アリのように必死に。 そして、トンボのように立ち止まったり、後戻りしながら。 シジミチョウのように、柔らかな青に染まった翅を自在に動かして、私は飛んでいく。

01

青く染まり、低いところにぽつりぽつろと小さな雲が浮かんだ空。

優しく仄かな風は吹き、服がなびく。

田んぼの稲穂は、稲刈りが終わって、つけてのほうだけが物寂しく残っていた。


「芽生ちゃん。また明日ね」

紅葉さんの呼びかけに会釈で答える。


親切のつもり。

何だろうけど、ありがたがるべきなんだろうけど、どう返せばいいのかわからない。

毎回、迷って最終的に会釈で落ち着く。

そして、帰ってから、「ああ。こうすれば、よかったのかな」って、もやもやする。

ありがたがるべきことなんだろうけど、やめてほしい。

私、安桜芽生(あさくらめい)は、この、長野自然大学に通っている大学3年生。

大学の帰りに、コンビニへ寄り、夜ご飯のパンを二つほど買った。

 時計を確認すると、3時半。いつも乗っている電車まで結構な時間がある。

 こういう時は、現れる曲がり角を気分のままに進んで時間を潰すに限る。


 コンビニの近くの横断歩道を渡り、真っ直ぐか斜めに行くかの選択。斜めの方向に、赤い看板のお店が見えた。一体、何のお店だろう。ちょっと興味を持って、斜めに進んでみる。

 お店は個人経営の洋服屋らしい。近くの小中学校の体操服も売っていることが大きく書かれていた。

 そのお店を通り過ぎると、反対側の道に曲がり角。

 その角を曲がってまっすぐ進んでいくと、子供たちが遊んでいる公園が見えた。定番の滑り台やジャングルジム、シーソー、ブランコがあった。


 「おにさん。おにさん。なにいろですか。」

 幼稚園児とその親御さんが十人ほどいろおにをして遊んでいる。

 制服であろう水色のシャツを着て、下に紺色のスカート化ズボンを履いている。頭には鍔の折れる黄色い帽子を浮いたり、深かったりと不恰好にかぶっている。

 その公園を過ぎると、草が茫々に生えている場所が現れた。その周りに高い建物はなく、視界が広い。閉塞感がなくて、心地いい。

 そして、その場所には赤とんぼが群れになってたくさん飛んでいた。二匹でともに行動するもの、数匹で行動するもの。いろんな赤とんぼが集まっていて、絶好の穴場。

 私は持っていた買い物袋を電柱の近くにおいて、道にしゃがみ込む。

 一匹が近くの草の先端に止まった。

 からだが赤く、黒帯(トンボの胸部分に横から見ることで見える黒い帯)が尖っている。三本帯が入っていて、真ん中の帯は途中で途切れている。

 その切れ方によって、ナツアカネかアキアカネか、見分けられる。


 葉に止まっている瞬間を狙う。ゆっくりと気づかれないように、赤とんぼの周りを手で覆っていく。
 

 右の手と左の手の指先が付いた。
 
 一気に、手全体で覆い、両手に赤とんぼを捕まえた。

 翅(はね)を人差し指と中指で挟んでつまむのがマナー。
 
 赤とんぼは、腹部が黄色から赤のような色に染まっていて、四枚目の羽には先端に茶色い印がついている。
 やはり、アキアカネのようだった。


 赤とんぼと一口に言っても、ナツアカネやアキアカネ、ノシメトンボ、マユタテアカネなど多くの種類がいる。赤とんぼの違いというのは曖昧で、ほとんどはアカネ科のトンボのことを指している。

