紅い蝶の見る夢
男はあたしが入って来たことに気付いていない様子だった。
あたしは静かにドアを閉めて壁に寄り掛かりそっと目を閉じた。
この音に集中したかった。
頭の中にあるモヤモヤをどうにかして消し去りたかった。
(―――大丈夫)
もうあの人の声は聞こえない。
忘れろ。忘れろ。
今だけは全部忘れてしまえ。
でも嫌な夢を見たせいで何だか落ち着かなかった。
これはヒロのせいじゃない。間違いなくアイツのせいだ。
あの男が夢の中にまで出て来たから起きてからずっと胸糞悪くて仕方なかった。
その鬱憤を尚哉と瀬戸にぶつけてやろうと思ったのに失敗した。
よし、こう言う時は違うことを考えよう。
羊が1匹、羊が2匹……あれ?これって寝れない時の奴じゃなかったっけ?
「―――おい」
「、」
不機嫌そうな声にハッと我に返る。
どうやら羊を数えている間に演奏が終わっていたらしい。気付かなかった。
「貴様、何者だ…?」
椅子から立ち上がった男は少しの殺気と鋭い瞳であたしを射抜く。
この殺気…、一般人じゃないな。
きちんとネクタイを上まで絞めていたとしても平然と不良科にいる時点でこの男もこっち側の人間なのかもしれない。だからと言ってガン飛ばされる覚えはないけど。
「答えろ。誰だと聞いている」
「ここの生徒だけど」
男の表情は一向に変わらない。
敵意剥き出しの鋭い瞳があたしから視線を逸らすことなく険しい表情を浮かべていた。
(あーあ、そんな顔したら折角の綺麗な顔が台無しだな…)
男は蒼色のラウンドマッシュに桃ほどとは言わないが年相応の幼さが残る顔立ちに鋭い瞳がよく似合う美少年だった。
そんな美少年が早く大人になりたくて背伸びしている姿に謂れのない敵意を向けられても尚怒る気にはならなかった。どうでもいいとまでは言わないが、まともに相手するだけの価値があるようには思えなかったからだ。
ただ男の気持ちは分からなくもなかった。
あたしだって見ず知らずの人間が突然目の前に現れたらその人間が誰であろうと警戒するだろう。何せ周りは敵だらけだ。そんな四面楚歌状態で無防備でいられるわけがない。でもそれはあくまであたしの場合だ。この男にも何かしらの事情があるかもしれないからあたしなりに初対面の人間に気を遣ってこれ以上相手に不信感を与えないように愛想笑いして敵じゃないアピールをしてやったと言うのに…。
「ふざけているのか」
ダメだ。全然効いてない。
「貴様、ここがどこだか分かっているのか?」
「は?」
どこって…。
「音楽室?」
あ、旧音楽室だっけ。
「………」
「……何?」
まだ疑うか。随分警戒心が強いな。
もう面倒臭いから走って逃げようかな。
想像以上に尋問めいた口調が鬱陶しいし、どうせあたしが何言って信じないだろうからこれ以上説明する気もどっか行ったし。
だからと言ってこちらの事情を理解して欲しいとは思っていない。
他人なんて警戒するに越したことはない。
だってそれが自分を守る唯一の手段だから。
血縁者ですら自分以外の人間は皆他人で、そう簡単に信じることなんて出来やしない。
特に心に傷を負った人間はそう言った傾向になりやすい。