イケメン総長を特訓中! 〜どうしてそんなことしてくるんですか?〜
想像以上の特訓量
次の日、日曜日の朝。
「朝井さん、明日の特訓は」
「もちろんやりますよ?」
「じゃあ、明日はオレの家で特訓しようよ。一応、外はやめろってお医者さんから言われたし」
昨日病院からの帰りに、そんな会話を翔先輩としたこともあり、あたしは翔先輩が住むアパートの入口に立っていた。
……心臓がすごい速さで鳴っている。
大丈夫だと思ってたけど、ここに立つとやっぱり緊張してきた。
小学校の頃は男子の友達もいたけど、男子の家へ遊びに行くなんてことはなかった。
ましてやこれから行くのは、かつて好きになった修先輩と、軽い意味ではあれどあたしを好きとか言ってくる翔先輩の家である。
落ち着かないわけがない。
でもとりあえず、失礼の無いようにはしないと。
ゆうべ悩みに悩んで選んだ服。組の人が持たせてくれた菓子折り。
準備は、ちゃんとしてきた。
顔を軽く叩いて気合を入れる。
よく考えれば、翔先輩を鍛えるうえでヒントになるものが家にあるかもしれない。
特訓相手として、翔先輩のことを知っておくのは悪いことじゃない。
うん、それが知りたいからあたしは家に行こうと思ったんだ。
ただ気になるだけじゃない。ちゃんとした理由がある。
あたしは大きく深呼吸して、アパートの階段を上がり始めた。
2階の一番奥が、翔先輩と修先輩たち家族の住む部屋。
もう一度深呼吸してから、インターホンを押す。
「おはようございます。朝井です」
その直後、勢いよくドアが開く。
「朝井さん! おはよう!」
そこには今まで見た中で、一番元気そうな顔をした翔先輩。
「さあさあ、さっそく入って。今日は親もいないから」
「じゃあ、お邪魔します……」
なんだか嬉しそうな翔先輩についていくようにして、あたしは狭い玄関で靴を脱ぐ。
外観からイメージした通りの、広くないアパートの一室。
これでも角部屋なので他よりは広いらしいが、それでも翔先輩、修先輩の兄弟と両親、合計4人で住むには狭く思える。
「共働きで、両親そろって寝ることはほぼ無いから。それに今は修が入院してるし」
聞くと、(昨日あたしも行った)駅前の病院に翔先輩が転院したときに、そこから近いこの部屋に一家で引っ越してきたのだそうだ。
狭い代わりに家賃の安い部屋を選んだのは、両親の収入をできるだけ翔先輩の治療費に回すため。
その両親も仕事が忙しく、今日のように休日でも早朝から出ていくことがたびたびあるという。
「だからオレが入院してる間は、修が1人で留守番してたりもしたんだ。修は大丈夫っていつも言ってたけど、やっぱり迷惑かけたかなって思ってる」
4人が一緒に座れるかどうかの広さしかないリビング。
台所で2人分のお茶をコップについで、翔先輩はあたしの前に座る。
そういえば、あたしが修先輩と公園で遊ぶようになった時期は、ちょうど修先輩が引っ越してきた時期と重なる。
修先輩も、1人で転校してきて不安があったのだろうか。
わざわざ、違う学校のあたしたちと遊ぶなんて。
――だったら、今の翔先輩には、不安は無いのだろうか?
この家で1人、留守番することも慣れてるという翔先輩。
「翔先輩は、今大丈夫なんですか?」
「うん?」
「いや、その」
待て、何を気にしてるんだ。
総長の座を守り続ける覚悟を決めた翔先輩のことだ。
強い翔先輩だ。
もし、大丈夫じゃないとしても、大丈夫って言うに決まってるじゃないか。
「そうだね、もし良ければ」
しかし予想に反して、翔先輩は立ち上がりあたしの前へ。
「鈴菜が一緒にいてくれれば、もっと大丈夫なんだけど」
……って、顔が近い!
なんだか、見るたびに翔先輩のかっこよさが上がっていってるような。
輝いているような。
なんで?
特訓してるうちに、いつのまにか顔つきも変わってきたとか?
