海に凪ぐ、君の名前
凪の海
沖の凪
「おい、凪希(なぎ)。さっき先生に、注意されてたな?」
チャイムが鳴ると同時に、後ろの席の岸辺 陽太が、俺の名前を呼び、肩を組むようにがっついてきた。
休み時間に入ると、教室の空気が一気にほどける。
椅子を引く音や、机を叩くように鞄を置く音、笑い声や誰かのスマホの通知音が重なり合い、ざわめきが波のように広がる。
「昨日、少し夜遅かったから眠くて、ついぼーっとしてた」
「そっか」
陽太は、俺の前の席が空いたのを見て、逆向きにまたがった。カラフルなペイントベルトがちらりと見える。
彼の動きに合わせて、金に近い茶色に染めた髪が揺れた。
「あ、勉強?真面目だな、テスト期間でもないのに」
「はは…そうかも」
なんと返せば良いのか分からなくて、口の端を引き上げて笑うふりをする。
「ねぇ、陽太。真面目って言い方、小馬鹿にしてるみたいで、なんか嫌」
「凪希くんは努力家なんだから、そんな言い方しないで!」
「そうだよ、一生懸命頑張ってるんだから、やめなよ」
ただ陽太と話していただけだったはずなのに、気付けば机の周りには女子が集まっている。
香水やシャンプーの甘い匂いが、教室の乾いた空気にじんわり溶け込む。
視線がいくつも刺さる。好奇心、期待、親しげな距離感。
そのどれもが、ほんの少しだけ表面を撫でるようで、奥までは届かないのが分かる。
「は?別に馬鹿になんてしてねーよ。女子って妄想はげしいよな。さっさと席戻れ、割って入ってくんな」
陽太がそんな女子たちに、めずらしくめんどくさそうに頬杖をついた。
彼の眉がわずかに寄るだけで、空気の温度が数度下がる。
頬杖をついた拍子に、耳元のリングピアスが光る。
「はぁ!?なにそれ!」
「そんな言い方なくない?」
陽太の態度に当然、女子たちは怒ったような声をあげた。
わざわざ割って入ったくせに、邪魔扱いされたら切れるのかよ。めんどくさいな。
(あー、これは…)
心の中のイライラを覆う、完璧に作った笑顔を貼り付けて、濁った感情を押し込めるように声を上げた。
「まぁまぁ!」
全部、もう癖みたいなものだ。
口角を上げる角度も、声の高さも、目尻の緩め方も。鏡を見なくても、今どんな顔をしているのか、手に取るようにわかる。
「陽太はただ褒めてくれただけっぽいし、もう勘弁してあげて。今の言い方も、女の子に話しかけられて照れちゃっただけだよ」
わざと明るい声で冗談めかす。しーっと人差し指を口に当て、いたずらをした時のように笑った。
「は!?照れてねーよ!」
「凪希くんおもしろい」
「陽太どんまーい。彼女出来たことないのばればれ」
笑い声が弾けて、さっきまでの刺々しさが解ける。
「うるせーな。ほら、散った散った」
そう言って、陽太は女子たちを追い返すことに成功した。
瞬間、まるで水中から顔を出したみたいに、呼吸がしやすくなる。
「なんなんだよ、あの女たち。休み時間の度に来るじゃん。今日は知らない子も居たし」
少し口調が強いけど、陽太は底なしに明るくて、すぐに場に馴染めてしまう。
彼の周りにはいつも人がいて、その会話の中心にいるのも彼だ。
彼は本当に、隠すことがない人間だと思う。嫌なものは嫌だと、そのまま顔にも態度にも出てしまう。
何でもかんでも思ったことを口にしてしまうところが悪い癖だけど、俺はそんなところも友達としても人間としても尊敬しているところだ。
「名前くらい教えてほしいよな」
反射的に、思ってもないことが口から出た。
いや、思っていることよりも柔らかすぎる優しい言葉が出たんだ。
舌の上を滑る言葉が、どこか他人事のように感じる。本音は、もっと棘だらけなのに。
