恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第五話
翌朝、駅のプラットフォームで。
いつもの時間の、いつもの列車を。
いつもの乗車位置で、僕は待つ。
毎日変わらない音が、遠くからゆっくりと近づいてきて。
やがて最後のブレーキの音をさせると、目の前の扉がややぎこちなく開いて。
今日も車内へと、僕を招き入れてくれる。
「おはよう!」
いつもの、ボックスシートに向かうと。
昨日のことはさておいて。真っ先に高尾響子が明るい声で僕に呼びかける。
「お、おはようございます」
高尾先生は笑顔なのだけれど、そ、その隣の。
……み、三藤先輩?
「もう、朝からこんな調子なのよ〜」
先生が、少し首を傾けて。
困ったような笑顔で、先輩の髪の毛をやさしくなでている。
「別にいなくなるわけでも、なんでもないのにね〜」
二学期からは、朝の列車では会えなくなっても。
学校でも、部活でも一緒になる。
誠に、そのとおりなのだけれど。
やはり三藤先輩には、思うところがたくさんあるのだろう。
下を向いて固まって、先輩はハンカチを握りしめたままで。
そのまま結局、高嶺の乗る駅が近づいて。列車がスピードを落としていく。
先輩がこんな感じだと、アイツはいったいなにをいい出すやら……。
今朝は、お願いだからもめないでくれよ。
僕が、そんなことを考えながら窓の外を見ると。
ご機嫌に、手をブンブン振り回しているかと思ったアイツは。
プラットフォームで、すでにハンカチを両目に当てていた……。
「おはようございます……」
アイツは先生に、静かにそういうと。
そのまま座ると先輩と同じように、下を向いて固まってしまう。
いつもと違う、静けさに。
僕は正直、どんな声を出せばよいのかわからない。
「……あのね。わたし、別にいなくなるわけじゃないんだよー」
短めのトンネルを抜けたあとで、先生がふたりに語りかける。
「そんなのはわかっていますけれど、やっぱり寂しいんです」
三藤先輩は黙ったままで、かろうじてアイツが涙声でそう答えると。
先生の視線がゆっくり、僕に流れてくる。
「海原君は、今朝もいつもどおりだよ?」
「それは……鈍いからに決まってるじゃないですか」
「ええっ……!」
僕が思わずアイツに、それはないだろうという気持ちを声に出すと。
「そっか、わたし忘れてたわ!」
高尾先生が楽しそうに口にして、ちょっと吹き出した。
「……そうね、わたしも忘れていたわ」
み、三藤先輩までいうんですか?
「そうですよね! やっぱ鈍いヤツがいたら、感傷とかひたりにくいですよねー」
よ、よくわからないけれど……。
高嶺も、先輩もなんだか。
ちょっとは元気が出たみたいだ。
……今朝はあっというまに、乗り換え駅が近づいてくる。
「海原くん、由衣さん。きょうでお隣の高尾響子先生は、この列車を卒業します」
「は、はい。三藤先輩」
アイツも僕も、思わず背筋をピンとのばす。
「……これまでご一緒できて、うれしかったです」
そんな三藤先輩の、感謝の言葉に。
今度は高尾先生が、少し涙ぐんでいる。
列車の扉が開いて、乗客が降りていく。
そうか……。
そういえば、先生がいまの学校にこの列車でいくのも。
きょうで最後なのか。
「……海原君、そういうことだよ」
おだやかな顔で、高尾先生が僕を見る。
「やっぱアンタ、鈍いわぁ〜」
高嶺がそういいながら、僕の背中に制カバンの角を当ててきて。
「ちょっと……。きょうくらいは。おしとやかにしなさいよ」
三藤先輩が慌てて、静かにアイツに注意した、そのとき。
「ほんと、ちょっとのんびりしすぎだもんね、昴君は〜」
僕たちが驚いて振り向くと、そこには赤根玲香が。
葡萄色の花束を、手に持って。
笑顔でひとり、立っていた。
「えっ? 玲香ちゃん、どうしてここに?」
「だってさぁ、響子先生って人気者なんだよ」
玲香ちゃんは、そういうと。
「学校いったら、なかなか渡せないと思ってねぇ〜」
ほほえみながら、先生を見る。
「あなた。わざわざもう一本前の列車に乗って、駅で待ってたの?」
三藤先輩が、驚いて聞くと。
玲香ちゃんはちょっと斜め上に両目を動かして、いい淀んだフリをしてから。
「まぁ。きょうまでは……? 『四人の』邪魔はしたくなかったからね!」
そういって、高尾先生に花束を押し付けると。
「響子先生。最後に一緒に、『坂の上』までいこっ!」
笑顔で、先生に呼びかけて。
先生のあいているほうの手を引っ張って、階段へと歩き出す。
「先生! 毎朝、ありがとうございました!」
歩き出したふたりに、高嶺がいきなり大きな声でいうと。
そのまま、まっすぐに頭を下ろす。
三藤先輩と僕も。気持ちを声にしたあと、同じく一礼する。
「もう! だから、別にいなくなるわけじゃないんだってば〜」
そんなの、もちろん知ってるけど。
照れ隠しに大きな声を出したって、高尾先生の涙声はこのとき。
……ちっとも隠せていなかった。
だから僕は、つい……。
「玲香ちゃん! 高尾先生!」
いきなりで、驚いたふたりに向かって。
「いってらっしゃい!」
そう思いがけず大きな声で、呼びかけた。
「……うん、いってくる!」
「ありがとう! いってくる!」
「先生、玲香ちゃん。いってらっしゃい!」
……こうして、笑顔のふたりを無事、見送って。
「じゃぁ、そろそろ僕たちもいきましょうか?」
すがすがしい気持ちで、僕が振り向いたところ……。
「……アンタさぁ」
腕組みをして仁王立ちの高嶺が、僕をにらみつける。
「どさくさに紛れて、どういうこと?」
み、三藤先輩も。その隣で、冷たい目をしていて……。
「何度も何度も。堂々と名前を呼んでいたのは、気のせいかしら?」
ま、まずい。
や、やってしまった……。
僕の小学生時代の遊び友達の、赤根玲香。
赤根さん。いや、赤根先輩?
うーん、玲香先輩。じゃなくて……『玲香ちゃん』?
あぁ、この先……。
高尾先生のいなくなったボックスシートは、代わりに『玲香ちゃん』を迎えて。
僕の寿命がどんどん縮んでいくのだと、改めて実感した。
怒りの高嶺が、ガツガツと。
氷になった三藤先輩が、音もなく。
そして鎖で繋がれたような僕が、トボトボと。
プラットフォームの階段を下りていく。
そうやって、完全に僕たちの姿が見えなくまで。
これまでの出来事を、すべて観察していた誰かがいたことなど。
当時の僕たちにはまったく知る由もなかった。
加えて、その人物が持っていた花束が。
玲香ちゃんのそれと同じく葡萄色だったのは、単なる偶然だったのだろうか?
その答えを僕が知るのは。
……まだまだずっと、未来のこととなる。