一夜の過ちから恋が始まった〜幼馴染に片思いしていたのに〜

目を覚ますと視界に入ったのは見知らぬ天井だった。部屋の中は薄暗く、カーテンの向こうは明るくなっている。朝か、と寝起きで頭の働かない紬は瞼を擦りながら寝返りを打った。

そこでやっと、寝ているベッドに自分以外の誰かが居たことに気づく。スースーと寝息を立てているのは上半身裸の男だ。

(…は?)

視覚から入ってきた衝撃的な映像で眠気が一気に覚めた紬は勢いよく起き上がる。その時腰の痛みと全身の怠さに気づき、「う…」と小さな呻き声が上がった。そして下を見ると自分も服を着ていない。この状況から導き出される事実に全身から血の気が引く。

(え、待って…私、やっちゃった…?)

紬は犯した過ちを認める事が出来ず両手で顔を覆った。落ち着け落ち着け、と心の中で繰り返すも無駄だった。紬は昨夜何があったかを必死で思い出そうとする。

(昨日は…あれを聞いてショックを受けて、あの人にラインで愚痴って…それで)

と、紬は恐ろしい可能性に気づいてしまった。隣で呑気に寝ている男のことである。碌に顔を見ていなかったが、あの流れで見ず知らずの相手…とは考えにくい。つまり、隣で寝ているのは。

紬は覆った手の指の隙間から男の顔を見た。鼻筋の通った端正な顔立ち、清潔に整えられている黒髪、満遍なく鍛えられている身体、両耳に光るシルバーのピアス…。

「ぎゃぁぁ!」

突きつけられる現実に耐えきれなかった紬は女子にあるまじき悲鳴を上げた。いきなり部屋に響いた悲鳴に気持ちよさそうに寝ていた男の眉がピク、と動く。「…ァ?」と寝起き特有なのか寝ていたのを起こされたことで不機嫌なのか、物凄く低い声を出しながら目を開けた。

「…うるせぇな、なんだよ」

ガシガシと髪を掻きながら男…(あきら)は身体を起こす。あくびを噛み殺し、半開きの目を隣で布団にくるまっている紬に向けた。

「…篠宮、お前起きたん?てかさ、起こすなら静かに起こせ」

「せ、先輩!これ、ど、どういうことですか!」

呑気に話しかけてくる晃に紬は耐えきれず、またも叫んだ。紬は今の状況を飲み込めていない。昨夜何があったのかも朧げだ。しかし、覚えてなくとも何があったかをこの状況が雄弁に語ってくれている。それでも紬は往生際が悪かった。自分が一夜の過ちを犯したわけではないとこの後に及んで信じたかったのだ。

しかし、そんな紬の悪あがきは無駄に終わった。

「…どういうこと?見たまんまだろ、事後?」

「じ…」

あけすけな晃の物言いに紬は言葉に詰まる。いやいやいや、紬はブンブンと首を振った。紬はまだ認めたくなかった。

「…寝てただけってことには…」

「え?この状況で何もなかったって本気で思ってんの?」

「…ですよね…」

紬は肩を落とした。身に纏っている布団を頭から被りベッドに横たわる。やっちまった、何があってこうなったかは碌に覚えてないけれど結果は明白だ。付き合ってもない男と一線を超えてしまったのである。しかも、長年の片思いが無惨に砕け散った直後に。その上相手がこの男とは…。

(何でこんなことに)

激しくショックを受ける紬の脳裏には今までのことが蘇っていた。




*********



(ついてないな…)

紬はフラフラとした足取りで記憶を頼りに保健室へと向かう。今日は入学式という大事な日にも関わらず、式の途中で馴染みのある気持ち悪さが襲ってきたのだ。これはまずい、と周囲のジロジロとした視線を受けながら列を抜け、近くにいた名も知らぬ先生に貧血だと訴えた。すぐさま養護教諭だという若い女の先生の元に呼ばれ、付き添うと申し出られたものの1人で行けると断った。養護教諭は気遣わし気な視線を向けたが、「ベッド全部空いているはずだから好きなの使ってね」と言うと体育館入り口まで送ってくれた。体育館から出た紬はあーあ、と悪目立ちしてしまったことを悔いながら誰もいない、静まり返った廊下を歩く。

