身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる

公爵父娘

 侯爵夫人の影響力は絶大だった。
 彼女は本当に伝手のある貴婦人たちに、エイリークのことを紹介してくれたらしく、次の日からはほうぼうの上級貴族から声がかかった。
 めまぐるしく日々が過ぎていく。
 そんなある日。
 エイリークと共に、マリアは馬車で、新しく声のかかった貴族の邸宅へ向かう。

「これからどちらへ?」
「新しいお客様です。それもこれまでで一番の大物、と言ってもいいですね。グレイウォール公爵家の当主、レオン様です」
「公爵様、ですか」
「はい。もうすぐ二歳の誕生日を迎えるご息女に合う、アクセサリーが欲しいとのことです」
「二歳の娘さんにアクセサリー、ですか」
「貴族のご令嬢ですから、それだけ特別な存在だということです」

 馬車が、貴族街の中でも一際広大な敷地を持つ屋敷の門前で停車する。

(さすがに大きいわ)

 これまで上級貴族の邸宅を何軒も訪ねているマリアだが、ついついたじろいでしまうくらい、公爵家の邸宅は大きく立派だ。
 エイリークとマリアが降り立つと、衛兵に用件を伝える。
 しばらくして燕尾服姿の初老の男性が現れた。

「エイリーク様ですね。私は公爵家の執事を務めております、ジャッカスと申します。どうぞ、こちらへ」

 屋敷の居間へ通される。
 メイドがティーセットを運んでくる。
 お茶を飲んでいると、マントに、黒い服をまとった凛々しい顔立ちの男性が姿を見せる。
 黒瑪瑙のように曇り一つない黒髪に、燃えるような紅い瞳。
 そして目の辺りには大きな傷が走っていた。
 ただそこにいるだけなのに、言いしれぬ威圧感のようなものを覚えた。

「――公爵閣下、このたびは我が商会を選んで頂き誠にありがとうございます。私は商会の主人、エイリーク。そしてこちらにいるのが、我が商会の腕利きであるマリアです」
「はじめまして、公爵様。マリアと申します」
「レオン・グレイウォールだ」

 心に染みるような、柔らかな声だ。
 その声には何故か、耳馴染みがあった。まるで初めて聞いたような声ではないような。
 しかしレオンと出会うのは当然ながら初めてである。

(なんだろう、この感覚は……)

 彼の姿に、彼の声に、惹かれる自分がいることに気付く。
 エイリークはいくつかのアクセサリーを取り出す。

「金はどれだけかかっても問題ない。既製品ではなく、一点物を頼みたい。色は、娘の瞳の色と同じく、ルビーを使って欲しい」
「腕の良い工房とも提携しておりますから、必要があれば、ジュエリーデザイナーを手配することも可能です」
「そうか。なら、いくつかデザインを用意して欲しい」
「かしこまりました」

 ドクン、と大きく脈が跳ねた。

(なに、この感覚……)

 自分の中で何かが開こうとするような感覚。
 直後、マリアを激しい頭痛が襲う。同時にキーン、という耳鳴りが聞こえた。
 必死に我慢するが、冷や汗が吹きだし、とても尋常ではいられない。

「……平気か?」

 レオンが気遣わしげに声をかけてくる。

「マリアさん、平気ですか」
「わ、私……すみません。少しお化粧をなおしてきます」

 商談が自分のせいでぶち壊しになるのだけは防がないと。
 マリアは必死に理性を総動員してややひきつり気味の笑顔を浮かべて席を立つと、居間を出てお手洗いへ向かう。
 しかし頭痛はますます激しいものへ代わり、視界がぐにゃりと歪む。とても立ってはいられず、壁に手をつく。ドクドクとこめかみのあたりで激しい拍動を感じる。
 レオンの顔が、声が、頭の中で繰り返し再生された。
 それが何を意味するのか全く分からない。冷静に考えられるほど頭が働いてくれない。
 直後、目の前が真っ暗になった。



 気がつくと、マリアはベッドに寝かされていた。
 目を覚ました時、自分が一体どこにいるのか分からず、混乱してしまう。それから徐々に冷静さが戻ってくると、公爵家に商談のために来たことを思い出す。

(居間を出て、化粧室へ向かう途中で……)

 激しい頭痛に耐えきれず、壁に手をついて――。
 そこからの記憶がなかった。記憶が飛び、気付けばここで目覚めた。

「私、倒れて……?」

 この部屋はどこなのだろう。
 ベッドに面した窓からは見事な庭が見えた。
 その時、扉が開く。
 はっとしてそちらを見ると、紅い瞳がじっとこちらを見ている。
 黒髪に、紅い瞳の女の子。
 円らな瞳で、マリアのことを見つめている。

「……だえ?」

(もしかして公爵様の娘さん、かしら)