それを口に出さないことが、もう当たり前になりすぎていた。そこに、違和感さえ感じないほどに。
「ほんとにな!…凪希、それだけ顔が良いのも考えものだよな」
陽太は背もたれに頬杖をついて、俺の表面を撫でるように見た。
(この目の動き…好きじゃない)
「僕と話したくて集まってるわけじゃないと思うけどな。陽太がばかでおもろいからいじりたくなるんじゃないの?」
ふいっと目を逸らす。
「誰がばかだ」
陽太の鋭いツッコミに思わず声を出して笑ってしまう。
陽太と話すのは楽しい。それは本当だ。
なのに、なんだか楽しくない。楽しいのは俺なのに、俺じゃない。
なんだろう、分からない。
でも、きっと俺は、今も完璧な笑顔なんだろうということだけは分かる。
隙がなくて、綺麗で美しい造形品のような。
中性的な顔立ち。整いすぎて、どこか作り物めいた均衡。黒の深い、艶のある髪。目の下と、首筋のホクロ。自分の事を『僕』と呼ぶ、内気さ。
小さい頃、親戚のおばさんから「女の子じゃないのがもったいない」と言われた。
年齢の割に高い身長。肩幅の広い後ろ姿。大人びた雰囲気。低めの声。口調だって本当は、普通の男のように乱暴に話したい。
自分でもあべこべだと思う。ごちゃごちゃで、曖昧だ。
こんな中途半端な容姿を、周りはかっこいいだとかイケメンだとか言って騒ぎ立てる。
かっこいいと言われて、嫌な気はしない。
見た目に気を使うのは、もはや当たり前とまで思うほどに気にしている。
だけど、寄ってくる女は、みんな「顔」しか見てない。
目の動きを見ればわかる。
表面を撫でるだけで、触れようとしない。
俺の見た目が好きで、俺には興味がない。
アクセサリーかなんかだと勘違いして、勝手に満足して、勝手に去っていく。
(つまんな…)
予鈴がなって、人でごった返していて教室も、整理整頓された本棚みたいに、綺麗に揃えられた。
チャイムが鳴ると同時に、後ろの席の岸辺 陽太が、俺の名前を呼び、肩を組むようにがっついてきた。
休み時間に入ると、教室の空気が一気にほどける。
椅子を引く音や、机を叩くように鞄を置く音、笑い声や誰かのスマホの通知音が重なり合い、ざわめきが波のように広がる。
「昨日、少し夜遅かったから眠くて、ついぼーっとしてた」
「そっか」
陽太は、俺の前の席が空いたのを見て、逆向きにまたがった。カラフルなペイントベルトがちらりと見える。
彼の動きに合わせて、金に近い茶色に染めた髪が揺れた。
「あ、勉強?真面目だな、テスト期間でもないのに」
「はは…そうかも」
なんと返せば良いのか分からなくて、口の端を引き上げて笑うふりをする。
「ねぇ、陽太。真面目って言い方、小馬鹿にしてるみたいで、なんか嫌」
「凪希くんは努力家なんだから、そんな言い方しないで!」
「そうだよ、一生懸命頑張ってるんだから、やめなよ」
ただ陽太と話していただけだったはずなのに、気付けば机の周りには女子が集まっている。
香水やシャンプーの甘い匂いが、教室の乾いた空気にじんわり溶け込む。
視線がいくつも刺さる。好奇心、期待、親しげな距離感。
そのどれもが、ほんの少しだけ表面を撫でるようで、奥までは届かないのが分かる。
「は?別に馬鹿になんてしてねーよ。女子って妄想はげしいよな。さっさと席戻れ、割って入ってくんな」
陽太がそんな女子たちに、めずらしくめんどくさそうに頬杖をついた。
彼の眉がわずかに寄るだけで、空気の温度が数度下がる。
頬杖をついた拍子に、耳元のリングピアスが光る。
「はぁ!?なにそれ!」
「そんな言い方なくない?」
陽太の態度に当然、女子たちは怒ったような声をあげた。