入学式が終わったらクラスで自己紹介をするのだろうが、紬は果たして間に合うのか。幸といっていいのか、紬はクラスに全く知り合いがいないわけではない。中学からの友人と運良く同じクラスになったのだ。紬は人見知りがちだが友人は社交的にも関わらず、何故かウマがあった。学力が足りなかった紬に根気強く勉強を教えてくれて、進学校と有名なこの学校に合格させてくれた立役者の1人だ。

正直入学早々クラスで浮いてしまっても彼女がいればどうにかなる、と楽観視している紬だった。そして今はクラスのことよりも自身の体調のことだ。ベッドで横になればすぐに良くなる、そうすれば出来る限り早く教室に戻れるはずだ。考え事をしているうちに保健室に着いた。誰もいないのにいつもの癖で「失礼しまーす」と言いながら引き戸を開ける。すると教員用の机の近くに設置されたソファーに先客がいた。

(…誰)

座っていたのは男子だ。黒髪で前髪が目にギリギリかかりそうなくらい、やや長めで髪から覗く耳には何か光っている。こちら側からは横顔しか見えないが、どうにも不機嫌そうで近寄りがたい雰囲気を醸し出してている。紬は予想外の先客に入ろうとしていた足を止めた。

(先生誰かいるなんて言ってないじゃん…しかもなんか怖そうな人…新入生?先輩かな)

紬はただでさえ人見知りの傾向がある上に、如何にも怖そうな人が一層苦手だった。その上何故か彼は機嫌が悪そうだ。これだけでも紬が保健室に入ることを躊躇うには十分だ。どうしよう、いっそ教室に戻るか、体育館に戻って先客がいるから入り辛いと相談するかと悩んでいると。

「…誰?」

入り口で立ち往生している紬に気づいた男子がこちらを向いた。鼻が詰まったような籠った声に違和感を感じたが、その理由はすぐに分かった。彼の鼻にはティッシュが詰められていたのだ。何とも言えない彼の姿にさっきまで紬の中に燻っていた恐怖心のようなものが和らいだ。話しかけられた紬は緊張しつつも答えた。

「…新入生です。入学式で貧血になってしまって…」

「貧血?」

紬の答えを聞いた男子はいきなり立ち上がるとスタスタとこっちまで歩いて来た。今気づいたが男子はかなり背が高く紬は彼の肩くらいしかない。突然の彼の行動に戸惑っていると、ぶっきらぼうにこう言った。

「早く横になった方が良い」

彼は流れるように紬の手を取るとそのままベッドへと導き、カーテンを開けた。紬は早く寝ろと無言で圧をかける彼を前に戸惑っていた。

(いや、寝ろって…)

ブレザーを脱いだり、スカートのホックを外したりしないと寝づらい。それを初対面の男の目の前でやるのは憚られる。かといって人見知りの紬は初対面の男相手に「見られるの嫌だから向こうに行って欲しい」と言う勇気が無い。しかしベッドの横で立ち往生し、寝るのを躊躇う紬に彼は意図を察したようだ。無言で踵を返し、ソファーに戻り再び座ると窓の外に視線を向けている。

こちらを気を遣っているのは明らかで、紬は慌ててブレザーを脱いで近くに置かれたカゴに入れスカートの金具を外すといそいそとベッドに入り込みカーテンを閉める。

(怖そうな人かと思ったけど、そうでも無いのかも)

紬が貧血だと分かるとすぐに寝るよう促し、寝るのを躊躇う理由を察してこちらを見ないよう配慮してくれた。この程度で怖くない人、と認定するのは警戒心がなさすぎるかもしれない。しかし、もう関わることのない人に対してどんな印象を抱こうと問題はないだろう。布団を被りソファーに座ってるであろう彼の存在を早々に考えないようにした。

紬はいざ横になっても中々寝付けなかったが、目を閉じているといつの間にか眠っていた。

この時の紬は彼との縁はこれっきりだと、信じて疑わなかった。
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