出しているのかハハッと小さく笑った。
「もう!笑わないでよー!」
「でもさ、今まで付き合った人はうさみんから好きになったんじゃなくて向こうが好きになって告白されたから付き合ったんでしょ?うさみんから好きになった人はいないの?」
わたしはお酒が入ったグラスを口元まで持ってきていたがマスターからの質問を聞いてその手を止めた。ある人のことを思い浮かべたからだ。お酒を飲むことはせずにそのままコトン、と静かにテーブルへ置いた。
「一人だけ……付き合ってなかったけど」
過去に付き合ったことのある人のことが好きだったのかと聞かれれば答えはYESだけど、忘れられないくらい、泣けるくらい好きだったかと聞かれれば答えはNOになる。最低だと思うけどそういうもんだった。だけど、そんなわたしもたった一度だけ本気の恋をしたことがある。
「へえ。どんな人だったの?」
「小学校の時に出会ったんだけど、出会い方がね、ちょっと変わってて。わたしマセガキだったから小学生のくせにヒールなんか履いててさ、道歩いてるときにヒールが折れちゃって歩けなくて困ってたらその人がおんぶして家まで送ってくれたの。そこから腐れ縁で高校まで一緒だった。でも、告白なんてできないまま大学で離れちゃってそれっきり」
別に連絡先は消してないし、連絡をしようと思えばできた。
それでもしなかったのは向こうからも連絡がなかったし、そもそも返ってくるか怖かったからだ。
向こうから連絡がないってことはわたしのことなんて大してなんとも思ってなかったってことだし、その事実を改めて突きつけられると正直、しんどかった。
一縷の望みとして成人式に会えることを少し期待していたけど彼は出席していなかったようで、本当に高校を卒業して以来会っていないし、SNSも繋がっていないから今何をしているのかも知らない。
「まさに少女漫画みたいな出会い方だね」
「でしょ?わたしの場合は上手くいかなかったけど」
うっすらと微笑しながらわたしは叶わなかった恋を押し込むようにグラスに入ったアルコールを一気に体へと流し込んだ。
もう結婚しちゃったかな。いや、していなくてもきっと可愛い彼女がいるんだろうな。わたしのことなんかもう忘れちゃってるに違いない。
わたしだってこんな話をしなければ、胸の奥深くにしまい込んでいたのだから。
「もし今その人に会えたらどうする?」
「えー、たぶん何もできないよ。わたしたち周りから揶揄われるくらい言い合いばっかりしてたし」
そう。出会い方はロマンティックだったとしてもその後はロマンティックとは程遠く、顔を合わせればしょうもない言い合いを繰り返していた。
どうやらわたしは好きな人ほど、素直になれない性格らしい。
「大人になった今じゃ違うかもよ。ほんとに偶然その人と再会できたらそれこそ運命ってことだしな」
「いや、ないないない!こんなこと覚えてるのもわたしだけだよ!ほら、マスターもう一杯!」
「うさみん、飲み過ぎ。もう水にしといたほうがいいよ」
もう何杯目かもわからないけれど、まだ飲み足りない。アイツの事なんて思い出しちゃったからだ。
たとえ飲みすぎたって明日のわたしが朝目を覚まして後悔するだけの話。
「やーだ。ウイスキーのロック!飲まなきゃやってらんないよォ~~~」
わたしが空になったグラスを持ち上げてマスターに渡すと呆れながら「はあ、潰れても知らないからな」と言い、彼はグラスを受け取ると新しいグラスに氷を入れてウイスキーを注いだ。
「へへ、マスターいつもありがとね」
「どういたしまして。早く運命の相手が見つかるといいね」
その後もお酒を呑みながらマスターと色んな話をして気づけばお店を出る頃には時刻は23時を回っていた。
◆◇◆
「マスター遅くまでごめんねぇ。また来るからねぇ~~」
「うさみん、ほんとに大丈夫?ちゃんと帰れる?」
「だいじょぶ、だいじょぶ~~~!」
心配そうにわたしを見つめるマスターに笑顔でそう言いながらもフラフラとおぼつかな足取りで外に出た。
潰れても知らないと言っておきながらこうやって気遣ってくれるマスターは本当に優しい人で、だからこそまた来たくなるのだ。
マスターに手を振って別れてからゆらりゆらりと左右に身体を揺らしながら家までの道をゆっくりと歩く。
体も頭もフワフワしているけれど、気分がいい。つまり、わたしは完全に酔っている。
