夕日に染まる坂道で、幻の君と
第2話
あれから時々、カーブのところで景色を眺めながら先輩が通るのを待ったりしたけれど先輩は来ない。
今日は休みだろうか。タイミングが合っていないのだろうか。
そんなことを思っているうちに何日も過ぎ去っていった――。
「えー、昨日、校則を破って自転車に乗って坂道を下っていた生徒が転倒し、骨折しました」
朝のホームルームで、先生が改めてルールを守るよう注意喚起をしていた。
その生徒は大腿部を骨折して全治三ヶ月だそうだ。
「危ないね」
「骨折痛そう」
「全治三ヶ月……」
「二年生らしいよ」
「二年生?! 来月の修学旅行行けないじゃん」
「かわいそう」
クラスのみんなが口々に呟いている。
そんな中、私は他人事に思えずにいた。
あの時、先輩が止めてくれなければ怪我をしていたのは私だったかもしれない。
無性に先輩に会いたくなった。喧嘩別れしたままなんて嫌だ。
ちゃんと先輩に謝りたい。お礼を言いたい。また以前みたいに一緒に並んで歩きたい。
放課後、三年生の教室の前に来ていた。
先輩は以前、教室が家庭科室の隣だと言っていた。
授業中、調理実習の匂いでお腹がなるんだと笑って話してくれたことを思い出す。
恐る恐る教室を覗く。
先輩は、いないみたいだ。もう帰ったのだろうか。
私は教室から出てきた三年生に思い切って声をかけた。
「あの、山崎隼人先輩はもう帰りましたか?」
「山崎隼人? ってだれ?」
「え、このクラスにいませんか?」
「うん、いないよ」
確かに先輩は家庭科室の隣の教室だと言っていたし、それはここ三年二組だけだ。
先輩が噓をついていた? なんのために?
「山崎先輩が何組か知っていますか?」
「うーん。山崎隼人ってこの学年にはいないと思うげど」
この学年にいない?! じゃあ二年生? いや、そんなことはないはず。
先輩は三年生の色である青いネクタイをしていたし、あと半年で卒業だとも言っていた。
混乱しながら廊下を歩く。通る教室をチラチラ覗いては先輩がいないか確認する。
いくら探しても先輩の姿はなかった。
先輩は、どこにいるの?
ふと、顔を上げた時、職員室が目に入る。
私は化学教師である担任の先生のところへ向かう。
三年生の化学の授業も受け持っていると言っていた。
「先生、聞きたいことがあるんですけど」
「おお。坂本が質問なんて珍しいな」
「質問というか、まぁ質問なんですけど。先生、三年の山崎隼人先輩って知ってますか?」
「坂本は山崎と知り合いなのか」
先生は先輩の名前を聞いて驚いた顔をする。先輩のこと、知ってるんだ。
「えっと……はい」
「事故からちょうど一年だな。まだ容態は変わらないのか……」
えっ? 事故? ちょうど一年? なんのことだろう。最後に先輩と会ったのは二週間前。
先輩から一年前に事故に遭った話なんて聞いたことはない。それに……容態?
先生の言う山崎先輩は違う人なのではないだろうか。
そう思いつつ、気になることもある。
「先生、その事故って――」
先輩は一年前、自転車に乗って坂道を駆け下りていて転倒してしまった。
頭を強く打ち、いまも意識不明で入院しているそうだ。
「真面目なやつだったんだけどな。あの日、愛犬の調子が悪いとかで急いでたらしい。親御さんが連絡して急かすんじゃなかったって悔やんでた」
先生の話に心臓が大きく跳ねるのを感じる。
先輩が、言っていたことと同じだ。
先輩は意識不明で入院している……?
