荒廃した世界で、君と非道を歩む
 トクン、トクン、トクン。
 誰かの心臓が脈打つ音が聞こえる。一定の速度、一定の間隔、一定の音量で聞こえる心音は何とも心地が良い。
 もっとよく聞こうと耳を押し付けると、骨の硬い感触が耳から頬に掛けて感じた。少し痛いけれど、その痛みが不快ではないのは相手が運命の人だからだろうか。

 折角、志筑がここにいると言ってくれたんだ、今は静かに眠ろう。それから志筑と一緒に明日を迎えよう。

 志筑の心音に意識を向けていると、意識はまどろみの中に落ちていく。視界は闇に染まっていながらも身体を包むのはこれまでに感じたことのない心地良さであった。

『やめろ! やめてくれ!』

 それまで心地の良い気分に包まれていたのに、何処からともなく聞こえてきた叫び声によってその気分は崩される。
 叫んでいるのは男性のようだ。耳が痛くなるほどの荒んだ叫び声は、少し遠くの方から聞こえている。

『誰だお前は! それを下ろせ、下ろせえええ!』

 痛い、痛い、痛い、痛い。
 男の声に呼応するように下腹部が激しく痛みを発する。ナイフに刺されたものとも、殴られたものとも違う痛み。
 不快だ。誰だか分からない男の声を聞いていると身体中が不快感に襲われる。早く消えてくれないか、知らない他人の声など聞いていたくはない。
 いや、待て。この声は、聞いたことがある。それも随分と身近な人物の声に似ている。
 大嫌いで、何度も死んでほしいと願って、そして最後には無惨に殺された奴。

『これをやりますから、どうか今回はお引き取りを』

 あの時連れて行かれたのは、ビビットピンクのライトが目に痛いホテルだった。
 この声は、あの頃の記憶だ。これまでずっと忘れていたのに、どうして今になって夢に見ているのだろう。
 これ以上見たくないと思うのに夢は覚めてくれなくて。視界は暗闇に包まれていたはずなのに、男の声を認識した瞬間景色が広がる。
 一体何歳の頃のことだろうか。たしか、十四才くらいだったか。
 その時、ほとんど家に帰ってこない父親が珍しく帰ってきて、自分を見るなり真っ直ぐと近寄ってきた。
 まともな食事など摂ったことがなく、ガリガリに痩せ細った自分では父親に手を引かれても抵抗できない。引き摺られるようにして家を出てからのことは覚えていない。
 気がついた頃には、スーツを着た男と派手なミニ丈のドレスを着た奇抜な女の二人組が入り乱れる街にいた。
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