『天空の美容室』 ~あなたと出会って人生が変わった~
(4)
「わかりました。さっそく募集を始めます」
東京美容支援開発の担当者は、独自システムによって選別しているSクラスの美容師に声掛けをするという。
その説明に驚いた。
東京都内の登録美容師をAIを活用してランク付けしているというのだ。
現在の勤務店のレベル、美容師としての経歴、自己申告による技術水準や考え方や趣味などを基に、S、A、B、Cの4クラスに分類しているという。
「もちろん、最終的には面接をして、技術力と人柄を見ていただくことになりますが、質の高い候補者をご紹介できると思います」
自信満々の声で言い切った。
過去の成功体験に裏打ちされているのは明白なように思われた。
20人の候補者が出そろった段階で再度打ち合わせをすることを約束して、会社を辞した。
*
「さあ、次は店長だね」
「そうですね」
頷いたものの、言葉とは裏腹に不安そうな表情を浮かべていた。
それは、引き抜きという形になることを心配しているためだと思ったが、こればかりは本人に会って確かめなければわからない。自らの意志で動いてくれるかもしれないのだ。
「とにかく、会ってみようよ」
「はい」
返ってきた声は小さかったが、一歩踏み出すことに同意してくれたのは間違いなかった。
わたしは次のステップに意識を集中することにした。
「さて、どういうふうに切り出していくか……」
単刀直入型でいくのか、それとも、徐々に本題に持っていくやり方でいくのか、店長の顔を思い浮かべながら、ああでもない、こうでもない、と思いを巡らせた。
*
「定休日なのに、すみません」
吉祥寺駅前の喫茶店で落ち合った店長に、わたしは頭を下げた。
「2人揃ってなんだい? なんか怖いな」
店長は警戒するようにわたしたちを見た。
「お願いがあります」
わたしは単刀直入に切り出した。
「特別な美容室の開業準備をしています。共同責任者になっていただけませんでしょうか」
「はっ?」
口を開けたまま、一瞬、固まったような感じになったが、すぐに笑いだした。
「君たちが美容室を開業するの? 嘘だろう。冗談はほどほどにしてよ」
また笑った。
しかし、わたしも夢丘も笑わなかった。
真剣な表情で店長を直視し続けた。
「えっ、本当なの?」
わたしは大きく頷いた。
そして、六本木の日本一高いビルの最上階で特別な美容室を開業することを説明した。
「六本木?」
「はい」
「日本一?」
「はい」
「最上階?」
「はい」
「突別な美容室?」
「はい」
「個室?」
「はい」
「5万円?」
「はい」
「俺?」
「はい」
「ふ~ん」
店長は信じられないといった表情でゆらゆらと首を振った。
それでもわたしは話を進めた。
「トップクラスの美容師の採用活動も始めています」
今度は返事すらなかった。
あり得ない話に声が出ないのか、それとも、化かされているように感じているのか、どちらにしても、どう対応していいかわからないような感じに見えた。
「個人事業主として業務契約を結ばせていただくことになりますが、年収は1,000万円とお考えください」
すると彼は目を見開いて、右手の人差し指を一本立てた。
頷きを返すと、「ふ~ん」と息を吐くように言って、夢丘の顔を見た。
夢丘は頷いて、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
*
それからが長かった。
1週間後に返事をもらうことにして店長と別れたが、受諾の可能性が不明な中で過ごす日々は不安の方が大きかった。
例え優秀な美容師が10人採用できたとしても、マネジメント経験のない夢丘が彼らを取り仕切るのは無理がある。店長の助けがどうしても必要なのだ。
「頼みます」
店長が勤める美容室の方角に向かって手を合わせて、日に何度もテレパシーを送った。
*
眠りの浅い日が続いて、やっと1週間が経った。
起きて、カーテンを開けると、窓に雨粒が当たっていた。
空はどんよりと曇り、明るさは晴れた日の10%もないように感じた。
嫌な予感がした。
縁起でもないので、すぐに打ち消したが、その度に予感が追いかけてきた。
わたしは無理矢理、明るい音楽をかけて、心の中を空っぽにした。
出かける準備をしている時、スマホが鳴った。
店長からだった。
嫌な予感が当たったと思った。
直前の電話に良かった試しはない。
それでも、出ないわけにはいかず、通話をONにした。
案の定だった。
今日は会えないという。
まだ気持ちを決めきれないという。
安定した職場を捨てて新たな挑戦をすることに不安があるし、それに、奥さんの賛成も得られていないので、話し合いの時間がもっと必要だという。
「わかりました」
あと1週間欲しいということだったので、喉仏まで出かかっていた「良い結果をお待ちしています」という声を飲み込んで、通話をOFFにした。
*
「奥さんが反対されているのでしょうか?」
店長と会う予定だった吉祥寺駅前の喫茶店で、夢丘が不安そうな声を出した。
「うん、そうかもしれないね。小さなお子さんがいらっしゃるみたいだから、安定した職場を捨てるのに抵抗があるのかもしれないね」