 どの種類かが分かったところで、ノートにスケッチをする。

 翅の形。網目。目。腹部。それらを近くでしっかりと見て、詳細に描いていく。

 書き終わると、人差し指と中指の間を開き、アキアカネを放した。

 そのアキアカネは、4枚の羽を巧みに動かして、彼方へ身軽に飛んでいった。
 
 そのトンボの姿を見ていると、むこうからある昆虫が飛んできて、ひらりと私の手の上に止まった。

 白い翅に黒い斑点。春を象徴する昆虫。

 モンシロチョウ。

 黒の斑点が春型のものよりもだいぶ小さくなっていた。

 夏型のモンシロチョウ。
 
 そのチョウは、軽く握った拳の中指と薬指の方に足を置き、翅を閉じたり開いたりを繰り返している。

 モンシロチョウには、幸せや出会いと言った縁起のいい言葉がある。

 春の時期に現れるから。綺麗だから。幸せを象徴してくれてるように感じるのかな。

 私は、チョウが飛び立ってしまわないように、幸せが逃げてしまわないように、反対の手で優しくチョウを覆った。


 バサ。バサ。

 鳥の羽音が響く。

 新しい出会いを象徴するかのように、強い風が吹いた。


 振り返ると、中学生の女の子が立っていた。

 コンビニの近くでよく見かける、中学指定のリュックを背負って、上下のジャージを着ている。

 
 その子は、私の手に止まっていたモンシロチョウを見つめた。興味深そうに。

 「斑点が少ない 夏型 斑点は熱を吸収しやすいから それを防止する」

 小さなつぶやき。

 ハッと声を発し、その子が我に返った。

 目が合うと、その子は顔を赤くして、目線をそらした。

 
 息を一息吐いて、ゆっくりと息を吸い込む。

 心を落ち着かせられるように。

 「昆虫、好きなの?」
 
 少し声が震えた。

 だが、その子の耳には届いたみたいだ。

 目を大きく開け、視線が合う。

 私の目を見つめ、薄く頷いた。


 その子は、葉栗蕾と名乗った。
 
 コンビニの近くにある中学校に通ってる2年生。

 そこから流れるように会話が進んでいく。

 「モンシロチョウって、白くてきれいですよね。春の草花のタンポポと一緒とかだと結構映えますよね」

 「そうだね。綺麗だよね」

 「あ、アリだ」

 畑の中にいるアリを指さす。
 
 「私、アリが一番好きな昆虫なんだ」

 「そうなんですか。私もアリ好きです。でも、アリよりシロアリの方が私は好きかな」

 「そうなんだ。意外なところとかあって、面白いよね」


 シロアリは、とてもご長寿。アリの仲間ではなく、ゴキブリの仲間で、アリは天敵。

 六月に見かける羽アリは女王アリと思われるけど、本当は大体がシロアリ。

 コンクリートやプラスチックを食い荒らす害虫として知られているけど、セルロースという炭酸化物の分解をするといういい面もある。

 蕾ちゃんは、私の話す口が止まっても話し出すまで待ってくれた。

 大体、みんな厄介そうな顔をして、行ってしまうのに。

 だから、嬉しかった。自分のままで縮こまらずに入れるような気がして嬉しかった。

 「えっ、この時計合ってます?」

 蕾ちゃんが道端に立っている時計を見て、驚きの声を上げた。

 時計がもう、五時を回っている。

 乗るつもりだった電車の時間を過ぎている。

 でも、慌てる気持ちより嬉しさが勝った。

 私もこんな長い時間、人と話せるんだっていう嬉しさ。

 

 電車で高校生ぐらいの女の子が一対一で二時間くらいずっと喋っていたのを見たことがある。

 その時は、いったい何をそんな喋るネタがあるんだろうっていう思い。きっと、とてつもなく楽しいんだろうな。そう、羨ましく思っていた。

 だけど、私もこんな長い時間人と話すことができると分かって、嬉しくて、楽しかった。

 本当に、一時間以上話すだけですぎることがあるんだって、驚いた。

 一時間も話したはずなのに、点火されたイルミネーションのように次々と話したいことがあふれてくる。

 こんな感覚は初めてだ。

 すごく楽しくて、こんなにも楽しいことがあっていいのかってくらい楽しくて、嬉しくて。

 笑った。

 何がおかしいのか自分でもわからなかったけど物凄く楽しくて、嬉しくて、可笑しかった。

 蕾ちゃんもつられて笑う。

 「またね」

 「また、会おうね」


 



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