野いちご源氏物語 〇九 葵(あおい)
 いよいよ出発なさったけれど、今日も見物(けんぶつ)の乗り物で大混雑している。どこに停めさせようか悩んでいらっしゃると、近くの乗り物の中から、源氏(げんじ)(きみ)の家来を呼ぶ人がいた。(おうぎ)を差し出して(まね)くように動かしている。
「こちらにお停めなされませ。場所をお(ゆず)りいたしましょう」
 乗り物の女主人は言った。
<どういう人だろうか>
 源氏の君は興味をお持ちになる。
 譲られた場所に乗り物を停めると扇が届いた。
賀茂(かも)神社(じんじゃ)といえば(あおい)の葉がお(しるし)でございますね。葵は『会おう』に似ていますが、あなた様は私に会おうとはしてくださらないでしょう。どなたかとご一緒のようですから」
 と上手な字で書いてある。

 その字に源氏の君は見覚えがあった。
典侍(ないしのすけ)か>
 好奇(こうき)(しん)で関係をお持ちになった、内裏(だいり)(ろう)女官(にょかん)だった。頭中将(とうのちゅうじょう)とのどたばた(さわ)ぎを思い出される。
<あいかわらず気持ちだけは若々しいことだ>
 苦笑いして返事をお書きになる。
「そなたが会おうとしたのは私ひとりか。他にも会いたい男がいるのではないか」
 男好きをからかうような返事が届いたので典侍は悲しい。
「葵の葉の力を信じたところで無駄(むだ)でございましたね。所詮(しょせん)ただの葉っぱでございますから」
 とお返事する。

 周囲の乗り物の人たちも源氏の君のお越しに気づいている。乗り物の(すだれ)をお上げにならないから、やきもきしている人も多かった。女性がご一緒ということだもの。
「昨日のお行列では威儀(いぎ)を正していらっしゃったのに、今日はのんびりと見物側にいらっしゃるのね」
「同乗なさっているのはどのような方なのかしら。並みの恋人ではないはずよ」
 あれこれ想像しているらしい。
 そんなふうに周りが遠慮(えんりょ)しているなかで、典侍は声をかけてきて、源氏の君とやりとりまでした。源氏の君にとってはつまらないやりとりだったけれど、他の人にはとてもまねできなかったでしょうね。

 さて、源氏の君の奥様は、ここから人生が急変していかれる。賀茂神社のお印にちなんで、(あおい)(うえ)とお呼びいたしましょう。
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