「あー、家までが遠い」
ぽつりと嘆いた言葉は誰の耳に届くわけでもなく、夜の空気の中に虚しく消えた。タクシー代を浮かすために歩くことにしたけど徒歩20分はわりと遠いのだ。
3月下旬の夜はまだ少し風が冷たいらしく、アルコールで火照ったわたしの身体をじわりじわりと冷やしていく。
そういえば、もうすぐ新入社員が入ってくるんだっけ。
どんな子なんだろう。いい子だといいな。
そんなことを考えながらなんとなく、ポケットからスマホを取り出してSNSを開く。
彼氏とのツーショットや子供と戯れる姿、プロポーズをされたであろう指輪の写真。
みんなの幸せそうなストーリーを見ていると胸の中に何とも言えない感情が沸々と湧き上がってくる。
わたしは何をやってるんだろう。いつまでも少女漫画みたいな恋に憧れてみんなに置いてけぼりにされて。男の子にはいいように使われて。
……わたしだけ一人ぼっちだ。
って、感傷的になっちゃダメ。わたしはわたしなんだから。
そう言い聞かせるようにして スマホをポケットにしまって歩き出した途端、
「わあぁっ……!」
足をぐねってしまい、大きく傾いた身体を元に戻すことができず、そのまま勢いよく地面に転んでしまった。
「いったぁ~~……って、え!?ヒール折れてるし最悪!!」
わたしの視線の先には無惨な姿になったパンプスがあった。
もう本当に最悪だ……。
これ、わたしが初任給で買って大切にしていたブランドのパンプスだったのに。
自分の惨めさが情けなくて鼻の奥がツンと痛む。唇をぎゅっと噛み締めるけれど、だんだんと視界が滲んできて透明な雫がつぅっと頬を伝う。
あーあ、泣くのも我慢してたのに。
「もう!わたしの運命の相手はどこにいるの……っ。早く迎えに来てよ……!」
気づけば、路上に座り込んだまま、泣きながらそう叫んでいた。人は酔っぱらうと周りのことなんて何も気にしなくなってしまうから怖い。
待ちゆく人が怪訝そうに眉をひそめてチラチラとこちらを見ていることに気づいていたけれど、すぐには立てなかった。きっと、シラフだったら急いで立ち上がっていただろう。そもそもシラフだったら街中で叫んだりしないか。
でも、まあいつまでもここに無様に座ってはいられない。
そろそろ……立ち上がらなきゃ。
そう思った瞬間、
「大丈夫ですか、酔っ払いさん」
その声と共にわたしの前にすっと手が差し出された。
だけど、わたしはそれどころじゃなかった。聞き覚えしかない声に弾けたように顔を上げるとそこには会いたくて仕方なかった彼――――瀬戸 広臣がいたのだ。
「オミ……?」
思わず、漏れた声に広臣ーーオミが「え、俺のこと覚えてくれてんの」と少し嬉しそうに頬を緩めた。
「え……なにこれ。幻?」
酔いすぎて都合のいい幻でも見ているのだろうか。そう思ってほっぺをつねってみる。だけど、ただただ自分の頬に鈍い刺激が走るだけ。
「勝手に幻にすんなよ、モモ」
数年ぶりにそう呼ばれて心臓がドクンと大きく跳ね上がった。
彼はわたしのことを唯一”モモ”と呼ぶのだ。
それが特別に思えて学生の時は優越感に浸っていたのをふと思い出した。
「いや、だって。なんで?ありえなくない?」
わたしがオミのことを誰かに話した日に再会するなんてあまりにも都合がよすぎる。しかも、再会の仕方まで出会ったときみたいなシチュエーションなんて夢と疑わずにはいられないでしょ。
「ほら、ちゃんとこの手掴んで。離すなよ」
そう言って強引にわたしの手を掴むとそのままぐいっと引き寄せた。ふわりと鼻を掠めた柑橘系の香りに懐かしさを覚える。
……高校の時から香水、変えてないんだ。
学生の頃に抱いていた淡い恋心を思い出してじわりと胸が熱くなった。
「や、やだなぁ……!立てるってば!助けてくれてありがと。じゃあね」
これ以上、一緒にいたらおかしくなってしまいそうな気がしたからわたしは目線を足元に落としながら早口でそう言い、一歩後ろへと下がって距離を取った。あれだけ酔っていたのにオミに会っただけで一瞬にして酔いが醒めてしまうなんてわたしはどれだけ彼のことを意識してしまっているのだろうと自分で笑えてくる。
「そんな足じゃ帰れねえだろ。店だってどこも閉まってるだろうし」
確かにオミの言う通り、こんな時間に空いているお店なんて飲食店くらいしかない。でもだからといってどうしろっていうわけ?