じゃあ、私が会った先輩は、一緒に過ごしたあの時間はなんだったんだろう。
幻? 夢? 幽霊? もう訳が分からない。
でも、確かに私は先輩と出会った。先輩と同じ景色を見て、先輩と歩いた。
それは噓なんかじゃない。
私は飛び出していた。先のことなど考えずにただ走った。
息を切らしながら着いたのは、六階建ての、横に大きく広がった無機質な建物。
この街で一番大きな病院だ。
先輩がここに入院していると先生から聞いた。
受付で聞いた病室の前まで行く。
入口ドアのプレートには確かに”山崎隼人”と書かれている。
本当に先輩は入院しているんだ。
私は、先輩に会ってどうするのだろう。意識がなく、眠っている先輩と会って何を思うのだろう。
「先輩……」
呟いた時、後ろから声をかけられた。
「隼人のお友達かしら?」
「えっ……」
振り向くと、先輩によく似た穏やかに笑う中年の女性がいた。
先輩のお母さんだろうか。
「制服ってことは後輩さんかしらね。お見舞いに来てくれたの? どうぞ入って」
開かれたドアに、私は軽く会釈をして中へ入る。
「前まではよくお友達がお見舞いに来てくれてたんだけど、みんな卒業して大学に行ったり就職したりで最近はなかなかね。きっとあなたがきてくれて隼人も喜んでるわ」
荷物を備えつけの棚にしまいながら話しかけてくる先輩のお母さん。
私はドアの前から動けずにいた。
「今日は荷物を置きに来ただけなの。私はもう行くけどあなたはゆっくりしてね」
「はい……。ありがとうございます」
病室を出ていくお母さんは優しく微笑んでいたけれど、その背中は悲し気だった。
私は一度、深呼吸をしてゆっくりとベッドで寝ている先輩に近づいていく。
心臓がドクドクと鳴っているのがわかる。
自分のなかで得体の知れない怖さが押し寄せている。
けれど、頭に浮かぶのは先輩のはにかんだ可愛い笑顔だった。
眠っている先輩の顔をそっと覗く。
「…………」
穏やかな寝顔だった。
眠っているけれど、私が知っている先輩だった。
事故に遭い、意識不明であるということの実感が今更ながらに湧いてくる。
私はベッド横にある椅子に座った。
少しずつ怖さというものがなくなっていく。けれど、それに反して悲しさがこみ上げてくる。
「先輩、私のことわかりますか」
そんなことを聞いても、もちろん返事はない。
聞きたいこと、知りたいこと、言いたいことがたくさんある。
先輩に伝えたいことがある。
「あの時、私のために怒ってくれてありがとうございました。それなのにあんな態度をとってしまってごめんなさい。――先輩は、どうしてあそこにいたんですか。どうして、あれから現れてくれないんですか」
私が出会った先輩がなんだろうとそんなの関係ない。
出会えたことが幸せだと思った。奇跡なんだと思った。
「隼人先輩……」
ずっと、呼びたかった名前。
名前を呼んだら先輩はどんな顔をするだろう。
先輩の笑っている顔が見たい。また、杏奈ちゃんと呼んでほしい。
目を、開けてほしい。
けれど、私にできることは何もない。
「私、先輩と歩くあの坂道が好きです。先輩と眺める夕方の街の景色が好きです。楽しそうにまめの話をする先輩が、可愛く笑う先輩が、好きです」
口に出したのは初めてだった。
でも、先輩には伝わらない。
私は、自分の気持ちを伝えることすらできない。
「また、来ますね」
私は眠ったままの先輩に微笑み、立ち上がると病室を後にした。
それから何度か先輩の病室に足を運んだ。
『今日は雨上がりに虹が出ましたよ』
『学校の金木犀が咲いてとてもいい香りがするんです』
『昨日、先輩のお母さんがまめの新しい写真飾ってましたよ』
相変わらず先輩は眠ったままで、私が話しかけたところで何の反応もない。
以前のように先輩と話しがしたい。
私のことを見て欲しい。
でも、目が覚めた先輩はきっと私のことなんてわからない……。
放課後、もしかすると、なんて思いながら坂道で先輩を待ってみたりもしたが、やっぱり先輩は現れなかった。
