ライバル店の敏腕パティシエはスイーツ大好きな彼女を離さない〜甘い時間は秘密のレシピ〜

28・帰国。懐かしい焼き菓子の香り

 あっという間に季節が巡り、桜の蕾がふくらみ始めた頃。
 ついに、愁さんが日本へ帰国する日がやってきた。

 到着ゲートの前で、私は胸が張り裂けそうな思いで彼の姿を探していた。
 見慣れた背の高いシルエット、長い足でこちらに向かってくる人影。
 間違いない。あれは……。
 声に出すより先に、体が動いていた。
 
「……愁さん!」

 スーツケースを引く彼のもとへ駆け寄り、勢いよく腕に飛び込む。
 人目なんて、もうどうでもよかった。

「……おかえりなさい、愁さん」

 やっと会えた。もう、夢じゃない。
 震える声でそう言うと、愁さんはふっと笑い、私の背中にそっと腕を回した。

「ただいま、天音さん」

 その一言だけで、胸の奥がじんわり熱くなった。
 変わらない声。変わらない温もり。
 離れていた時間を、すべて抱きしめてくれるようだった。

 ゲートを出て、隣に並んで歩きながら、私たちは自然と手をつないだ。
 柔らかな春の風が吹き抜ける。また新しい日々がここから始まるような、そんな予感がした。

「ご両親への挨拶は、いつにしようか」

 春の香りを感じながら歩いていると、愁さんの唐突なひとことに、私は思わず足を止めた。

「へっ……?」

 変な声が出た。顔が一気に熱くなるのが自分でもわかる。
 そんな私の反応を見て、愁さんは少し照れたように笑う。
 けれどその目はまっすぐに、未来を見つめているようだった。

「愁さん、帰ってきたばかりなのに……」
「こういうのは、早い方がいいと思って」

 愁さんは、いたって真面目な顔でそう言った。
 少し眉を寄せて、それでも穏やかな目で私を見つめている。

「でも私、卒業まであと一年ありますよ?」

 今年から大学四年生になる私は、実習先の旅行会社に内定をもらっていた。
 でも卒業論文や資格取得のための勉強も山積みで、まだまだ忙しい学生生活が続く予定だ。

「うん。だから、挨拶だけ」

 愁さんが、少しだけ握った手に力を入れる。
 手のひらの温もりが、彼の誠実な気持ちを伝えてくる。
 嬉しい。でも、やっぱり恥ずかしい。
 両親に紹介するなんて、心の準備が……。

「じゃあ……今度のお休みの日、訊いてみますね」

 少しだけ視線を外しながら、私は小さな声でそう返す。
 愁さんはふっと笑ったあと、急にそわそわと早口になった。

「緊張するな……。あっ、手土産は……フランスで買った紅茶でいいかな? 向こうで偶然見つけた紅茶専門店でね、日本じゃ手に入らないやつで、香りがすごくよくて──」

 言葉を重ねるたびに、愁さんの頬が少しずつ赤くなっていく。
 真剣な顔をしながらも、どこか楽しそうだ。

「もう、愁さんってば……。落ち着いてください」

 まだ会う日も決まっていないというのに、落ち着きのない愁さんを見て、胸の奥がくすぐったくなる。

「ごめん。天音さんと結婚できるかと思うと、居ても立ってもいられなくて」

 そう言って愁さんは、恥ずかしげもなく、まっすぐに私を見る。

「まだ、両親に許してもらってませんよ」

 優しく宥めるように言ったけれど、愁さんの言葉が嬉しくて、胸がいっぱいになる。

「言っただろ? 許してもらえるまで、何度だって言うって」

 愁さんが浮かべた笑顔に照れて、つい視線を逸らしてしまった。
 心臓がドクンと鳴り、ほんのり熱を帯びた頬を隠すように、私はうつむく。

 愁さんの家の最寄り駅までの直通バスに乗り、帰ってきた。
 私はここから電車に乗って、今日は午後からの講義に出なくてはいけない。
 一旦、お別れだ。
 
「じゃあ……また」
「はい。また連絡します」

 愁さんは、優しくうなずいた。
 私は軽く会釈をしてから、改札を通る。
 でも、どうしても後ろ髪が引かれて、振り返ってしまう。

 愁さんはまだ、そこにいた。
 スーツケースの横に立ち、片手を上げて、私に笑いかけてくれる。
 なんだか映画のワンシーンみたいで、思わず私も小さく手を振り返す。
 
 そして、もう一度会釈をして、私は電車のホームへと足を進めた。

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