アフターアーダン 闇堕ち英雄の後日譚

回想 ホリンとアグと俺と

「身体に大事が無くて良かったよ」

「どうも」

 ホリンの労りの言葉に対して俺は変な気分になる。というか嫌な気分となる。

 どうしてか?

 考えたくもないからこの不快感はこのまま転がしておこう。

 ここまで色々な人が来てくれた。真っ先にオヴェリアちゃんにアグそしてフリート様にジーク様。

 それからノイスとアレク。

 この二人は名誉の戦死でなくて良かったぜと名誉の負傷おめでとう、と軽口を言ってくれてとても嬉しかった。

 なんだか怪我をした甲斐すら感じられて心地よかった。

 魔王を取り逃がしのは痛恨の極みだがそれでも俺は戦った。

 逃げずに立ち向かいそして敗れた。死んだかもしれない一戦を生き残る。戦士だ。

 己の望みに少し……いいや大きく近づけたことだろう。

 宝物庫を燃やしたことに比べたら雲泥の差。

 この一事で後世に名が残り英雄になれたら……さすがにそれはないか。

 みんなの活躍の前にはこんなの霞んで消える、が俺的には満足だからそれでよし。

 そんな恍惚感に浸っていたもののこの来訪者によってそんな気分はどこかに消え失せてしまった。

 ホリンがやってきた。お見舞いの品は果実籠。ありがたい話だ。でも食欲が湧かない。

 この土地の果実はちょっと苦手ではあるも有ったら有ったで食べたいところなのにその気になれない。

 どうしてだろう? 拒絶感がまっさきに働く。

「魔王に一人で立ち向かうとは、さすがはオヴェリア女王の弟子といったところですね」

「敗れたがな」

 反感が先に立って何故か反論してしまった。

 何故? 労いの言葉に対して俺はありがとうとみんなに言ってきたじゃないか。

 こんな反論なんてしなかったし今もするべきじゃない。謙遜こそすれ傲慢になるべきではない。

「いやいやそこは英雄ですよ。オヴェリア女王もさぞかしお喜びでしょう」

「説教されてしまったがな」

 また反射的な反論! こんなことをすべきではないのに、してしまう。

 脊髄反射的な考える前に動いてしまう。それどころか意識する前に身体が動いている。

 特にオヴェリアちゃんの名前が出て来ると我慢できなくなる、しかしいったい何に我慢ができないんだ?

 彼の言葉の何がそんなに癇に障るのだ? 彼はとても穏やかで悪意が無いというに俺の方には一方的にある……それは、この感情はまるで。

「おっ珍しい二人だな」

 この言葉よりも先に香りが鼻に入り胸騒ぎが起き、それから声によってその存在にすぐに反応ができた。

 タバコを咥えたアグが入室した。

 彼女は先ずホリンを見て微笑み、それからあとに俺を見て微笑んだ。

 ……なんで? なんでってなんだ? いや、なんでだ!

 どうしてこちらが先ではないのか? 

 だってこの部屋の主人というか中心は俺であって客のホリンではない。

 まずこちらに微笑みの挨拶をしてしかるべきでその後にあっちだろ。

 なんでそんな不自然なことをわざわざするのか。

 そう自然であるはずがない。

 そんな道理に合わない妙なことをこの人はしない。

 彼女は良識を弁えた大人であるのだ。

 例の十五歳の理不尽なクソガキの対極にいるんだ。

 そうであるからいまのあれにはにはきちんとした意図があり、理由があるからこそやるのであって、もしも道理や自然を超越したなにかで以って挨拶をしたとしたら、それはもうよく分からないが破滅の予感しかしない。

 俺が認知する世界秩序が根本から崩れ落ちてしまう。

「回復の経過はどうかな?」

 アグに話しかけられいまの感情の激動はすぐさま治まった。

 不思議なものだ、あれは消え去り残風すらない瞬間最大風速な突風。

「おかげさまで」

 そう、おかげさまである。君がお見舞いに来てくれるだけで俺の傷の治りは早い。

 というかひょっとしたら逆に治りが遅くなっているかもしれない。

 だけども絶対に悪化はしないという自信がある。

 望むらくは隣にいるその男がどこかに行ってくれればいいのだが。アグ……こやつに出て行ってくれと言ってくれないかな?

「おかげさまといえばホリン殿には助けられたな。この場を借りて感謝いたします」

 貸したくないのだがなんだそれは。二人の会話に入るなそして俺を巻き込むな。

 どうしてそんなことをするのか? 今日のアグはなんだかおかしいぞ。

 俺の嫌がることを的確にしてくる……まるで例の意地の悪い十五歳のように。

「いえいえ大したことなどしていませんって。活躍ならアーダン君の方がしていて」

 擁護されたのか? だがそれもなんだか嫌な気分が広がる。

 他の人ならこんな感情を抱かないのにどうしてこいつにだけは。

「ハハッ謙遜謙遜。アーダンも聞いてくれ」

 アグが見てきた。紅の瞳が俺を見つめる。

 二本の線が縦に走る顔のいつもより大きくそして美しい紅の輝きがそこにある。

 強い光に見入られるも俺は必死に目を逸らそうとする。だがその美に捕らえられている俺はそこから離れられない。光を込めた紅が体内の血と結びつき流れ込んでいるかのように。だから俺は頷いた。

 返事の代わりはそれでアグは微笑む。

 まるで俺の返事を待っていたように不思議な間がありそれから彼女は話しだした。

 ホリンの活躍を。最前線ではないものの、要所要所で活躍したことを。

「敵に背後を取られた際にホリン殿が救ってくれてな」

 それなら俺も! と俺は怒った。

 しかしこれはどういう理屈なんだ? どうして俺のではなくホリンのは気づくのだ?

