恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第七話
終業式の朝。
講堂の機器室で、インカムをつけた春香先輩が。
舞台上に立つ高嶺と僕に、マイクなどの設定について細かく指示を出す。
「いつもより、一時間以上早起きだったよねぇ〜」
中央列付近の座席で、都木先輩がひとりごとをつぶやくけれど。
「美也ちゃん、聞こえているよ!」
「あぁごめん、マイクのスイッチ入ってるの忘れてた」
「のんびりしないで、ちゃんとボリュームチェックしてよね!」
「は〜い」
「陽子……。朝だからもう少し小さな声にしてくれないかしら?」
最後列で、音響のチェックをしている三藤先輩が。
耳から、イヤホン部分を少し遠ざけながら口にする。
「きちんとやるってるんだから、いいでしょ!」
「まったく……。なんだか由衣さんがふたりいるみたいで、耳に響くわね……」
「あの〜、聞こえてるんですけど?」
「あら。スイッチを切り忘れていたわ」
「いやそこ、ごめんなさいですよね!」
あぁ……。
春香先輩が元気なのはよかったけれど、元祖・うるさいヤツまで吠え出した。
「ちょっと海原君、ニヤケない!」
「すいません、春香先輩!」
僕が慌てて謝ると、都木先輩が困ったよねーという顔をして僕を見る。
そんな中、顧問の藤峰佳織は。
確か機器室の中に座っている、はずなのに。
なぜか存在が消えて、静かなままだ。
「みんな、ちょっと待ってて」
春香先輩がそう伝えて、なにやらガソゴソ音がしたかと思ったら。
「先生! 機器室で寝ないで下さい!」
「えっ? も、もうパン焼けたの?」
電源を切って、寝ていたのがバレたのか?
春香先輩に、少しは真剣にやれと怒られている。
……事前の準備の、甲斐もあって。
特に大きな機器トラブルもなく、無事に一学期の終業式が終わる。
ここでようやく。
機器室のうしろで、じっと高嶺と僕の手際を見ていた春香先輩が笑顔になる。
「これならとりあえずふたりも、大丈夫だね!」
その言葉に、深い意味などないだろうと思って。
「まぁアンタも、まだまだだけどよくやったよね」
「お前こそ、春香先輩になにかいわれないかと緊張してただろ?」
このとき僕たちは、そんな軽口をたたき合っていた。
「みんな、お疲れさま〜」
「初めてにしては、よかったわよ」
都木先輩と三藤先輩が機器室に入ると、やさしく声をかけてくれる。
「コイツが途中で違うスイッチ押しそうで、ヒヤヒヤしてました〜」
「そうなの?」
「い、いえ春香先輩が怖い顔……。じゃなくて教えてくれたので、助かりました」
そのあとも、高嶺がギャァギャァ騒ぎかけたのだけれど。
ふと、僕は。
ひとり静かな春香先輩に気がついた。
「先輩、どうかしましたか?」
「……ねぇ部長、お願いがあるんだけど。放課後、みんなでもう一度ここに集合してもいいかな?」
「許可は取っておくけれど、また講堂で練習する気?」
僕の代わりに三藤先輩が、やや不思議そうな顔をして聞く。
「ま、そんな感じかな……」
僕は一瞬、また『しごかれる』のかと思ったけれど。
「放課後、ねぇ……」
隣で、都木先輩が。
少し深刻そうな顔でつぶやいたほうが、気になってしまった。
……各教室で、一学期最後のホームルームを終えると。
放送室に全員が再集合する。
「みんなお疲れさま。で、夏休みの予定はどうしよっか?」
「特に、決めていませんでしたね」
「まぁ来週もどのみち講習がありますし。そのときに考えませんか?」
「アンタさぁ! こんなに講習とかあるなら、入学前に教えてよね!」
僕たちは、そうやって色々と話していたのに。
春香先輩は、ひとりだけ。
「早く、講堂にいこうよ」
誰の話しにも混じらず、みんなに移動をうながすだけだ。
いったいなんなんだろう? この春香先輩の、違和感は?
