恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第三話
「おはようございます」
「おはよう!」
「……海原くん、おはよう」
ローカル線の車内に入り、今朝も高尾響子と三藤月子のふたりに挨拶すると。
僕はいつもの、『指定席』に腰掛ける。
進行方向に向けて座席の向きを変えられる、転換式クロスシートは。
もちろん今朝も、座席が向かい合わせになっていて。
四人がけとなったボックス席は次の駅で、高嶺由衣を迎えると。
乗り換え駅までの三十分間が、スタートする。
「明日で、この列車ともお別れね……」
長いトンネルを抜けると、高尾先生がやや感慨深い声になる。
「先生とは、一年以上隣同士でしたよね」
三藤先輩にも、思うところがあるのだろう。
先生が、やさしい笑みを浮かべながら。先輩の黒くて長い髪を、そっと撫でる。
「まぁでも、学校にいったらまた会えるでしょ!」
確かに……。
現在、この先の乗り換え駅にある『坂の上』の高校で教えている高尾先生は。
二学期から、僕たちが学ぶ『丘の上』の学舎にやってくる。
いまこうして過ごす、毎朝の三十分間はなくなるけれど。
秋からは、英語教師兼副顧問として。いままで以上に、同じ時間を過ごすことになるのだろう。
「そういえば先生の引越し先は、学校に近いんですか?」
「うわぁ……。アンタさぁ〜。女の人の家とか聞いて、どうする気なの?」
「由衣さん。海原くんに、そこまで深い意図があるとは思えないのだけれど?」
「まぁ、確かに。なにも考えてないだけかもしれませんね」
「でも、もしかして本当は……」
せっかく、三藤先輩がフォローしてくれたのに。
当の高尾先生が、路線変更を許さない。
「由衣ちゃんがいうように、なにか変なこと考えてたとか?」
……あぁ、このイタズラっぽい表情が。
藤峰佳織、うちの顧問にそっくりだ。
ふたりは、僕たち『坂の上』の元・同級生、要するに僕たちの『先輩』で。
わざわざ同じ大学に一緒に進学し、いまも大の仲良しだ。
あの藤峰先生の親友だけあって、やること考えること。
あと僕の扱いがどうも……。
「それはそうと。赤根玲香さんは、最近はいかがお過ごしですか?」
ときにやさしい三藤先輩が、サラリと話題を変えてくれた。
僕の小学生時代の遊び友達の、玲香ちゃん。
いまは高尾先生と同じ『坂の上』の生徒だけれど。
こちらも二学期からは、『丘の上』に転入してきて三藤先輩たちと同級生になる。
玲香ちゃんと僕の家は同じ駅が最寄りで、これからは高尾先生の代わりに。
『毎朝』一緒に、通学することになる上。
部活まで同じになるのだけれど……。
それでも玲香ちゃんと、相変わらず他人行儀なのが。
三藤先輩らしいよなぁ……。
「元気にしてるわよ。もしかして早く会いたいとか?」
「そんなことはありません」
即答の三藤先輩に、高尾先生が思わず笑い出す。
「海原君は、苦労しそうだよねぇ〜」
笑顔で、僕に話しを振らないでくださいよ。
先輩の目が、そんなことはないといえと圧力をかけてくる。
高嶺が、あきれたように。
「ほんと、世話するわたしの身にもなって欲しいですよねぇ〜」
問題児が自分のことを棚に上げて、好き勝手いっている。
「……思い出したわ! 一日早いけど。はいこれ、みんなにプレゼント!」
高尾先生が、突然声をあげると。
僕たちひとりひとりに。丁寧に包装された、なにかを渡し始める。
「ありがとうございます。あけていいですか!」
問題児は、今度は目をキラキラとさせて。
返事など、聞くつもりもない勢いで。
自分の髪の毛の色と同じ、栗色の和紙を開きだす。
「きゃ〜。かわいい〜!」
中から出てきたのは。えっと……なんだそれ?
「海原くん。あれはシュシュといって、髪の毛をまとめるリボンのようなものよ」
「えっ……」
「月子先輩?」
高尾先生と、アイツが目を見開いて三藤先輩を見る。
「……わたしだって、家では使いますけど?」
思わず僕も加わって。三人でシュシュなるものを頭に巻く先輩の姿を想像する。
「あのね……。巻かないわよ。束ねるだけだからね」
どうやら、ちょっと使用イメージが違うようで。
じれったくなったのか、高嶺が。
「こうするの!」
僕に向かって、シュシュなるものを後頭部につけて見せてくる。
「どう、かわいいでしょ?」
アイツが、僕に聞くけれど。
それは容姿なのか、髪型なのか。
はたまたは、シュシュなるもののことなのだろうか?