 いやこの理屈もこの怒りもその全てがおかしい。

 もしも気づいてくれていたら俺への好意は上がり、そしてさっきの入室の際の挨拶は俺が先に来て……やめろ。

 そこに結び付けるな。そうだとしたら彼女の心はいま確実に俺ではなくこの男に……!

「まったく私はまだまだだ。以前は背中にいた敵の接近に気が付かずアーダンにそれを相手にしてもらって。隙が多くてこまったものだ」

 たちまちに俺の心の噴火は鎮火する。なんだ気づいていたのかと俺はホッとした。

 そうだオヴェリアちゃんが話してくれたのだ。やってくれたのだ、ありがたや。

 なるほどなるほどホリンへの感謝を自分の前でしたのは、まとめてやろうという意識が働いたということか。

「二人ともありがとうだ」

「そんなアグ殿はいつも最前線で戦っているのですからカバーし合うのは当然です。
 僕のカバーなんてほんの一例にすぎませんって」

「そうそう敵の中に入っていくんだから四方八方に敵がいて敵が虎視眈々と背後から忍び寄るなんて当然だ。そういう時に俺がそれを排除するのは当然で」

 と言うと俺とホリンの目が合った。どうしてだ? 

 いま彼を見るタイミングではないのに、視線が重なる。

 あっちも見た。こっちも見た。そしてアグも俺を見て彼も見ている。なんだこの奇妙な交錯は?

 しかも彼女はとても柔らかく微笑んでいる。

 まぁ彼女がなんか楽しそうなら俺に異論は全くなく多幸感を覚える。

「うむ、我々は互いにカバーし合いここにいるということだ。
 その縁を祝してこの果実でも分け合おうか」

 アグはそう言いながらホリンが持ってきた果物籠から一つの身を取り出し、ナイフで以って目にも止らぬ手さばきで三つに切り分けた。

「では一緒に食べよう」

 素早く俺の目の前にその果実の切り身が差し出された。

 見るとホリンの前にも、そのタイミングは同時だった。

 意図的だと感じてしまうぐらいに左右に向かって両方一片に差し出され、どちらが先か後かなど分からなかった。

 たぶん……いいや間違いなく俺の方が先に出されたに違いない。

 そう信じる。

「ありがとう」

 と俺は言いながらそれを受け取るとアグが微笑む。

 美しいと思いながら彼女が自分のぶんを口に運ぶのと同じ早さと動きで以って俺もそれを口に運び、彼女がかじると同時に俺もかじり呑み込んだ。

 不思議な陶酔感が口の中で広がる。味は来ない、というか分からない。だがこれは良いものだとは分かる。

 その手によって切り分けられたものを手渡しで受け取り手で以って食べる。

 その間には何も無く皿も食器も何も無い。

 私とあなたしかいないという事実。限りなく近いそれ。

 まだ味は来ない、あるのはまだ何によるのか不明な、酔い。

「これはえらく酸っぱいな」

 眉をしかめるアグがそう言うと俺の口の中が酸味で満たされ自分も同様に眉がしかまる。

「だがこれはこれで旨いな」

 今度は明るくそう言うと俺の口の中の酸味が突然甘味に変わり自分も同様に明るい気分となった。

 これはどういうことだ? とアグを見るとまた紅が俺を見ている。

 どこか濁ってなんだか鈍い光を宿しているその大きな瞳の紅。

 いったいこれはなんだというのか? これは……なんだ。

 直線なはずの二本の縦線の刺青もどこか歪んで見える。

「ホリン殿。このようなものを戴き、感謝する」

「いえ、いいんですよ。喜んでもらえれば僕はまったく」

 待てよそれ。その果実は俺がもらったもので今は俺に所有権がある。

 元の持ち主に感謝するにしても今の所有者にも感謝するものであって、ホリンもホリンでまるでこれはアグへの贈り物なようにしてこいつは!

「アーダンも勝手に食べてしまい悪かったな」

「いやいや、とんでもない」

 話がこちらに向くと俺の怒りはすぐさま胡散霧消した。

 さっきから不思議だ。いや今日は不思議だ。

 感情の起伏が激しすぎて自分で自分を見失いそうだ。いや、見失い失踪している。

 どうしてだろうか? 

 アグが何かを言うと、それが俺の全てとなってそれに支配されて……そう操られているようで。

「アーダンさん入りますよ」

 扉が開かれオヴェリアちゃんの声が侵入してきた。
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