それが当たり前なのかもしれない。先輩は病院で眠っているのだから。
そして、私はまた先輩の病室の前に来ていた。
先輩が現れなくなって三ヶ月以上が過ぎている。
私は、先輩と過ごした時間が夢だったのではないかと思い始めていた。
そんなことはないはずなのに。
先輩との時間がなかったものになっていくようで悲しかった。
先輩に、会いたい。
私はゆっくりと病室のドアを開けた。
「っ……!」
体を起こし、ベッドに座った状態の先輩と、目が合う。
目を、覚ましたんだ。
一瞬で涙が溢れてくる。心臓が、苦しい。呼吸の仕方も忘れてしまいそうなほど全身がぎゅっとなる。
「うっ、ううっぅ、ひっくっ」
先輩は私を見て、ひどく驚いた顔をしている。
それもそうだ。先輩にとっては知らない人がいきなり病室を開けて号泣し始めたんだ。
驚くに決まっている。
でも、そんなことはおかまいなしに涙は次から次へと溢れてくる。
先輩が、私を見ている。それだけで胸の奥が熱くなる。
流れ落ちる雫を袖で拭った。何度もズルズルと鼻をすすった。
視界が滲んで先輩の表情はよく見えない。
そんな中、先輩が手招きしてベッド横の椅子を指さす。
私は促されるまま椅子に座る。
先輩はベッド横の棚に手を伸ばし、ティッシュを数枚取って渡してくれた。
泣きながらティッシュを受け取り鼻をかむ。袖で涙を拭う。
「ひっく、うっ、ううっ」
何度拭っても嗚咽がとまらない。
たくさん話したいことがあるのに何も言葉が出てこない。
「杏奈ちゃんは、泣き虫だね」
「っ……」
先輩がいつものように私の名前を呼ぶ。
溢れ出る涙をそのままに先輩の顔を見る。
先輩の手が私の頬に伸びてくる。
そっと涙を拭ってくれた手のひらに、初めて先輩の体温を感じた。
「ずっと、君の夢を見てた気がする。また、夢でもいいから会いたいと思ってた。でも、夢じゃなくて良かった」
「隼人、先輩……」
「やっと、名前を呼んでくれたね」
そのはにかんだ可愛い笑顔は、私の大好きな先輩そのものだった。
今日は休みだろうか。タイミングが合っていないのだろうか。
そんなことを思っているうちに何日も過ぎ去っていった――。
「えー、昨日、校則を破って自転車に乗って坂道を下っていた生徒が転倒し、骨折しました」
朝のホームルームで、先生が改めてルールを守るよう注意喚起をしていた。
その生徒は大腿部を骨折して全治三ヶ月だそうだ。
「危ないね」
「骨折痛そう」
「全治三ヶ月……」
「二年生らしいよ」
「二年生?! 来月の修学旅行行けないじゃん」
「かわいそう」
クラスのみんなが口々に呟いている。
そんな中、私は他人事に思えずにいた。
あの時、先輩が止めてくれなければ怪我をしていたのは私だったかもしれない。
無性に先輩に会いたくなった。喧嘩別れしたままなんて嫌だ。
ちゃんと先輩に謝りたい。お礼を言いたい。また以前みたいに一緒に並んで歩きたい。
放課後、三年生の教室の前に来ていた。
先輩は以前、教室が家庭科室の隣だと言っていた。
授業中、調理実習の匂いでお腹がなるんだと笑って話してくれたことを思い出す。
恐る恐る教室を覗く。
先輩は、いないみたいだ。もう帰ったのだろうか。
私は教室から出てきた三年生に思い切って声をかけた。
「あの、山崎隼人先輩はもう帰りましたか?」
「山崎隼人? ってだれ?」
「え、このクラスにいませんか?」
「うん、いないよ」
確かに先輩は家庭科室の隣の教室だと言っていたし、それはここ三年二組だけだ。
先輩が噓をついていた? なんのために?
「山崎先輩が何組か知っていますか?」
「うーん。山崎隼人ってこの学年にはいないと思うげど」
この学年にいない?! じゃあ二年生? いや、そんなことはないはず。
先輩は三年生の色である青いネクタイをしていたし、あと半年で卒業だとも言っていた。
混乱しながら廊下を歩く。通る教室をチラチラ覗いては先輩がいないか確認する。
いくら探しても先輩の姿はなかった。
先輩は、どこにいるの?