年収1,000万円を提示したが、個人事業主であり業務委託契約ということを考えると、奥さんが不安に感じるのは当たり前のように思えた。これから教育費にお金がかかっていくだろうし、家の住み替えや購入も検討されるとなると、将来のことが計算できる安定した待遇に勝るものは無いのだ。
「店長がその気になってくれたとしても、奥さんの同意を得るのは簡単ではないかもしれないね」
「そうですよね~、ふ~」
左手で頬杖をついた夢丘の語尾がため息のようになった。
それはそうだ、美容師の候補者選定が順調に進んでいるという報告を受けているのだ。どうにもならないもどかしさを隠すことはできない。
わたしも同じように息を吐きたかった。でも、それをするとどんどん深みに入っていくような気がしたので、すんでのところで止めた。
「とにかく、1週間後に良い返事が来ることを信じて待っていようよ」
無理矢理、笑みを浮かべようとしたが、うまくできなかった。
それを見て夢丘も口角を上げたが、目は笑っていなかった。
これからも眠りの浅い夜が続くのかと思うと、気が重くなった。
*
1週間が経った。
またも天気は良くなかった。
それでも、厚い雲が太陽を遮ってはいたが、雨粒は落ちていなかった。
「雨、のち、くもり、のち、晴れ」
店長と会う時間には晴れているように空に願掛けをして、パンをトースターに入れた。
*
出かける時間になっても電話はかかってこなかった。
今日はキャンセルはないようだ。
空はまだ曇っていたが、「よし!」と気合を入れて、心の中の暗雲を吹き飛ばした。
*
喫茶店には待ち合わせの20分前に着いた。
夢丘は席に座っていた。
周りに人のいない一番奥のテーブルだった。
わたしは胸の前で手を上げてから近づき、彼女の横に座った。
*
店長が顔を見せたのは、ちょうど5分前だった。
「待たせた?」
「いえ、ちょっと前に着いたばかりです」
「そう」
それだけ言って座ったが、その表情から読み取れるものは何もなかった。
コーヒーが運ばれてくるまでは3人とも無言だった。
こちらから話を向けるわけにもいかないし、店長も切り出すタイミングを計っているのかも知れない。水を何度も飲んで、視線は入口の方に向けていた。
店長がコーヒーに砂糖を入れた。ブラウンシュガーを一欠片だったが、前回はブラックで飲んでいたので、もしかしたら彼の脳が甘さを要求しているのかもしれない。
ということは、スムーズな話ではないということになる。
嫌な予感がしたが、それをコーヒーで胃の中に押し込んで、彼の口が開くのを待った。
東京美容支援開発の担当者は、独自システムによって選別しているSクラスの美容師に声掛けをするという。
その説明に驚いた。
東京都内の登録美容師をAIを活用してランク付けしているというのだ。
現在の勤務店のレベル、美容師としての経歴、自己申告による技術水準や考え方や趣味などを基に、S、A、B、Cの4クラスに分類しているという。
「もちろん、最終的には面接をして、技術力と人柄を見ていただくことになりますが、質の高い候補者をご紹介できると思います」
自信満々の声で言い切った。
過去の成功体験に裏打ちされているのは明白なように思われた。
20人の候補者が出そろった段階で再度打ち合わせをすることを約束して、会社を辞した。
*
「さあ、次は店長だね」
「そうですね」
頷いたものの、言葉とは裏腹に不安そうな表情を浮かべていた。
それは、引き抜きという形になることを心配しているためだと思ったが、こればかりは本人に会って確かめなければわからない。自らの意志で動いてくれるかもしれないのだ。
「とにかく、会ってみようよ」
「はい」
返ってきた声は小さかったが、一歩踏み出すことに同意してくれたのは間違いなかった。
わたしは次のステップに意識を集中することにした。
「さて、どういうふうに切り出していくか……」
単刀直入型でいくのか、それとも、徐々に本題に持っていくやり方でいくのか、店長の顔を思い浮かべながら、ああでもない、こうでもない、と思いを巡らせた。
*
「定休日なのに、すみません」
吉祥寺駅前の喫茶店で落ち合った店長に、わたしは頭を下げた。
「2人揃ってなんだい? なんか怖いな」
店長は警戒するようにわたしたちを見た。
「お願いがあります」
わたしは単刀直入に切り出した。
「特別な美容室の開業準備をしています。共同責任者になっていただけませんでしょうか」
「はっ?」
口を開けたまま、一瞬、固まったような感じになったが、すぐに笑いだした。
「君たちが美容室を開業するの? 嘘だろう。冗談はほどほどにしてよ」
また笑った。
しかし、わたしも夢丘も笑わなかった。
真剣な表情で店長を直視し続けた。
「えっ、本当なの?」
わたしは大きく頷いた。
そして、六本木の日本一高いビルの最上階で特別な美容室を開業することを説明した。
「六本木?」
「はい」
「日本一?」
「はい」
「最上階?」
「はい」
「突別な美容室?」
「はい」
「個室?」
「はい」
「5万円?」
「はい」
「俺?」
「はい」
