恋するだけでは、終われない
第十五話
ガラガラのバスに乗って、僕達は海辺へとやってきた。
そのまま海に突撃しそうな高嶺と玲香ちゃんと、大人のふたりを。
春香先輩が必死にひとりで、止めている。
「ちょっと〜、月子どうにかして〜!」
「仕方ないわ、海原くん。こっちはお願いするわ」
一緒にレジャーシートを広げて、店開きをしていた三藤先輩は。
僕にそう告げると、やや小走りで親友の援軍に向かう。
制服のスカートが横に揺れるだけだけれど、先輩が走るということ自体が珍しい。
おまけに……。
「月子ちゃんでも、ウインクとかするんだ……」
都木先輩の声が聞こえて僕が、驚いて振り返る。
「あ、ごめん! たまたま見えちゃっただけなの!」
「い、いえ。僕もちょっと驚きました……」
「そ、そっか……。だよね、わたしも初めて見たかも」
ややぎこちなく、都木先輩が笑顔になって。
なんとなくそのあとは、無言で大きなシートを広げ終えてから。
みんなの荷物をあいだに挟んで、僕たちは一旦腰をおろす。
「カメラマン、早く撮ってよー。お腹すいたー!」
遠くの高嶺の声が、青い空の中。
僕たちしかいないこの海辺に、響き渡る。
僕は藤峰先生がどこかから借りてきたという、重量感のある一眼レフのカメラを手に取ると。
「いきましょうか」
そういって、歩き始めたのだけれど。
「海原君、待って……」
その声に振り返ると、都木先輩が。
白い左手を差し出し、僕を呼んでいた。
「握らなくていいよ。でも、連れていって欲しい」
……む、難しい注文だ。
それが偽らざる、正直な感想だった。
そもそもどうして、都木先輩がそんなことをいうのだろう?
「こ、困らせてごめんね。なんだかきょうは、落ち着かなくてね……」
初めて見る都木先輩の表情に、僕がどうしたものか戸惑っていると。
「なにをしているの、海原くん?」
三藤先輩の声と足音が、聞こえてくる。
都木先輩の伸ばした手と、その前で固まる僕を。
間違いなく三藤先輩は認識しただろう。
ところが三藤先輩は、いつもならいいそうな嫌味のひとつもなく。
「まったくどうしたんですか? はい、いきますよ」
あっさりと都木先輩の手を取り、立ち上がらせてしまうと。そのまま、波打ち際へと向かっていく。
いつもなら、確実に見えるであろう背中の怒りのオーラも、きょうはまったく見えず。
……って、どういうことなんだこれ?
「ぶ、部活の写真だから。気をつかってくれているのかな?」
都木先輩が、遠慮がちにささやくけれど。
僕たちはふたりとも、三藤先輩の真意を図りかねたまま、そのあとを追いかけた。
「……ま、まだ撮るんですか」
一眼レフで、ささっと集合写真を撮るだけだと思っていたのに……。
どうやらスマホなるものには機能が、色々と盛り込まれているらしい。
高嶺も玲香ちゃんも、藤峰先生も高尾先生も。
容赦無く僕に、次々とあれやこれやと命じてくる。
「そのモードでちゃんと撮れてんの? ちょっと持ってきなよ」
「昴くん、海の色とかちゃんと撮れた? 確認させて〜」
「いまので撮れたの? ちょっとチェックさせて」
「あ〜、タイミングがずれて撮れてないんじゃない? 見させてもらっていい?」
そ、その地味な数メートルの砂浜の往復が……。
僕の体力を奪うんですよ……。
「海原君に、おまかせね!」
都木先輩だけが、そういってくれるけれど。
「横のほうがいいかなぁ? もう一回見てもいい?」
春香先輩がその代わりにスマホをチェックして、注文をつけてくる。
ちなみに、三藤先輩は。
「もういいわよね?」
集合写真以外は必要ないと。さっさとひとり、読書をしに戻ってしまった。
……ようやく撮影が終わったと思い、僕がひと息つこうとすると。
「よし! じゃぁ次はもう一度、その一眼レフでよろしく!」
女王が、容赦なく撮影を続けろと僕に告げる。
「ふ、藤峰先生……。さ、さっき撮りませんでしたか……?」
「あのねぇ、そこのカメラマン君さぁ〜!」
カメラマンと呼べば、聞こえはいいだろうけれど。
「やっと美女たちの表情がこなれてきのよ! いま撮らなくて、どうするの!」
実際はただの、召使いじゃないか……。
「いいから、早く撮りなさい」
あぁ。再度連れてこられた三藤先輩も、やさしくない……。
「あの〜、三藤先輩。アルバム用ですけど、ちゃんと笑顔になれますか?」
「高嶺さん、それくらいはお付き合いするわよ」
「ご、ごめんねぇ、月子ちゃん」
「都木先輩、お気になさらず。ただ……」
えっ?