わざわざ割って入ったくせに、邪魔扱いされたら切れるのかよ。めんどくさいな。
(あー、これは…)
心の中のイライラを覆う、完璧に作った笑顔を貼り付けて、濁った感情を押し込めるように声を上げた。
「まぁまぁ!」
全部、もう癖みたいなものだ。
口角を上げる角度も、声の高さも、目尻の緩め方も。鏡を見なくても、今どんな顔をしているのか、手に取るようにわかる。
「陽太はただ褒めてくれただけっぽいし、もう勘弁してあげて。今の言い方も、女の子に話しかけられて照れちゃっただけだよ」
わざと明るい声で冗談めかす。しーっと人差し指を口に当て、いたずらをした時のように笑った。
「は!?照れてねーよ!」
「凪希くんおもしろい」
「陽太どんまーい。彼女出来たことないのばればれ」
笑い声が弾けて、さっきまでの刺々しさが解ける。
「うるせーな。ほら、散った散った」
そう言って、陽太は女子たちを追い返すことに成功した。
瞬間、まるで水中から顔を出したみたいに、呼吸がしやすくなる。
「なんなんだよ、あの女たち。休み時間の度に来るじゃん。今日は知らない子も居たし」
少し口調が強いけど、陽太は底なしに明るくて、すぐに場に馴染めてしまう。
彼の周りにはいつも人がいて、その会話の中心にいるのも彼だ。
彼は本当に、隠すことがない人間だと思う。嫌なものは嫌だと、そのまま顔にも態度にも出てしまう。
何でもかんでも思ったことを口にしてしまうところが悪い癖だけど、俺はそんなところも友達としても人間としても尊敬しているところだ。
「名前くらい教えてほしいよな」
反射的に、思ってもないことが口から出た。
いや、思っていることよりも柔らかすぎる優しい言葉が出たんだ。
舌の上を滑る言葉が、どこか他人事のように感じる。本音は、もっと棘だらけなのに。
それを口に出さないことが、もう当たり前になりすぎていた。そこに、違和感さえ感じないほどに。
「ほんとにな!…凪希、それだけ顔が良いのも考えものだよな」
陽太は背もたれに頬杖をついて、俺の表面を撫でるように見た。
(この目の動き…好きじゃない)
「僕と話したくて集まってるわけじゃないと思うけどな。陽太がばかでおもろいからいじりたくなるんじゃないの?」
ふいっと目を逸らす。
「誰がばかだ」
陽太の鋭いツッコミに思わず声を出して笑ってしまう。
陽太と話すのは楽しい。それは本当だ。
なのに、なんだか楽しくない。楽しいのは俺なのに、俺じゃない。
なんだろう、分からない。
でも、きっと俺は、今も完璧な笑顔なんだろうということだけは分かる。
隙がなくて、綺麗で美しい造形品のような。
中性的な顔立ち。整いすぎて、どこか作り物めいた均衡。黒の深い、艶のある髪。目の下と、首筋のホクロ。自分の事を『僕』と呼ぶ、内気さ。
小さい頃、親戚のおばさんから「女の子じゃないのがもったいない」と言われた。
年齢の割に高い身長。肩幅の広い後ろ姿。大人びた雰囲気。低めの声。口調だって本当は、普通の男のように乱暴に話したい。
自分でもあべこべだと思う。ごちゃごちゃで、曖昧だ。
こんな中途半端な容姿を、周りはかっこいいだとかイケメンだとか言って騒ぎ立てる。
かっこいいと言われて、嫌な気はしない。
見た目に気を使うのは、もはや当たり前とまで思うほどに気にしている。
だけど、寄ってくる女は、みんな「顔」しか見てない。
目の動きを見ればわかる。
表面を撫でるだけで、触れようとしない。
俺の見た目が好きで、俺には興味がない。
アクセサリーかなんかだと勘違いして、勝手に満足して、勝手に去っていく。
(つまんな…)
予鈴がなって、人でごった返していて教室も、整理整頓された本棚みたいに、綺麗に揃えられた。