荒廃した世界で、君と非道を歩む
第三章 通過点

古の記憶

 すうすうと小さく寝息を立てている様子を見ていると、何だか子供を見ているようだ。
 普段の荒れた様子とは裏腹に、今の志筑は大人しくて可愛らしくすら見える。
 たった一人、この世界にいる人間の中で蘭だけがこの男の寝顔を見ていた。それが蘭に背徳感を与え、悪夢を見たことすら忘れさせる。

「……起きてたのか」
「今起きたとこ」

 あまりにも熱心に視線を送っていたものだから、目を開けた志筑は表情を微かに歪める。
 そんな寝起きで不機嫌そうな志筑とは違い、蘭はただ喜びで胸を満たしていた。

「随分と魘されてたな」
「え……。そうだった?」
「寝惚けてたからあんまり覚えてねぇけど。何だっけか、『助けて』とか言ってたな」

 志筑は蘭の過去を知らない。自分がどれだけ汚れていて、社会不適合者であるのかなど知る由もないのだ。
 けれど、もしその夢が正しく蘭の過去を表していたとすれば。
 蘭と志筑は過去に一度出会っていることになる。そして、志筑は蘭の父親を殺している。

「そう、かも。怖い夢を見たんだ」
「怖い夢、ねぇ」

 そう言いながら蘭の髪を撫でる志筑の表情は随分と優しい。勘違いしそうなほど、その表情は自分を愛おしげに見ているようで。
 そして懐かしいと感じた。志筑が見せたその優しさを帯びた表情を何処かで見たことがある気がするのだ。

『お前のことは、俺が守ってやる』

 この言葉は誰のものだったか。ずっとずっと昔、まだ社会のことなど何も知らない純粋無垢な子供の頃だっただろうか。
 その人は、幼い自分よりも三つほど年上だった気がする。毎日毎日顔を見せるたびに新しい傷を作る暴れん坊。そう、志筑と同じ傷が顔にあった。

「お兄ちゃん、なんでしょ」
「は………?」

 琥珀色の瞳を見つめながらそう呟くと、それまで寝起きでぼんやりと曇っていた目が突然見開かれる。
 信じられないものを見るような、この状況を理解できていないような、呆気に取られた表情である。

「私、思い出したよ。今まで忘れていたこと、全部思い出した」

 自分の身体を抱いていた志筑の左手を退かし、布団から抜け出す。
 半身だけ起こし呆けた表情で蘭を見る志筑の前に正座し、蘭は真っ直ぐと志筑の瞳を見つめた。

 あの時、暗闇に包まれた路地裏に二つの小さな三日月があった。

「私を父親から救い出してくれたのは、希望を見せてくれたのは、私を助けてくれたのは志筑だったんだね」
「な……何を………」
「この逃避行を始める前、志筑に出会った時に私思ったんだ。ああ、この人は運命の人だ、この人なら私の願いを叶えてくれるって」

 普通であれば、目の前で殺人事件が起きて正気でいられるはずなどなかった。
 それでも正気でいられたのは、目の前の殺人鬼に縋り付いたのは、自分の運命の人だったからだ。
 過去に一度出会い、そしてもう一度出会う運命を辿っていた者同士だったからなのだ。
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