「大丈夫だよ。わたしの家すぐそこだから何とか歩いて帰れる!」
まあ、ストッキングしか履いてないから家に着く頃には足の裏がボロボロかもしれないけど。
「お前ドジなんだからガラスでも踏んだらどうすんの。そもそもこんな時間に女の子が一人で帰るの自体危ない」
「いやいや、ドジじゃないですし、そもそもわたし可愛くないから大丈夫……って、なにしてんの?」
オミはこちらの言葉なんて聞く耳を持たず、急にわたしの前に背中を向けるとそのまましゃがんだ。
えっと……なにこの状況……既視感あるんだけど。
「仕方ないから家まで送ってやるよ」
ええ……!?まさかおんぶして帰るつもり!?
タクシーに乗せてくれるとかじゃなくて……!?
「わたし重いし、ほんとに大丈夫だから」
「昔みたいにさっさと乗れば?重いのなんて百も承知だし」
「あ、あんたねぇ~!久しぶり会っても憎まれ口は減らないわけ!?」
自分で重いっていうのと人から重いと言われるのでは訳が全然違うんだから。ていうか、昔みたいにってオミも覚えてるってこと?
「モモも相変わらずで安心したわ」
「ふん!わたしはもう大人になりましたー!」
そう言いながら、逞しくなったオミの背中に身を委ねるように体重を乗せて後ろから首に手を回した。すると、オミはわたしの足を持ってゆっくりと立ち上がって歩き出した。密着した身体がわたしの心拍数を上げていく。
この胸の高鳴りがどうか君に聞こえていませんように。そう願いながら。
「まあ、ちょっとは幼さが抜けたかな」
「でしょ~~?垢抜け頑張ったんだから。ていうか、昔のことなんて覚えてないって高校の時は言ってたのに思い出したの?」
そう、わたしが高校生の時に一度だけ勇気を出してオミに出会った時のことを覚えているか聞いたことがあったけど、彼は『覚えてない』と言った。あの時わたしは勝手に失恋した気分になっていたからよく覚えている。
それなのにどうしてさっき”昔みたいに”なんて言ったんだろう。
「あー……それは嘘」
「え?なにが?」
「ほんとは覚えてた。恥ずかしくて嘘ついた」
夜に飲み込まれてしまいそうなほど小さな声でオミはそう言った。
「あ、そうだったの!?まあ、思春期真っ最中だったし周りに知られたら揶揄われてただろうね」
忘れられていたと思っていたけれど、本当は覚えてくれてたことが嬉しくて自然と声が明るくなる。
「あんなに背中でギャン泣きされたこと忘れらんねえわ」
「その節は申し訳ありませんでした……」
「まさか大人になっても同じように泣いてるなんて」
「うっ……これはたまたまというか……」
穴があったら入りたいってまさにこんな気持ちの時なんだろうな。
酔っていたとはいえ、25歳にもなって路上で醜態を晒すなんてヤバすぎるし、死にたい。
「なんか運命の人がどうとか言ってキレてるし」
「アハハハハ……あれは酔っ払いの戯言というか……ね?」
そこまでしっかり聞かれてたなんて本当にもう恥ずかしくて死ねる。
「なあ、モモ」
真剣味を帯びた声でオミがわたしの名前を呼んだ。
「んー?」
と、返事をするや否や。
「───……俺がその運命の相手になってやるよ」
「……は?」
とんでもない爆弾発言にわたしの思考は完全にストップした。
え?今なんて? 今のはよくある冗談だよね?
酔って都合よく聞こえちゃっただけだよね?
「俺、本気だから覚悟しといて」
そう言ったオミの声がとても冗談には聞こえなくて何も言えなかった。
こういう時ってなんていうのが正解なの……!?
どうすればいいのかわからなくてとりあえずアルコールに犯された回らない頭で考えるためにぎゅっと目を瞑った。
「え、寝た? このタイミングで寝るとかさすがだなー」
しばらく返答がないのを不思議に思ったオミがわたしの顔を見たのか小さく笑いながら言った。
うわ、寝てるって勘違いされちゃった。
起きてるって言うのもその後の対応に困るし、最低だけどこのまま寝ていることにさせてもらおう。
もう会うこともないだろうし。ごめんね、オミ。
「俺はずっと会いたかったよ、モモ」
寝ていると思っているからなのかそう言ったオミの声は耳が蕩けてしまいそうなほど甘くてどうにかなってしまいそうだった。
「まあ、これからすぐに会えるしいっか」
ぼそり、とそう呟いたのをわたしは聞き逃さなかった。
え……?すぐに会えるって……一体、どういうこと?
────その疑問が解けるのはもう少し先の話だ。