「どうなのよ!」
僕は、急かされたので仕方なく。
「よくわからんが……。なんかいつもより、さらに頭が大きくなった気がする」
「えっ……?」
高尾先生が、慌てたような顔で僕を見たけれど。
「サイテー」
アイツはそういうと、思いっきり革靴の踵で僕のスネに蹴りを入れてきた。
「……わたしに対しても、失礼よね」
痛がる僕に、三藤先輩は冷たくて。
「ありがとうございます」
そういって、先輩のイメージカラーそのものの。
藤色の包装紙を、大切そうに広げはじめる。
……どうやら中身は高嶺のものより、随分と小そうだけれど?
「これは……」
「随分前に、気になっていたでしょ? とりあえず小さいのだけど、気に入ってくれればうれしいな〜」
「よ、よろしいんですか?」
「もちろんよ〜。ちゃんと使って……ね!」
高尾先生の、意味ありげないいかたはともかく。
その箱の中のなにかに気づいた、三藤先輩が。プレゼントを慌てて、カバンの中に入れてしまって。結局僕には、中身が見えなかった。
「あの〜? わたし、中身見えなかったんですけどー?」
さすが高嶺だ、容赦なく先輩に聞いている。でも実は、僕もその中身が少し気になるので。このツッコミはありがたい。
ところが……。
「まぁ、いいですけどぉ……」
へ? いいんですか?
「ごめんね由衣ちゃん。なんか気を使わせちゃったかな?」
「響子先生は別にいいんです。秘密主義なのは、そちらの先輩のほうなんでー」
三藤先輩は、その挑発には乗らず。
なにやらせっせとカバンを開いて。
包装紙を律儀に、最初の状態にまで戻している。
なんというか、いつもほんと、折目正しいよなぁ……。
……三藤先輩は引き続き真剣な顔つきで、プレゼントの包装紙を眺めたままだ。
「で、アンタのそれ。薄いけどいったいなに?」
「その包み紙の色はねぇ、菖蒲っていってねぇ。あ、どんな漢字かわかる?」
「電車の駅名にありますから、漢字で書けます」
「あのさぁ、電車オタク自慢はいいから。早く中身見なよ!」
まったく。お前、絶対書けないからいってるだけだろ?
わかったから、高嶺。頼むから、いちいち吠えるな。
僕だって、受け取ったときから……。
なんだかこの、妙なやわらかさが気になってるんだ。
僕が、その包みを開くと。
「……え、先生。これって?」
「さっき、明日で最後っていったでしょ? だから、ね……。お願い!」
中からスクールバスの出る駅前にある百貨店の商品券と、一筆箋が出てきて。
「なんて書いてあるの?」
高嶺が僕から強奪して、三藤先輩もそれに釘付けになる。
まぁ、僕も……。
もし、『仮に』。見られて困るものだったらどうしようかと。
一瞬のあいだに、先に読みましたけどね……。
で……。
「響子先生って、意外とかわいい字を書くんですね……」
「え! いまそこ?」
三藤先輩のつぶやきに、高嶺がずっこけながら反応する。
いやほんと、いまはそこじゃないですよ先輩。
で、改めまして高尾先生。
なんですか、これ……?
「放課後に購入。冷蔵庫で保管。明朝ヨロシク!」
一筆箋には、明日の先生のお昼ご飯となる『パンのリスト』が記されていて。
しかも包みの中に、まだなにかやわらかいものがあると思ったら……。
「ほ、保冷剤?」
「だって、独身の高校生男子になんか買うのって、気が引けるでしょー?」
「はいっ?」
「だからその商品券は。パン買う代わりっていう扱いでヨロシクね!」
あのぅ。世の中、独身『じゃない』男子高校生なんて。
そうそうお目にかかれない気が、するのだけれど……。
「もう! いちいち細かいことは、い・わ・な・い・の!」
……なんですか、その変な発声練習みたいないいかたは?
ところが、そうこうしているうちに。
列車はタイミングよく、乗り換え駅に到着してしまって。
「じゃ、また明日ね!」
高尾先生はそう明るくいうと、ひとり先に降りていってしまった。
「海原くん……」
少し同情した目で、三藤先輩が言葉を添える。
「よければわたしも、帰りにパン屋さんに付き合うわ」
「そんな! 月子先輩だけだとなんか危険なんで、わたしもいきます!」
……なんだか、それはそれでまたもめそうだけれど。
ありがとう先生。おかげで友情だけは、つながりました……。
ただそれ以上に。
一筆箋を裏返して一瞬目にした言葉に、僕は……。
「『最後の日』に、なかったなんてないよね?」
別に、今生の別れじゃないのに。
こんなにプレッシャーをかけてくるなんて……。
「三藤先輩。あの先生、もうすぐうちの学校にくるんですよね?」
「そうね、海原くん。おまけに、副顧問になるのよね……」
「ま、楽しむしかないでしょ!」
シュシュだかポッポだかを頭につけて、喜んでいるヤツはさておいて。
三藤先輩と僕は。
……ちょっとだけ未来が、心配になっていた。