 肩のあたりで揃えられた黒髪と、宝石のような美しい瞳。肌は色白だ。
 でもレオンのような鋭さはなく、ふっくらして、柔らかな印象だ。

「私は、マリアよ」
「まいあ?」
「ま、り、あ」

 マリアは口を大きく開けて、しっかり発音してみせる。
 何度か練習して、「マリア」と呼べるようになった。

「そう、マリア。あなたのお名前は?」
「まいあぬ」

 女の子は舌足らずに呟く。

「マイアヌ?」

 こくりと、頷く。

「初めまして、マイアヌちゃん」

 マイアヌはとことことベッドのそばまでやってくる。

「ねむいの?」
「もう、大丈夫よ」
「だいじょーぶ?」
「うん」

 マイアヌは、マリアにぷにぷにの腕をすっと差し出してくる。

「ベッドの上に乗りたいの?」
「うん!」

 マリアは、マイアヌの両脇に腕を差し入れると抱き上げる。

「おちゅきしゃま!」

 マイアヌは、マリアの瞳を指さす。

「あ、そ、そうね」
「きえーっ」
「そう?」
「うんっ」
「マイアヌちゃんの瞳も綺麗だよ?」
「ぱぱとおないなのっ」
「そうね。公爵様と同じ綺麗な瞳ね」

 と、マイアヌはくんくんと小さな鼻を動かす。

「いいにおーぃ」
「そう? 香水はつけてないんだけど」

 客先に向かう時には、嫌がるお客さんもいるので極力、本当にうっすら香る程度しかつけない。
 子どもは嗅覚が敏感なのだろうか。
 ぎゅっと抱きついてくる。

「ふふ」

 思わず相好が崩れた。

(とても人懐こい子なのね)

 つい、頭を撫でてしまう。

「髪の毛、さらさらね」
「ん~」

 マイアヌは気持ち良さそうに目を細める。

「あ、ごめんね、勝手に」

 相手は子どもとはいえ、公爵家のご令嬢だ。
 馴れ馴れしく触れていいものではなかったと、手を引っ込めた。

「やーっ」

 すると、マイアヌはぐずり、頭を撫でて欲しいと手をぎゅっと掴んでくる。

「……撫でて欲しいの?」
「うんっ」
「分かったわ」

 マイアヌの頭を優しく撫でる。

「ふぁ~っ」

 マイアヌは大きな欠伸をすると、こてんと頭をマリアの胸に預け、すぅすぅと穏やかな寝息を立て始める。

(公爵様はこんなに可愛らしいお嬢さんがいて、幸せね。これなら二歳のお誕生日にアクセサリーをプレゼントしたい気持ちになるのも分かるわ)

 きっとお姫様のように素敵になるだろう。
 その時、「マリア」とエイリークとレオンが部屋に入ってくる。
 マリアは静かにと手振りで示し、眠っているマイアヌを示す。

「……どうしてマリアンヌが」

 ぽつり、とレオンが驚いたように呟く。
 マイアヌというのは言えなかっただけで、マリアンヌが本名なのか。

「ついさっき、部屋に入ってきたんです」
「……ぐずったり、しなかったのか?」
「はい。とても可愛い子ですね。とても大人しいですし」
「あ、ああ」
「?」

 レオンが戸惑ったようにマリアンヌを受け取る。

「それより、体調は大丈夫か? 君は廊下で倒れていたんだ」
「ご迷惑をおかけしてすみません。お陰様でもう、よくなりました」
「いや、いいんだ」
「今日のところは帰りましょう、マリアさん」
「商談は」
「それはまた後日」

 マリアはレオンに深く頭を下げ、部屋を出ていった。

「……エイリークさん、申し訳ございません。せっかくの大きな商談でしたのに」
「気にしないで下さい。公爵様も今回のことでうちとの取り引きをやめるつもりはないと仰って下さいましたから。それより、いきなりどうしたんですか?」
「それが……公爵様の顔を見た時に、何かが思い出せそうな気がして。そうかと思ったらひどい頭痛に襲われたんです」
「本当に? 記憶が戻りそうになったというんですか?」
「そこまで明確なことかどうかは正直……。でも、何かが掴めそうな、そんな気がしたのは確かです」

 我ながら曖昧だなと思う。

「そうなんですね。ひとまず今日は仕事はせず、休んで下さい。医者にも念のため、診てもらいましょう」
「そこまでして頂くなくても……」
「呼びますからね」

 エイリークははっきり言う。

「はい。分かりました」
「やる気があるのは嬉しいですが、体が資本なのですから、無理は禁物です」



 腕の中で小さな寝息を立てるマリアンヌを抱きながら、レオンはマリアのことを思い出していた。
 マリアンヌは、マリアに抱きつき、幸せそうに眠っていた。
 マリアンヌはかなり人見知りが激しく、屋敷の使用人にさえ全く懐かない。
 唯一、懐くのはレオンにだけ。
 父親としては嬉しい限りだが、他の使用人に全く懐かないのは困っていた。
 レオンは目の治療後、騎士団長に復職しており、常に屋敷にいられる訳ではないのだ。
 その時、廊下の向こうから世話を任せているメイドが駆け寄ってくる。

「お嬢様……」
「静かに。今、眠っている」

 メイドは大汗をかいている。かなり探し回っていたのだろう。

「公爵様、申し訳ございません」
「また目を離した隙に抜け出したようだな」
「……はい」

 こればかりはメイドを責められない。本当に誰にも懐かないのだから。

「これからは気を付けるように」
「はい」

(だが、あの女性……マリアと言ったか。彼女には不思議となついた……)
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