求婚は突然に…       孤独なピアニストの執着愛
「いや…ごめん。急に…申し訳ない。その…結婚相手のフリをして欲しいんだ。1日だけ…たった1日だけでいいから…。」
必死に弁解してくる彼を見つめ、まだ理解が追いつかない頭で言われた言葉を反復する。

「…結婚相手のフリ…?」

「その…今度、出席しなければならないパーティーがあって…。」
彼はポツポツと、彼が置かれている事情を話し出す。

聞けば、最近ヨーロッパから日本に帰って来たばかりで、身近に知っている異性がいないという事。
日本に戻ってから、やたらと女性が近付いて来て困っている事。程よくあしらう為に結婚していると嘘をついてしまった事…。

だからといって、目ぼしい相手がいなくて困っていたところに、昨日のお釣りのやり取りで…
「俺は、君の誠実さに感動すら覚えたんだ。君しかいないと思った。どうか、1日だけ結婚相手のフリをしてくれないだろうか。」
それは…この容姿だし、お近付きになりたい女性は沢山いるだろう。さぞおモテになるだろう事はよく分かるけれど…。

なぜ…なぜ私⁉︎
こんな冴えない隠キャな、モブ女…不釣り合いも甚だしい…。それに…私は男性恐怖症だし…

全くと言って良いほど、自分がこの人に対して相応しく無いと思ってしまう。

「あの…私には無理です。どう考えても釣り合いませんし、こんな冴えない女じゃ…嘘だってすぐバレてしまいます…。他を当たった方が…。」
早口で一生懸命否定するのに…

「君しかいないだ。昨日、今日で突然過ぎて、こんな事に巻き込んで申し訳ないけれど…報酬はちゃんと払うし、君に迷惑がかからないようにするので…
あっ!俺、決して怪しい者ではなくて…。」

自己紹介すらまだだった事に気付いたのか、胸ポケットから名刺入れを取り出して、私に渡してくる。

つい、反射的に差し出された名刺を両手で受け取ってしまう。
前会社で働いていた時は外回りが多く、何十、何百と言って良いほど名刺交換をしていたからで…。
受け取ってしまった自分を自分に言い訳しながら、その名刺を見る。

『pianist&composer 筧 紫音(かけい しおん)  』

ピアニスト…?コン…ポーサー?って何だろ?
足りない頭で一生懸命理解しようとフル回転させるけれど、すでにパニック状態の頭で絞り出した言葉はあまりにも間抜けで…

「えっと…有名人の方…ですか?
…私、音楽とか疎くて…。」
…言った自分さえも驚いてしまう。

「あっ…ごめんなさい。失礼でした…。その…私、人の手を見て職業を当てる特技があって、貴方の手って本当に分からなくて…。」
取り繕うとすればするほど、パニックに陥りどうでも良い事を話してしまう。

「手…」
そんな私のどうでもいい会話もこの人はちゃんと拾ってくれて、自分の手を見つめている。

「その…指が長くて爪のお手入れも行き届いていたので、手を使う職業だろうとは思ったんですけど…。」

「なるほど…確かに職業柄、爪が割れるといけないからプロに頼んで定期的にコーティングしているけど。」
何に感心したのか彼は『…凄いな。』と呟く。

「あの…すいません。話が脱線してしまいました。…かけい しおんさん?」

「ええ、そうです。ずっとヨーロッパの方で活動していたので、日本でどの程度浸透しているか…ちょっと分からないけど…。」
彼はどこまでも真面目で、私の変な質問にさえ答えようとしてくれる。
そんな人に…ちゃんと誠実に向き合わなければと、気持ちが焦る。

「あの…私、貴方に相応しく無くて…。…男性恐怖症…なんです。昨日、倒れそうになったのも…そのせいで…。私には無理です。」

見ず知らずの、昨日初めて言葉を交わしたばかりの人に、自分の事情を話してしまう。

「…それは、ある意味丁度いいのでは?
俺は自分に人畜無害な人を探していた訳で、君にとって俺も人畜無害な人間な筈だ。
こんな提案をするのもアレだけど、君も男嫌いを克服する為に、後腐れ無くリハビリが出来るんじゃないだろうか?」
男嫌い…リハビリ…?
いやいや…そういう事でお近付きになるには、貴方なんてハイスペック過ぎて、恐れ多い…頭でそうツッコミを入れて、ワタワタしてしまう。

「いえ…あの、そういう単純な話ではなく…その、私の男性恐怖症はもっと根深い訳で、簡単に克服出来るようなものでは…無くて…。」

「触って見て。」
スーッと綺麗な手を視線の前に差し出されて、思わずその手を見入ってしまう。
なんて綺麗な手だろ…。

「俺は、君から触わってこない限り君には触れない。そう誓うよ。だから、考えて見てくれないか?今すぐとは言わない…少し考えて見て欲しい。そうだな…答えは1週間後。どうせ後腐れない関係だ。もしも断られた時は、二度と君の前には現れない。」

そう言われ…何故かこくんと頷いてしまう。

「考えてくれるって事なら俺の手を握って。」
言われるがままに、目の前に差し出されている手に恐る恐る触れる。握手をするように握ってみると、フワッと握り返してくれる。そっと顔を伺い見れば…満面の笑みで…。

何故そんなに嬉しそうなのかと、思わず首を傾げてしまう。

「じゃあ、とりあえず1週間よろしく。俺という人間を見て欲しい。本気で行くから。」

はい?…どういう事⁉︎
不思議そうに見てしまっていたのか、
「君に良い返事を貰えるように頑張るって事。」

そう宣言されて…その流れで、
「スマホ出してくれる?」

ポンポンと事は進んで行く。
NOとはとても言えない状態で…スマホのSNSアプリのアドレスを交換してしまう。

イケメンってずるい…。
その笑顔一つで、相手の思考回路を駄目にしてしまうんだ。

帰り道…握手を交わした手を見つめ、さっきの出来事は何だったんだろうと振り返る。

大きくて暖かくて…包み込まれるようで、何故かほっとするような不思議な気持ち…。
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