「ふ~ん」
店長は信じられないといった表情でゆらゆらと首を振った。
それでもわたしは話を進めた。
「トップクラスの美容師の採用活動も始めています」
今度は返事すらなかった。
あり得ない話に声が出ないのか、それとも、化かされているように感じているのか、どちらにしても、どう対応していいかわからないような感じに見えた。
「個人事業主として業務契約を結ばせていただくことになりますが、年収は1,000万円とお考えください」
すると彼は目を見開いて、右手の人差し指を一本立てた。
頷きを返すと、「ふ~ん」と息を吐くように言って、夢丘の顔を見た。
夢丘は頷いて、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
*
それからが長かった。
1週間後に返事をもらうことにして店長と別れたが、受諾の可能性が不明な中で過ごす日々は不安の方が大きかった。
例え優秀な美容師が10人採用できたとしても、マネジメント経験のない夢丘が彼らを取り仕切るのは無理がある。店長の助けがどうしても必要なのだ。
「頼みます」
店長が勤める美容室の方角に向かって手を合わせて、日に何度もテレパシーを送った。
*
眠りの浅い日が続いて、やっと1週間が経った。
起きて、カーテンを開けると、窓に雨粒が当たっていた。
空はどんよりと曇り、明るさは晴れた日の10%もないように感じた。
嫌な予感がした。
縁起でもないので、すぐに打ち消したが、その度に予感が追いかけてきた。
わたしは無理矢理、明るい音楽をかけて、心の中を空っぽにした。
出かける準備をしている時、スマホが鳴った。
店長からだった。
嫌な予感が当たったと思った。
直前の電話に良かった試しはない。
それでも、出ないわけにはいかず、通話をONにした。
案の定だった。
今日は会えないという。
まだ気持ちを決めきれないという。
安定した職場を捨てて新たな挑戦をすることに不安があるし、それに、奥さんの賛成も得られていないので、話し合いの時間がもっと必要だという。
「わかりました」
あと1週間欲しいということだったので、喉仏まで出かかっていた「良い結果をお待ちしています」という声を飲み込んで、通話をOFFにした。
*
「奥さんが反対されているのでしょうか?」
店長と会う予定だった吉祥寺駅前の喫茶店で、夢丘が不安そうな声を出した。
「うん、そうかもしれないね。小さなお子さんがいらっしゃるみたいだから、安定した職場を捨てるのに抵抗があるのかもしれないね」
年収1,000万円を提示したが、個人事業主であり業務委託契約ということを考えると、奥さんが不安に感じるのは当たり前のように思えた。これから教育費にお金がかかっていくだろうし、家の住み替えや購入も検討されるとなると、将来のことが計算できる安定した待遇に勝るものは無いのだ。
「店長がその気になってくれたとしても、奥さんの同意を得るのは簡単ではないかもしれないね」
「そうですよね~、ふ~」
左手で頬杖をついた夢丘の語尾がため息のようになった。
それはそうだ、美容師の候補者選定が順調に進んでいるという報告を受けているのだ。どうにもならないもどかしさを隠すことはできない。
わたしも同じように息を吐きたかった。でも、それをするとどんどん深みに入っていくような気がしたので、すんでのところで止めた。
「とにかく、1週間後に良い返事が来ることを信じて待っていようよ」
無理矢理、笑みを浮かべようとしたが、うまくできなかった。
それを見て夢丘も口角を上げたが、目は笑っていなかった。
これからも眠りの浅い夜が続くのかと思うと、気が重くなった。
*
1週間が経った。
またも天気は良くなかった。
それでも、厚い雲が太陽を遮ってはいたが、雨粒は落ちていなかった。
「雨、のち、くもり、のち、晴れ」
店長と会う時間には晴れているように空に願掛けをして、パンをトースターに入れた。
*
出かける時間になっても電話はかかってこなかった。
今日はキャンセルはないようだ。
空はまだ曇っていたが、「よし!」と気合を入れて、心の中の暗雲を吹き飛ばした。
*
喫茶店には待ち合わせの20分前に着いた。
夢丘は席に座っていた。
周りに人のいない一番奥のテーブルだった。
わたしは胸の前で手を上げてから近づき、彼女の横に座った。
*
店長が顔を見せたのは、ちょうど5分前だった。
「待たせた?」
「いえ、ちょっと前に着いたばかりです」
「そう」
それだけ言って座ったが、その表情から読み取れるものは何もなかった。
コーヒーが運ばれてくるまでは3人とも無言だった。
こちらから話を向けるわけにもいかないし、店長も切り出すタイミングを計っているのかも知れない。水を何度も飲んで、視線は入口の方に向けていた。
店長がコーヒーに砂糖を入れた。ブラウンシュガーを一欠片だったが、前回はブラックで飲んでいたので、もしかしたら彼の脳が甘さを要求しているのかもしれない。
ということは、スムーズな話ではないということになる。
嫌な予感がしたが、それをコーヒーで胃の中に押し込んで、彼の口が開くのを待った。