ふと、顔を上げた時、職員室が目に入る。
私は化学教師である担任の先生のところへ向かう。
三年生の化学の授業も受け持っていると言っていた。
「先生、聞きたいことがあるんですけど」
「おお。坂本が質問なんて珍しいな」
「質問というか、まぁ質問なんですけど。先生、三年の山崎隼人先輩って知ってますか?」
「坂本は山崎と知り合いなのか」
先生は先輩の名前を聞いて驚いた顔をする。先輩のこと、知ってるんだ。
「えっと……はい」
「事故からちょうど一年だな。まだ容態は変わらないのか……」
えっ? 事故? ちょうど一年? なんのことだろう。最後に先輩と会ったのは二週間前。
先輩から一年前に事故に遭った話なんて聞いたことはない。それに……容態?
先生の言う山崎先輩は違う人なのではないだろうか。
そう思いつつ、気になることもある。
「先生、その事故って――」
先輩は一年前、自転車に乗って坂道を駆け下りていて転倒してしまった。
頭を強く打ち、いまも意識不明で入院しているそうだ。
「真面目なやつだったんだけどな。あの日、愛犬の調子が悪いとかで急いでたらしい。親御さんが連絡して急かすんじゃなかったって悔やんでた」
先生の話に心臓が大きく跳ねるのを感じる。
先輩が、言っていたことと同じだ。
先輩は意識不明で入院している……?
じゃあ、私が会った先輩は、一緒に過ごしたあの時間はなんだったんだろう。
幻? 夢? 幽霊? もう訳が分からない。
でも、確かに私は先輩と出会った。先輩と同じ景色を見て、先輩と歩いた。
それは噓なんかじゃない。
私は飛び出していた。先のことなど考えずにただ走った。
息を切らしながら着いたのは、六階建ての、横に大きく広がった無機質な建物。
この街で一番大きな病院だ。
先輩がここに入院していると先生から聞いた。
受付で聞いた病室の前まで行く。
入口ドアのプレートには確かに”山崎隼人”と書かれている。
本当に先輩は入院しているんだ。
私は、先輩に会ってどうするのだろう。意識がなく、眠っている先輩と会って何を思うのだろう。
「先輩……」
呟いた時、後ろから声をかけられた。
「隼人のお友達かしら?」
「えっ……」
振り向くと、先輩によく似た穏やかに笑う中年の女性がいた。
先輩のお母さんだろうか。
「制服ってことは後輩さんかしらね。お見舞いに来てくれたの? どうぞ入って」
開かれたドアに、私は軽く会釈をして中へ入る。
「前まではよくお友達がお見舞いに来てくれてたんだけど、みんな卒業して大学に行ったり就職したりで最近はなかなかね。きっとあなたがきてくれて隼人も喜んでるわ」
荷物を備えつけの棚にしまいながら話しかけてくる先輩のお母さん。
私はドアの前から動けずにいた。
「今日は荷物を置きに来ただけなの。私はもう行くけどあなたはゆっくりしてね」
「はい……。ありがとうございます」
病室を出ていくお母さんは優しく微笑んでいたけれど、その背中は悲し気だった。
私は一度、深呼吸をしてゆっくりとベッドで寝ている先輩に近づいていく。
心臓がドクドクと鳴っているのがわかる。
自分のなかで得体の知れない怖さが押し寄せている。
けれど、頭に浮かぶのは先輩のはにかんだ可愛い笑顔だった。
眠っている先輩の顔をそっと覗く。
「…………」
穏やかな寝顔だった。
眠っているけれど、私が知っている先輩だった。
事故に遭い、意識不明であるということの実感が今更ながらに湧いてくる。
私はベッド横にある椅子に座った。
少しずつ怖さというものがなくなっていく。けれど、それに反して悲しさがこみ上げてくる。
「先輩、私のことわかりますか」
そんなことを聞いても、もちろん返事はない。