途中で藤峰先生も合流して、六人でもう一度講堂に向かう。
「みんなはちょっと待ってて」
春香先輩は、ひとり機器室への階段を駆け上がると。
舞台中央にスポットライトを手際よく当てて戻ってくる。
どうやら、音響機器の設定は不要らしい。
「全員、舞台中央の最前列に座って下さい」
……春香先輩が、みんなになにかを伝えようとしている。
ここまでくると、さすがの僕にも理解した。
高嶺、僕、三藤先輩、都木先輩、藤峰先生の順で着席するのを見届けると。
ひとり立ったままだった春香先輩は。
「失礼します」
そう短く、ステージに向かってあいさつすると。
なにかを噛み締めるように、舞台へと続く階段をゆっくりとのぼり。
スポットライトの少し前で、両足をそろえた。
……スポットライトって、結構まぶしいよね。
まぁ、当たり前のことなんだけれど。
最前列に座るみんなの顔を、ゆっくりと眺めたわたしは。
一度大きく、深呼吸をする。
「みんなに、お願いがあるの」
そう、出だしはこれでいい。
あとは迷わず、伝えるべきことを口にするだけだ。
「……放送部を、辞めさせて下さい」
陽子先輩の口から聞こえたセリフに、わたしは一瞬耳を疑った。
「放送部を、続けられません」
よく透き通る、迷いのない声だ。
でも、わたしは……。
陽子先輩のいっている意味が、わからない。
隣のアイツの顔を、見ようとする前に。
「どういうことなの! 説明しなさい!」
アイツのもう少し向こうから、厳しい声がして。
わたしは、声の主にも驚いた。
あの美也先輩が立ち上がって……。怒っている。
「陽子、どういうこと?」
美也先輩が、少しだけ怒りを抑えて。
もう一度ゆっくりと、問いかける。
思わずわたしも立ち上がって、声を出そうとしたけれど。
……ダメだ、なぜかわからないけれど、涙が出てきて声にならない。
月子先輩が立ち上がり、座ったままの海原の足元を越えてから。
「座ってもらえるかしら? あと、使っていいわよ」
やさしい声でそういって、真っ白なハンカチをわたしに渡してくれた。
わたしが座るのを見届けた先輩は、今度は美也先輩に顔を向けると。
「ここは、座りましょう。陽子の話しを、まっすぐ聞きましょう」
穏やかな声で、そう伝えると。
美也先輩の肩に、そっと手をのせた。
藤峰先生が、ほっと息をしたのがわかる。
月子先輩だって、きっと驚いたはずだ。
だけどそれ以上に、わたしたちのことを思いやってくれて。
そしてなにより、春香先輩に対してやさしかった。
……月子、ありがとう。
美也ちゃんがそんなに怒るなんて、予想外だった。
「陽子、お待たせ」
月子の瞳が、きょうはいつも以上にとってもやさしくて。
わたしはあなたの親友で本当によかったと、心から感謝した。
出だしで思わず、つまずいたけれど。
引き続き迷わず、伝えるべきことを口にしないといけないね。
「……好きな人ができたの」
ついに、いっちゃった……。
もう、誰にもとめられないよ。
「恋をしてしまったの。だから、『恋愛禁止』のルールがある部活にはいられない」
「そんなルール、陽子が辞める理由にはならないわ」
「どうして月子? そのルール、無くすって決められる?」
「そ、それは……」
「無くせないでしょ? だから部活にはいられないよ」
……月子、意地悪ないいかたでごめんなさい。
でも、あなたが静かになってくれないと。
わたしの覚悟は、報われないよ。
「いや、でも辞めるようなことでもないでしょ?」
「なんで? 美也ちゃんは、前にそれで辞めたよね?」
「いや、あ、あれはね……」
「わたしだけが特別なんてことはない。だから、前例に倣《なら》うだけだよ」
……別に、美也ちゃんは悪くないよ。
でも、もう怒れないでしょ?
いや、違う。
もう、わたしの『ため』に。
色々なことに縛られるのはやめて。
「あの……。陽子先輩、別にそんな理由で辞めなくても……」
「由衣ちゃん」
「は、はい」
「わたしが好きな相手によって。由衣ちゃんのいうこと、変えたりしないよね?」
「いや、それをちょっといま聞くのはどうかと……」
「ね。こうやってもめる原因になるなら、部活にいられないよ」
……ごめんね。
由衣ちゃんに、敵意はないよ。
あなたのことは、いまは大好きになったから。
だから、お願い。
わたしがいないほうが、きっとあなたにとってもいいことが訪れるから。
わかりましたっていってくれれば、いいからね。
……よし、ここまでは順調だ。
あとは、もう一度辞めると宣言してしまえば……。
「本当の理由ですか?」
嫌! 海原昴。
それをあなたが?
あなたがわたしに聞くの?
「春香先輩」
「な、なに……?」
「本当に『恋愛禁止』ルールで辞めてしまうなら……。そんなもの、もういますぐこの場で無くてしまいましょう」
「……海原君。あなたいま、自分のいってる言葉の重み、わかってる?」
「重みとかどうとかは、関係なくて。そもそも人の気持ちを縛るルールと部活動に関連性がないのであれば、そんなものは無くせばいいと思います」
……理想を語ってくれるのは、いいけれど。
そんなの、綺麗事だよ。
それに、君が『恋愛禁止』のルールを語るのはね……。
「じゃぁ聞くけど? これまでの、卒業した部活の先輩たちを前にして。海原君は直接『そんなルールが』なんて、本当にいい切れる自信ある?」
……海原君が一瞬、答えに詰まった。
だよね。
そう簡単にいままでのルールなんて、変えられないでしょ?
講堂の中が、沈黙に包まれる。
これで、終わりにしよう。
そう、これで終わり。
……ところが。
「それは違うわ!」
わたしが知らないくらい、大きな声で。
「顔も名前も知らない、卒業した先輩とかどうでもいいじゃない!」
『あの』、月子が……。
「いまの部活は……。いま、このときを過ごしているわたしたちのものなの! だから……。わたしたちが決めればそれでいいのよ!」
月子のこんな声を聞いたのは、初めてだ。
月子が、初めてわたしに訴えてくる。
この感覚と感情が、たまらなくうれしい。
……でも、だからこそ。
わたしはこの部活には、いられない。
だって、わたしの想いなんかじゃ。
到底、かないっこないんだから。
……もう、恋するだけでは、終われない。
わたしは、もう。
この部活には、残れないんだよ……。