「そういうわけにはいかないですよ。あたしも色々用事とかありますし」
ドキドキを抑えて、あたしはなんとか翔先輩から距離を取る。
というか今は総長らしくする必要ないじゃないか。あたしと翔先輩の2人しかいないんだし。
それとも練習とか、そういうこと?
「さあ、特訓始めますよ!」
これ以上考えると良くわからなくなりそうだ。
あたしはいろんなものを振り払うように、大声を出した。
でも、翔先輩の次の一言が、またあたしを動揺させる。
「わかったよ。じゃあ、オレの部屋行こう」
***
翔先輩と修先輩の部屋は、リビングより少し広いぐらい。
いろんな家具が置かれていたリビングに比べると、大きな物は2人分の学習机とタンスぐらいでスペースがある。
「ほら、身体動かすには広い方がいいでしょ」
そう言って床に置いてあるいろんなものを脇にどける翔先輩。
教科書やノートに混じって、ダンベルとか、握力を鍛える握るやつとか、トレーニンググッズがたくさんある。
男子の部屋ってもっと散らかっていて、足の踏み場もないっていうイメージが勝手にあったけど。
ベッドも無いから、多分布団を敷いて寝ているのだろう。
ここに、翔先輩が寝ているんだ。
あたしは思わず、床を右手で軽くなでる。
「どうしたの? ごめんね、掃除とかしてなくて」
翔先輩と目が合って、ハッとする。
「あ、別に大丈夫です」
素早く引っ込めた右手を思わず胸に当てる。心臓の鼓動と、残る床の感覚。
いや、何やってんだあたしは!
ただの床にいったい何を感じ取ろうとしてるんだ。ぬくもりとかがあるわけでもないのに。
「こういうのって修先輩のやつですか?」
あたしはとっさにごまかそうと、手近にあった小さなダンベルを1個拾い上げる。
重さの表記は無いが、結構軽い。
「いや、全部オレのだよ。特訓のために100均で買ってきたんだ」
え?
てっきり、修先輩がトレーニングに使っていたものかとばかり思ったんだけど。
「びっくりした? ほら、鈴菜にばかり苦労を押し付けるわけにもいかないし」
翔先輩は少し大きなダンベルを手に取る。そちらの方は1kgと書いてあるが、翔先輩はあまり辛くなさそうに右手でひょいと持ち上げる。
「鈴菜と会った日から、毎日少しずつやってるんだ。朝起きたときとか、宿題してるときとか、寝る前にスマホ見てるときとか。こうやって」
左手にも別のダンベルを持ち、交互に上げ下げする翔先輩。
その表情は本当に真面目だ。遊びでやってる感じでは絶対にない。
――あたしとの特訓を始めてから、家でこんなこともやっていたのか。
毎日公園で、特訓が終わりヘトヘトになっている翔先輩の光景が思い出される。
帰っていく足取りさえもふらついていた翔先輩。あの状態で歩いて帰宅し、さらに家でもトレーニングをしていたなんて。
家でも何かやれ、とはあたしも言っていない。
だからこれは完全に、翔先輩が自分でやると決めて実行していたことだ。それを1週間近く毎日やっていた。
翔先輩、想像以上に本気だ。
「でも、身体大丈夫なんですか? あたし、翔先輩が家でも筋トレしてるなんて知らなかったですよ。知ってたら、もう少し特訓メニュー加減したのに」
「いや、その加減はいらない。オレがやりたくてやってることだから」
あたしの言葉をすぐさま断る翔先輩。
だけど。
翔先輩に何かあってからでは遅い……そう思ってしまうと、素直に良いとは言えない。
「そう言われても、知っちゃった以上考慮に入れないわけにはいかないですよ。また翔先輩に何かあったら、医者の人にどう説明するんですか」
それに修先輩にも無理するな、って言われたじゃないか。
あたしとしても修先輩と約束した以上、責任持って翔先輩が無理しないように見張らないと。
「……でも、強く……」
すると、ボソッと翔先輩がつぶやいた。
窓から入る日差しが、翔先輩の白い肌に反射して輝く。
「えっ、なんです?」
あたしが聞き返すと、翔先輩はうつむいていた顔を上げた。