二人で恋を始めませんか?
 とにかく事情を話そうと、二人で駅前のコーヒーショップに入った。ガヤガヤと賑わう店内のテーブルに向かい合って座る。しばしの沈黙の後、茉莉花は思い切って顔を上げた。
「あの、部長は全てご存じだったのでしょうか?」
「いや、その……。全てかどうかは分からない。知っていたのは、君には恋人がいて、誕生日の今日、水族館でデートするということだけだ。それより、こんなところにいていいのか? 彼に連絡は取ったの?」
 茉莉花は小さく息をついてから、真っ直ぐに優樹と視線を合わせる。
「部長、私には恋人はいません」
「えっ、そんなはずは……」
「本当です」
「じゃあ、あのメモ帳に書かれていたのは誰のこと? 身長180cmで30歳の、黒髪で、名前は……」
「優くん、ですか?」
「そ、そう」
 やっぱり中を見られたのかと、茉莉花は恥ずかしさに身を縮こめた。だが、ここまで来たら全て話すしかない。茉莉花は覚悟を決めて、本当のことを打ち明けた。
「えっ、架空の人物? じゃあ、これから水族館にデートに行くって話も?」
「現実の話ではありません」
「そう、だったのか……」
 気が抜けたように呟く優樹に、茉莉花は頭を下げる。
「すみません、部長を振り回すようなことをしてしまって」
「いや、いいんだ。私が勝手に思い込んだんだから。じゃあ今日が君の誕生日だというのは?」
「それは事実です。でもメモ帳に書いてあったことは、お恥ずかしい話ですが、全て私の妄想です」
「そうなんだ。私は最初のページしか目にしていないから、どんな内容かは知らないけど」
 えっ!と茉莉花は顔を上げた。
「部長、メモ帳の内容はご存じなかったんですか?」
「ああ、見ていない」
「そうだったんですね。よかった」
 思わず笑みを浮かべると、優樹が怪訝そうにする。
「なんだかよく分からないけど、それを心配してたのか?」
「はい。少女漫画やドラマみたいな内容なので、恥ずかしくて」
「そうか。でも、そこまでして彼がいるフリをしたのは、どうして?」
「それは、その……」
 小澤課長への片思いをごまかす為、とはさすがに言えない。
「周りはみんな彼氏がいるので羨ましくて、つい嘘をついてしまったんです。そしたら、引くに引けなくなってしまって。質問にスラスラ答えられるようにと、思いついたらメモするようになりました。話した内容が矛盾しないように、備忘録としても」
「なるほど。女の子は色々と大変だな」
「すみません、部長にまでご迷惑をおかけして」
「いや、気にしなくていい。それより、このあとの予定は? 誕生日なんだから、何かあるんだろう? 私のことはいいから、早く行きなさい」
「それが、本当に何もないんです。私もこれから会社に戻りますね」
 そう言ってコーヒーカップに口をつけた時だった。いや、と優樹が小さく呟く。
「部長、どうかされましたか?」
「やっぱり二人とも直帰にしよう。小澤にメッセージを送っておく」
 きっぱりとそう言う優樹に、茉莉花は戸惑いながら返事をする。
「はい、分かりました」
「じゃあそろそろ行こう」
「えっと、どこへ?」
「水族館」
「……は?」
 茉莉花は再び目をぱちくりさせた。
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