……あ、そうか。
みんなの視線が、僕に集まる。
「部長抜きはないねぇ!」
藤峰先生、いまごろ気づいたんですか?
「じゃぁ、わたしが撮るよ!」
玲香ちゃんが、当然のようにいってくれて。
ただ、僕はなぜだかわからないけれど。
それもまた違うような、感じがした。
「……みんなで撮っておきましょう。たぶん、その写真を載せても平気ですよ」
僕にしては。
珍しく、大胆な提案をしたと思う。
そのときのみんなも、いったいどこまで深く考えていたのかは、知らないけれど。
「そうだね!」
「どうにかなるでしょ!」
そんな感じで。
誰ひとり、玲香ちゃん抜きの写真は撮らないと心をひとつにした。
そして、もうひとり。
「それなら是非、高尾先生も入ってくださいね」
都木先輩が、ごく自然にそういうと。
「あのブロックでも使えば、タイマーで撮影できるわよね?」
三藤先輩がやや遠くのほうを指差してから、僕を見る。
「まかせてっ!」
「きゃ〜!」
高嶺と、春香先輩がなぜか競争し始めて。
「なにしてんだかねぇ〜」
それを藤峰先生が、少し誇らしそうな目で見ていた。
「……昴君、ありがとう」
玲香ちゃんが、僕の隣でそっとつぶやく。
「そういう決断、嫌いじゃないわよ」
三藤先輩が、僕をほめてくれて。
「そうだね、ありがとう、海原君」
都木先輩が、感謝を伝えてくれた。
「部長らしくていいぞ、海原君!」
バシッ!
藤峰先生が、思いっきり僕の背中を叩いてくる。
「痛いですよっ!」
「部長なんだ、我慢しなさい海原君!」
「あれ、佳織?」
高尾先生が、ふと気づいたようで。
「あぁ、もうミスター・ウナハラって、長いじゃん。昇格ね!」
そういって、藤峰先生が。
妙にかわいく右目でウインクしながら、僕を見た。
……大きな四つの紙袋に入っていた、たくさんのパンは。
恐ろしい勢いで、あっさりと無くなった。
僕が楽しみにしていたジャーマンドッグは。
「おいしいから、それも食べてあげる!」
高嶺がわざと、食べ尽くした。
藤峰女王は、ドライフルーツたっぷりのハードパンの中から。
自分の苦手なレーズンだけ器用に抜き取って、ドロドロに溶けたチョコリングドーナツにわざわざ埋め込むと。
「はい、スペシャル!」
そういって笑顔で、ふたつも渡してきた。
「海原君、あ……。ご、ごめん!」
これは、運悪く振り向いた僕の頬に。
春香先輩が恵んでくれようとした、ウインナーパンの串が刺さったときで。
三藤先輩と玲香ちゃんは、自分たちの食べようとしたパンを、半分にわけてくれたのだけれど。
焼きリンゴの入った、激甘のキャラメルデニッシュと。
チーズがたっぷりかかったガーリックトーストを、左右の手に持つことになって。
「このふたつを、同時に食べるんですか?」
思わず僕は、そう口にしてしまった。
極めつきは、高尾先生だ。
「はい! お土産も兼ねてどうぞ。よく冷えてるわよ〜」
ちゃっかり持ってきた保冷バッグの中で、キンキンに冷やされた缶ビールの隣から取り出したのは。
温めてからお飲みくださいと記された、『ふかひれスープ』の缶で。
高尾先生の肩が、肩が……。
笑いをこらえようと、プルプル震えていた……。
こうして、僕にとって散々だったランチタイムが終わると。
大人女子が昼寝に入り、元気組は再び波遊びにいく。
三藤先輩は、一度保護者代わりに付き添っている春香先輩に軽く手を振ると。
「さっきの続きが気になるの」
そういって、そのまま読みかけの本のページをめくり始めた。
「……ねぇ、海原君。飲み物を買いにいかない?」
その声は、都木先輩?
そういえば、ランチのときはやけに静かだったよな……。
僕がそんなことを考えながら。
すでに歩き出したうしろ姿を、目で追っていると。
「早く、いってあげなさい」
三藤先輩が本から目を逸らさず、僕に告げた。
いったいこのとき、三藤先輩は。
どこまで正確に理解していたのだろう?
ただ、僕はまだ。
都木先輩のひとつの決心には。
……ちっとも、気づいていなかった。