海に凪ぐ、君の名前
スタジオから少し離れた人気のない廊下。そこまで行けば閑散としてやけに静かだった。

父さんはジャケットを脱ぎ、腕にかける。ネクタイを緩める仕草が少し荒い。

「あの江ノ島の記事は俺も確認した」

視線は俺を真っ直ぐに見る。逃げ場がないみたいだ。

「あの“男”はお前だな」

喉が詰まる。

「はい」

やっと絞り出す。声が掠れる。

「どういうつもりだ」

空気が凍てつくように冷めた声に背筋が伸びる。目を合わせられない。

「俺は、彼女を…想良を守りたかっただけで…!」

父さんの眉が、わずかに動く。

「守る?こうして彼女だけでなく、沖野にも迷惑をかけているではないか」

人のいない廊下には低く響く。

こめかみに汗が伝う。握った拳には汗が滲む。

そんな俺をみて、父さんはわざと大きなため息を着いた。

「凪希」

びくりと肩が揺れる。

「守るという言葉を簡単に口にするな」

腹の底をうごめいていた何かが、少しずつ壊れる音がした。

「…俺だって、軽い言葉じゃないことくらい分かってるよ。でも…そんな言葉を使ってでも、俺は想良の隣にいたいんだよ。その気持ちは、絶対に、簡単なんかじゃない!」

正面から父さんを見た。

(ああ、何年ぶりだろう、父さんの顔をまともに見たのは。こんなに白髪生えてたか?)

そんな間抜けなことを考えてしまう。

「お前は沖野としての自覚がないのか?」

静かな問いに、気を引き締められる。

社長として、親として聞いているんだ。

「もちろん、社長になるべく頑張りたいと思ってます。でも、…俺は、敷かれたレールにただ乗るだけじゃ嫌だ!自分の意思で家を継ぎたいんだ!」

真っ直ぐに見据えた。

父さんも、俺を見る。そして小さく息を吐く。ああ、怒られる、これは。

父さんや先代が当たり前のように守った物を壊すと言ったから、そりゃいい気はしないだろう。

ぐっと身構える。

だけど、「そうか」と小さく言った。

低い声が、静かな廊下に落ちる。

「お前は本当に、凪未(なみ)とそっくりだ」

凪未って、母さん?そっくり?

なんで急に。どういうことだ?

「そっくりって、どういう、」

「…いや、すまない。なんでもない」

いや、いやいや。

何でもなくないだろうが。母さん?なんで急に母さんなんだよ。

「彼女の件だが。彼女はもう、うちの名前を背負う女優だ。過度な誹謗中傷には法的に対処をする。心配するなよ。彼女にも、そう伝えてきてくれ」

父さんは淡々と話すと、くるりと背を向け、来た道を戻って行った。

もう、なんなんだよ。

頭ん中、ごちゃごちゃだ。

想良の炎上のこと、声のこと、不自然な態度のこと。

父さんの仕事のこと、母さんのこと。

もう、考えることが嫌になる。

なんで、全部、俺の知らない所で話が進むんだよ。俺だって、彼女を心配しているし、沖野家の一員なのに。

(俺って、なんで、ここにいるんだろう)

俺抜きで完結する物語なら、最初から舞台にあげないでくれ。

舞台にあげるなら、せめて、台詞をくれ。
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