野いちご源氏物語 一〇 賢木(さかき)
 (さわ)ぎは落ち着いて、中宮(ちゅうぐう)の周りも静かになった。女房(にょうぼう)たちは鼻をかみながらあちこちの物陰(ものかげ)(ひか)えている。
 月は明るく、雪明かりに照らされた庭が美しい。中宮(ちゅうぐう)の華やかでいらっしゃった時代を源氏の君は思い出された。
「あまりに急なことで驚いております。どのようないきさつでご決意なさったのですか」
 涙をこらえてお尋ねになる。
「出家はずっと考えていましたが、人があまりに驚くので、思わず心が乱れております」
 中宮は(おう)命婦(みょうぶ)を通じてお返事なさった。(すだれ)の奥にいらっしゃる中宮のお姿は、源氏の君からは見えない。しかし女房たちの悲しげな雰囲気(ふんいき)は伝わってきた。
 風が強く吹いて、室内のお(こう)の香りが源氏の君のところまで届く。(ほとけ)様のためのお香や、源氏の君の着物の香りも合わさって、悲しいのに極楽(ごくらく)浄土(じょうど)にいるかのような夜だった。

 東宮(とうぐう)(はは)中宮が出家なさったと聞いて使者(ししゃ)(つか)わされた。中宮はうまくお言葉をお伝えになれない。東宮と最後にお会いになったあの夜のことを思い出すと、お心が弱くなる。とぎれとぎれのお言葉を源氏の君がうまくつなぎ合わせて使者にお伝えになった。
 誰もかれもが動揺(どうよう)している。源氏の君もお思いになることはたくさんあるけれど、何も申し上げられない。
「いさぎよくご出家なさいまして、うらやましく存じます。私も出家したいと願っておりますが、我が子が気になって、しばらくはできそうにありません」
 とだけおっしゃった。女房たちがいるので本当にお伝えになりたいことは口に出せない。

「出家いたしましても、悩みが何もかもなくなるわけではないようです」
 中宮からはこんなお返事があったけれど、これも女房がうまくつなぎ合わせたお言葉かもしれない。源氏の君は()きない悲しみにお胸が苦しくなって帰っていかれた。
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