聞きたいこと、知りたいこと、言いたいことがたくさんある。
先輩に伝えたいことがある。
「あの時、私のために怒ってくれてありがとうございました。それなのにあんな態度をとってしまってごめんなさい。――先輩は、どうしてあそこにいたんですか。どうして、あれから現れてくれないんですか」
私が出会った先輩がなんだろうとそんなの関係ない。
出会えたことが幸せだと思った。奇跡なんだと思った。
「隼人先輩……」
ずっと、呼びたかった名前。
名前を呼んだら先輩はどんな顔をするだろう。
先輩の笑っている顔が見たい。また、杏奈ちゃんと呼んでほしい。
目を、開けてほしい。
けれど、私にできることは何もない。
「私、先輩と歩くあの坂道が好きです。先輩と眺める夕方の街の景色が好きです。楽しそうにまめの話をする先輩が、可愛く笑う先輩が、好きです」
口に出したのは初めてだった。
でも、先輩には伝わらない。
私は、自分の気持ちを伝えることすらできない。
「また、来ますね」
私は眠ったままの先輩に微笑み、立ち上がると病室を後にした。
それから何度か先輩の病室に足を運んだ。
『今日は雨上がりに虹が出ましたよ』
『学校の金木犀が咲いてとてもいい香りがするんです』
『昨日、先輩のお母さんがまめの新しい写真飾ってましたよ』
相変わらず先輩は眠ったままで、私が話しかけたところで何の反応もない。
以前のように先輩と話しがしたい。
私のことを見て欲しい。
でも、目が覚めた先輩はきっと私のことなんてわからない……。
放課後、もしかすると、なんて思いながら坂道で先輩を待ってみたりもしたが、やっぱり先輩は現れなかった。
それが当たり前なのかもしれない。先輩は病院で眠っているのだから。
そして、私はまた先輩の病室の前に来ていた。
先輩が現れなくなって三ヶ月以上が過ぎている。
私は、先輩と過ごした時間が夢だったのではないかと思い始めていた。
そんなことはないはずなのに。
先輩との時間がなかったものになっていくようで悲しかった。
先輩に、会いたい。
私はゆっくりと病室のドアを開けた。
「っ……!」
体を起こし、ベッドに座った状態の先輩と、目が合う。
目を、覚ましたんだ。
一瞬で涙が溢れてくる。心臓が、苦しい。呼吸の仕方も忘れてしまいそうなほど全身がぎゅっとなる。
「うっ、ううっぅ、ひっくっ」
先輩は私を見て、ひどく驚いた顔をしている。
それもそうだ。先輩にとっては知らない人がいきなり病室を開けて号泣し始めたんだ。
驚くに決まっている。
でも、そんなことはおかまいなしに涙は次から次へと溢れてくる。
先輩が、私を見ている。それだけで胸の奥が熱くなる。
流れ落ちる雫を袖で拭った。何度もズルズルと鼻をすすった。
視界が滲んで先輩の表情はよく見えない。
そんな中、先輩が手招きしてベッド横の椅子を指さす。
私は促されるまま椅子に座る。
先輩はベッド横の棚に手を伸ばし、ティッシュを数枚取って渡してくれた。
泣きながらティッシュを受け取り鼻をかむ。袖で涙を拭う。
「ひっく、うっ、ううっ」
何度拭っても嗚咽がとまらない。
たくさん話したいことがあるのに何も言葉が出てこない。
「杏奈ちゃんは、泣き虫だね」
「っ……」
先輩がいつものように私の名前を呼ぶ。
溢れ出る涙をそのままに先輩の顔を見る。
先輩の手が私の頬に伸びてくる。
そっと涙を拭ってくれた手のひらに、初めて先輩の体温を感じた。
「ずっと、君の夢を見てた気がする。また、夢でもいいから会いたいと思ってた。でも、夢じゃなくて良かった」
「隼人、先輩……」
「やっと、名前を呼んでくれたね」
そのはにかんだ可愛い笑顔は、私の大好きな先輩そのものだった。


